柳田國男は「鬼市(きし)・黙市(もくし)」という古代の商品取引について述べている。
「相州箱根の山男は裸体にして木葉樹皮を衣とす。深山にありて魚を獲るを業とし、市の立つ日を知ってこれを里に持ち来たり米と交易す。人馴れて怪しむことなし。売買のほか他言せず、用事終れば去る」(柳田國男「山人の市に通うこと」『柳田國男全集6・P.139』ちくま文庫)
山人とは何か。南方熊楠と柳田國男の見解は最後まで一致しなかった。けれども山人の行動の記録を追うことで「鬼市(きし)・黙市(もくし)」という商品取引が実際にあったことが明らかになる。しかし「鬼市(きし)・黙市(もくし)」については熊楠の側がよく知っているはずだと柳田はいう。
「実は山人が相手ということを承知の上で、もっと自動的な貿易を大規模に行った例もある。これは外国では鬼市(きし)または黙市(もくし) Silent trade などといったこと、南方氏最も詳しく知っておられる」(柳田國男「山人の市に通うこと」『柳田國男全集6・P.139』ちくま文庫)
熊楠の文章を見てみよう。
「山男のことにつき御注意を惹き置くは鬼市のことに候。小生那智山にありし日、このことをしらべ英国の雑誌へ出せしことあり。鬼市は『五雑俎』に出でおり、支那にはいろいろあると見え、分類して出しおり候。肥前国に昨今もこのことある処ある由。那智にも行者(実加賀〔じっかが〕行者とて明治十三年ごろ滝に投じて死せしもの)の墓を祭るに、線香をその墓前におきあり。詣るもの、銭を投じ線香をとり祭る(肥前のは、路傍に果をならべ、ザルを置く。果を欲するものは、ザルに相当の銭を入れ、果をとり食うなり)。貴下のいずれかの著に、神より物を借ることありしと記憶候(支那にはこのこと多きように『五雑俎』に見ゆ)。今もスマトラなどにて、交易すべき物を林中に置き去れば、蛮民来たりその物をとり、対価相当の物を置き去る風多し。つまり蛮民、他国民の気に触るれば病むと思うによるなり(蛮民他邦の人にあえばたちまち病み、はなはだしきはその人種絶滅するは事実なり)。貴下もしこの鬼市のことをしらべんと思わば、御一報あらば小生知っただけ写し申し上ぐべく候。英国には六年ばかり前に“Silent Trade”(黙市)と題せる一書出で申し候。貴著『遠野物語』に見ゆる山婆が宝物を人の取るに任すということ、また『醒睡笑』にも似たことあり。これらは古えわが邦にも鬼市行なわれし遺風の話にやと存ぜられ候」(南方熊楠「粘菌の神秘について」『南方民俗学・P.436』河出文庫)
柳田も熊楠も或る種の同じ動作に注目している。柳田の場合、「里に持ち来たり米と交易す。人馴れて怪しむことなし。売買のほか他言せず、用事終れば去る」、とある。熊楠の場合、「交易すべき物を林中に置き去れば、蛮民来たりその物をとり、対価相当の物を置き去る」、とある。
そっくりの取引方法が古代ギリシアにあったことをヘロドトスは書き残している。
「カルタゴ人の話には次のようなこともある。『ヘラクレスの柱』以遠の地に、あるリビア人の住む国があり、カルタゴ人はこの国に着いて積荷をおろすと、これを波打際に並べて船に帰り、狼煙(のろし)をあげる。土地の住民は煙を見ると海岸へきて、商品の代金として黄金を置き、それから商品の並べてある場所から遠くへさがる。するとカルタゴ人は下船してそれを調べ、黄金の額が商品の価値に釣合うと見れば、黄金を取って立ち去る」(ヘロドトス「歴史・中・巻四・一九六・P.126」岩波文庫)
マルクスはいう。
「彼らは、彼らの異種の諸生産物を互いに交換において価値として等値することによって、彼らのいろいろに違った労働を互いに人間労働として等値するのである。彼らはそれを知ってはいないが、しかし、それを行う」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.138」国民文庫)
