NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

02007年009月021日(金)便りが無いのは元気な証拠

2007-09-21 | 休み
便りが無いのは元気な証拠だなんて昔の人は言うのだけれど
企業から便りが無いのは、元気が無い証拠ではなくて取る気が
無い証拠なようで、あれほど凄い勢いで連絡を入れてくれた所
から一向に連絡が来なくなると、やっはりあぁと云うべきか
見抜かれたのだろうと思うのです。思うのです。思うのです。

02007年009月020日(木)一人だけでドーナッツッ♪

2007-09-20 | 休み
ちょっとした野暮用で朝から新宿に行く。
帰りはフレッシュネスでチャイをいただく。
どうでも良くない話だけれど、新宿には
フレッシュネスが多すぎる。一軒くらい
ここら辺によこして欲しい、毎日行くから。
チャイはやっぱ美味い。アイスだったから
匂いは多少弱いけど、美味いチャイはチャイ。

紀伊国屋にでも行って、書評にあった本を
探しに行こうかと思っていたら、たまたま
道すがらに在った大きくも小さくも無い書店に
入ったら、あんでやがんの。新宿ってやっぱ
都会だな。そして地元は超田舎だなぁ。
ほとんど寝むれなかったのでいつもに増して
ヒドイ顔をした人が本を持って歩くですよ。


朝刊のチラシの中にミスドのチラシが挟まってた
ので、新宿まで出たくせにクリスピークリームには
行かずにミスドでハニーの3種類を買ってみる。
美味いけれど、特段に、取り立てて美味いという程
ではなくて、でも美味い。チュロスの方がいいけれど。
ドーナツは2つくらいでいいな。3つは多いや。

02007年009月019日(水)探し物は何ですか

2007-09-19 | 休み
探し物は何ですか 見つけにくいものですか
カバンの中も 机の中も 探したけれど 見つからないのに
<中略>
休むことも許されず 笑うことは止められて
はいつくばって はいつくばって 一体何を探しているのか
探すのを止めたとき 見つかることも よくある話で
                  ―井上陽水「夢の中へ」―



出かけに時計をしようと思ったら、時計が見当たらない。
最後にしたのは土曜日。家に帰ってきて、すぐに外して
それからどこへ行ったのか。一向に見つからない。
カバンの中も机の上も探したけれど見つからない。

それでもやっぱり時計は必要なので、まだまだ探す気で
部屋中、家中を探して回る。一度見たところももしやと
思い、探して回る。だけれども、むしろ当然と云うべきか
やっぱり見つからない。時計は一向に見つからない。

けれども、それだけ探し回って見つからなかった時計も
家族に掛かるといともかんたんに見つけ出される。
「僕の時計を見なかった?」と尋ねたら、ほんの数秒で
どっかに行った時計はあっけないほどに直ぐに戻ってきた。

自分だけでは狭い、狭い思い込みの世界の中に入ってしまう。
懸命に探しているつもりでも、その実それはルーティンでしか
なく、思考のドつぼに陥ってしまっているために同じこと
繰り返しでしかなかったりする。だからそのドつぼから自由な
他人には案外簡単に見つけられたりするんだろうと思う。


もしくは一旦それを止めれば良いのか、どうなんか。

02007年009月018日(火)文化的生活

2007-09-18 | 休み
日曜の朝、朝刊に乗っていた書評の本が気になって
近くで一番大きな本屋に自転車に乗って向かう。
あぁ~あ日曜のこんな時間に自転車に乗って
書評に載った本を買いに行くなんて優雅な文化的生活
だなぁ、とか思って変に気分良さげ。多分間違ってる。

でも日曜の本屋は物凄いことになっていて
人酔いしそうなほどに居る、居る、居る、人が。
でも、今日は優雅に本屋探索と設定してしまったので
もう後には引けないから本屋探索を決め込む。
気になった新書を立ち読みで斜め読む。

う~ん、休日に本屋で本を探すって楽しい、とか
思っていたら、鼻がムズツく。鼻水だ、鼻水。
すすっても、すすってもこれでもかこれでもかと
鼻水が出てくる。せっかくの文化的な生活が…
ずかずかしてたら、本来の目的を思い出す。

印刷用紙に書きなぐった汚いメモを持って店内を回る。
エッセイや外国作家のコーナーを見て回る。見当たらない。
もう一回見て回る。やはり見当たらない。仕方がない。
カウンターに行って尋ねてみた。メモはあまりに汚いので
渡さないつもりだったけど、いつの間にか店員さんの手に。

調べてもらい、無いと言われ、取り寄せになりますと言われ。
そうですか、分かりましたって云う。意気消沈。ゲンナリ。
いや、覚悟はしていたのだけれど。結構有名作家で、版元も
超有名どころで、今年の夏に出たばっかりだのにな。
やっぱ都心に出るか、ネットじゃなきゃ駄目なんね。やっぱ。


02007年009月013日(木)一言文句を言う前に

2007-09-16 | 休み
クレイジーキャッツの曲の中に「学生節」と云う歌がある。
クレイジー好きの僕だけれども一番好きなのがこの曲。


一言文句を言う前に ほりゃ親父さん ほりゃ親父さん
あんたの息子を信じなさい ほりゃ 信じなさい ほりゃ信じなさい
<中略>
どっこい ここは 通せんぼ ここには入れぬ訳がある
あんたの知らない 明日もある ほりゃ 明日もある
                               「学生節」 歌:クレイジーキャッツ


息子が父親を部屋に入れるのを拒んでいるという、不思議な歌詞。
この後、歌の関係性は生徒と先生と云うものに変わり、娘と父親の
掛け合いになって行く。もちろん部屋に入れるのを拒むのは同じ。

生徒と先生の押し問答の場面でこの歌詞の本当の意味が分かるけど
これは部屋に彼女(娘の場合は彼氏)が居るから、親父さんや先生を
部屋に入れるのを拒んでいると言う”落ち”。だから通せんぼ。

歌の主人公である息子は自分を信じろというが、歌詞の後半で
彼が信じるに足り得ない行動を行っているということが聴取者には
分かってしまう。彼には後ろ暗いところがあるということが。

信じるということは難しくて、この歌の父親や先生のように
裏切られてしまうこともある。でもさ、信じなくち始まらない場合も
多いじゃんかと、信じるから其れに答えるってこともあるじゃん。