しかしなお、両者の等価性はあらかじめ成立しているわけではない。逆である。両者は等値されることで始めて等価であると見なされるのである。
さらにこのような関係が、言語的差異構造を取って出現する場合がある。中里介山「大菩薩峠」で田山白雲が東北へ向かう場面を見てみよう。白雲は仙台へ入る前に縁起をかつぎ、今の宮城県名取市にある笠島道祖神へ寄っていくことにする。
「田山白雲は、仙台に入る前に笠島の道祖神の祠へ参詣(さんけい)の道を枉(ま)げてみると、そこで呆(あき)れ返ったものを見せつけられないわけにはいきませんでした。それは別物ではない、露骨にいってしまえば、人間の男性の生殖器が一つ、石でこしらえた、しかも、これが図抜けて太くたくましいのが、おごそかに一基、笠島道祖神の一隅に鎮座してましますということです。従来とても、路傍や、辻々に怪しげな小さな存在物を見ないではなかったが、これはまた優れて巨大なるものであって、高さ一丈もあろうと覚しいのがおごそかに鎮座しているのですから、一時初対面の誰人をも圧迫せずにはおかないものです。『呆れ返ったものだ』白雲といえども、思わず苦笑をとどめることが出来ませんでした。一体、これは何のおまじないに原因しているのだーーー道祖神と言うと、こんなものを押し立てたがる故事因縁がよくわからない。道祖神そのものは、猿田彦命(さるたひこのみこと)だということだが、猿田彦命ならば、それは神代史に儼存(げんそん)の人であるに相違ない。それがこの露骨な男根と何の関係があるのか、これは柳田国男氏にでも聞かなければよくわからないものだと、白雲が途方にくれました」(中里介山「大菩薩峠15・白雲の巻・P.224~225」時代小説文庫)
もっとも、柳田國男は、鬼市・黙市が行われたのは「武蔵と甲斐との境の大菩薩峠、多摩川奥から秩父、大宮へ越える六十里越えの道祖神の祠の前、または内外の日光の境の嶺など」、としている。しかし問題は道祖神そのものにある。古代からずっと残されてきた或る共同体と別の共同体との間の指標は道祖神が置かれているその場所自体であり、それは通行人にとって旅の道標(みちしるべ)となる一方、村落共同体のテリトリーを厳重に仕切る境界線だった。なおまた、道祖神信仰は途方もなく古い時代の外来の巨石信仰を起源としており、そこへさらに男根信仰や重要な祭祀の意味などが重なっている。そしてその場は、自分たちの生活空間内では手に入らないけれども、最低限の衣食住に必要な物品の取引が行われるとすれば他のどこよりも適切妥当であるほかないと言えるだろう。だから田山白雲はそこで突然、言葉が通じない地域へ入ったと気づく。或る共同体と別の共同体とを厳密に分け隔てているのは両者ともに異なる言語の使用だからである。白雲の場合は「笠島道祖神」。明治維新まで関東と東北とは異なる神々たちの国だった。ヘロドトスの場合では「ヘラクレスの柱」がそうだ。「ヘラクレスの柱」は地中海貿易の最西端に位置する「ジブラルタル海峡」を指す。
「そこを立ち出でてから路傍の人にたずねて、事のいわれを問うてみるが、一向に要領を得ない、要領を得ないのではない、得させないのは、言語の不通がさせるのだ」(中里介山「大菩薩峠15・白雲の巻・P.228」時代小説文庫)
それがマルクスのいう「共同体の果てるところ」、「共同体が他の共同体またはその成員と接触する点」、である。
「商品交換は、共同体の果てるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始まる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第二章・P.161」国民文庫)
従って、自分の知っている言語の通じる領域から通じない領域へ出るやいなや、未知の領域へ踏み入れる覚悟性がいきなり立ちはだかるのである。
BGM
「相州箱根の山男は裸体にして木葉樹皮を衣とす。深山にありて魚を獲るを業とし、市の立つ日を知ってこれを里に持ち来たり米と交易す。人馴れて怪しむことなし。売買のほか他言せず、用事終れば去る」(柳田國男「山人の市に通うこと」『柳田國男全集6・P.139』ちくま文庫)
山人とは何か。南方熊楠と柳田國男の見解は最後まで一致しなかった。けれども山人の行動の記録を追うことで「鬼市(きし)・黙市(もくし)」という商品取引が実際にあったことが明らかになる。しかし「鬼市(きし)・黙市(もくし)」については熊楠の側がよく知っているはずだと柳田はいう。
「実は山人が相手ということを承知の上で、もっと自動的な貿易を大規模に行った例もある。これは外国では鬼市(きし)または黙市(もくし) Silent trade などといったこと、南方氏最も詳しく知っておられる」(柳田國男「山人の市に通うこと」『柳田國男全集6・P.139』ちくま文庫)
熊楠の文章を見てみよう。
「山男のことにつき御注意を惹き置くは鬼市のことに候。小生那智山にありし日、このことをしらべ英国の雑誌へ出せしことあり。鬼市は『五雑俎』に出でおり、支那にはいろいろあると見え、分類して出しおり候。肥前国に昨今もこのことある処ある由。那智にも行者(実加賀〔じっかが〕行者とて明治十三年ごろ滝に投じて死せしもの)の墓を祭るに、線香をその墓前におきあり。詣るもの、銭を投じ線香をとり祭る(肥前のは、路傍に果をならべ、ザルを置く。果を欲するものは、ザルに相当の銭を入れ、果をとり食うなり)。貴下のいずれかの著に、神より物を借ることありしと記憶候(支那にはこのこと多きように『五雑俎』に見ゆ)。今もスマトラなどにて、交易すべき物を林中に置き去れば、蛮民来たりその物をとり、対価相当の物を置き去る風多し。つまり蛮民、他国民の気に触るれば病むと思うによるなり(蛮民他邦の人にあえばたちまち病み、はなはだしきはその人種絶滅するは事実なり)。貴下もしこの鬼市のことをしらべんと思わば、御一報あらば小生知っただけ写し申し上ぐべく候。英国には六年ばかり前に“Silent Trade”(黙市)と題せる一書出で申し候。貴著『遠野物語』に見ゆる山婆が宝物を人の取るに任すということ、また『醒睡笑』にも似たことあり。これらは古えわが邦にも鬼市行なわれし遺風の話にやと存ぜられ候」(南方熊楠「粘菌の神秘について」『南方民俗学・P.436』河出文庫)
柳田も熊楠も或る種の同じ動作に注目している。柳田の場合、「里に持ち来たり米と交易す。人馴れて怪しむことなし。売買のほか他言せず、用事終れば去る」、とある。熊楠の場合、「交易すべき物を林中に置き去れば、蛮民来たりその物をとり、対価相当の物を置き去る」、とある。
そっくりの取引方法が古代ギリシアにあったことをヘロドトスは書き残している。
「カルタゴ人の話には次のようなこともある。『ヘラクレスの柱』以遠の地に、あるリビア人の住む国があり、カルタゴ人はこの国に着いて積荷をおろすと、これを波打際に並べて船に帰り、狼煙(のろし)をあげる。土地の住民は煙を見ると海岸へきて、商品の代金として黄金を置き、それから商品の並べてある場所から遠くへさがる。するとカルタゴ人は下船してそれを調べ、黄金の額が商品の価値に釣合うと見れば、黄金を取って立ち去る」(ヘロドトス「歴史・中・巻四・一九六・P.126」岩波文庫)
マルクスはいう。
「彼らは、彼らの異種の諸生産物を互いに交換において価値として等値することによって、彼らのいろいろに違った労働を互いに人間労働として等値するのである。彼らはそれを知ってはいないが、しかし、それを行う」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.138」国民文庫)
しかしなお、両者の等価性はあらかじめ成立しているわけではない。逆である。両者は等値されることで始めて等価であると見なされるのである。
さらにこのような関係が、言語的差異構造を取って出現する場合がある。中里介山「大菩薩峠」で田山白雲が東北へ向かう場面を見てみよう。白雲は仙台へ入る前に縁起をかつぎ、今の宮城県名取市にある笠島道祖神へ寄っていくことにする。
「田山白雲は、仙台に入る前に笠島の道祖神の祠へ参詣(さんけい)の道を枉(ま)げてみると、そこで呆(あき)れ返ったものを見せつけられないわけにはいきませんでした。それは別物ではない、露骨にいってしまえば、人間の男性の生殖器が一つ、石でこしらえた、しかも、これが図抜けて太くたくましいのが、おごそかに一基、笠島道祖神の一隅に鎮座してましますということです。従来とても、路傍や、辻々に怪しげな小さな存在物を見ないではなかったが、これはまた優れて巨大なるものであって、高さ一丈もあろうと覚しいのがおごそかに鎮座しているのですから、一時初対面の誰人をも圧迫せずにはおかないものです。『呆れ返ったものだ』白雲といえども、思わず苦笑をとどめることが出来ませんでした。一体、これは何のおまじないに原因しているのだーーー道祖神と言うと、こんなものを押し立てたがる故事因縁がよくわからない。道祖神そのものは、猿田彦命(さるたひこのみこと)だということだが、猿田彦命ならば、それは神代史に儼存(げんそん)の人であるに相違ない。それがこの露骨な男根と何の関係があるのか、これは柳田国男氏にでも聞かなければよくわからないものだと、白雲が途方にくれました」(中里介山「大菩薩峠15・白雲の巻・P.224~225」時代小説文庫)
もっとも、柳田國男は、鬼市・黙市が行われたのは「武蔵と甲斐との境の大菩薩峠、多摩川奥から秩父、大宮へ越える六十里越えの道祖神の祠の前、または内外の日光の境の嶺など」、としている。しかし問題は道祖神そのものにある。古代からずっと残されてきた或る共同体と別の共同体との間の指標は道祖神が置かれているその場所自体であり、それは通行人にとって旅の道標(みちしるべ)となる一方、村落共同体のテリトリーを厳重に仕切る境界線だった。なおまた、道祖神信仰は途方もなく古い時代の外来の巨石信仰を起源としており、そこへさらに男根信仰や重要な祭祀の意味などが重なっている。そしてその場は、自分たちの生活空間内では手に入らないけれども、最低限の衣食住に必要な物品の取引が行われるとすれば他のどこよりも適切妥当であるほかないと言えるだろう。だから田山白雲はそこで突然、言葉が通じない地域へ入ったと気づく。或る共同体と別の共同体とを厳密に分け隔てているのは両者ともに異なる言語の使用だからである。白雲の場合は「笠島道祖神」。明治維新まで関東と東北とは異なる神々たちの国だった。ヘロドトスの場合では「ヘラクレスの柱」がそうだ。「ヘラクレスの柱」は地中海貿易の最西端に位置する「ジブラルタル海峡」を指す。
「そこを立ち出でてから路傍の人にたずねて、事のいわれを問うてみるが、一向に要領を得ない、要領を得ないのではない、得させないのは、言語の不通がさせるのだ」(中里介山「大菩薩峠15・白雲の巻・P.228」時代小説文庫)
それがマルクスのいう「共同体の果てるところ」、「共同体が他の共同体またはその成員と接触する点」、である。
「商品交換は、共同体の果てるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始まる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第二章・P.161」国民文庫)
従って、自分の知っている言語の通じる領域から通じない領域へ出るやいなや、未知の領域へ踏み入れる覚悟性がいきなり立ちはだかるのである。
BGM
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/c2/a03b2c5f135f26693d1f683ef3d61989.jpg)