イシス信仰に祈りを捧げる驢馬のルキウス。イシスはルキウスに告げる。これまで驢馬として過酷な困難を与えられてきたにもかかわらずそれらすべての試練を乗り越えてここまで来た。だが試練はようやく終わったと。さらに、ルキウスは同じルキウスでも、ルキウスの姿形はたちまち驢馬から人間の姿に変わる。この場合、「驢馬ルキウス」=「人間ルキウス」という等価性はいとも容易に成立しているわけではない。「驢馬ルキウス」から「人間ルキウス」への変身はなるほどあっけないほど短時間のうちに済まされる。だが一方、この変身が可能になった条件は、「驢馬ルキウス」から「人間ルキウス」への変身が果たされるに至った全過程で、物語の始めから最終章へ至るまで、ルキウスが引き出してきたありとあらゆる労力がすべてのエピソード全編を通して注ぎ込まれている限りにおいてである。
言い換えれば、「人間ルキウス」はただ単なる「驢馬ルキウス」という過酷な過程を経たというばかりではなく、「驢馬ルキウス」を演じているあいだに「驢馬ルキウス’」という剰余価値を付けた形態で回帰してくるやいなや「人間ルキウス」と交換されると同時に再生産されている点に注意しよう。物語の終わりの章で、「冥界」、「地獄」、「黄泉の国」、を経て回帰してきたとルキウスは語る。エリアーデが典型的なイニシエーションとして上げているのもこの箇所である。
「さて熱心な読者よ、あなた方は、その部屋で二人が交わした会話や、そこで起こったことについて知りたいと強く望まれることでしょう。話すことが許されていれば喜んで話しましょう。お耳に入れてよいなら喜んでお聞かせするでしょう。しかしそれについての不謹慎なお喋(しゃべ)りによって私の舌は、あるいは大それた好奇心によってあなた方の耳は、共にひとしく罰をこうむること必定です。しかし、そうなると、今度はあなた方が、熱い敬虔な関心を抱いたまま宙ぶらりんの気持ちであれこれと憶測し、煩悶(はんもん)することになるでしょう。私もそれは望みません。そこで一つ話を聞いて下さい。でも、この話はみんな真実だと思って下さい。ーーー私は死の境界にやってきて、冥界の女王プロセルピナの神殿の敷居をまたぎ、あらゆる要素を通ってこの世に還ってきました。真夜中に太陽が晃々(こうこう)と輝いているのを見ました。冥界の神々にも天上の神々にも目(ま)のあたりに接し、膝下に額(ぬか)ずいてきました」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の11・P.461~462」岩波文庫)
ほとんどすべての民族創世神話に見られる「冥府下り」というイニシエーション。不可避的に与えられる過酷この上ない試練とその乗り越え。二十一世紀に入って以降の日本でも、文学だけでなく、むしろ主に青春ものに分類されるエンターテインメント、アニメにせよ、ドラマにせよ、映画にせよ、漫画にせよ、消費者の年齢性別国籍を問わず、今なおこの種のカテゴリーに区別されるものは圧倒的に受ける。金になる。ルキウスは述べている。「冥界の女王プロセルピナの神殿の敷居をまたぎ、あらゆる要素を通ってこの世に還ってきました」。冥界というのはただ単に地獄とか死後の世界とか、そういう宗教的な次元の概念的世界を指していうわけではない。逆に具体的なものだ。人間が生きていく限り、いつどこからでも降って湧いてこざるを得ない様々な試練の最終仕上げのことを指して「冥界」と呼ぶのである。だからアープレーイユス=ルキウスの場合、舞台が古代ギリシア・ローマなので、冥界の女王は当然プロセルピナであり、またプロセルピナのもとに赴いたということになる。ちなみに日本神話の場合、冥界の女王プロセルピナはイザナミに当たる。
「伊奘諾尊(いざなぎのみこと)、伊奘冉尊(いざなみのみこと)を追(お)ひて、黄泉(よもつくに)に入(い)りて、及(し)きて共(とも)に語(かた)る。時(とき)に伊奘冉尊の曰(のたま)はく、『吾夫君(あがなせ)の尊(みこと)、何(なに)ぞ晩(おそ)く来(いでま)しつる。吾已(われすで)に湌泉之竈(よもつへぐひ)せり。然(しか)れども、吾当(まさ)に寝息(ねやす)まむ。請(こ)ふ、な視(み)ましそ』とのたまふ。伊奘諾尊、聴(き)きたまはずして、陰(ひそか)に湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を取(と)りて、其(そ)の雄柱(ほとりは)を牽(ひ)き折(か)きて、秉炬(たひ)として、見(み)しかば、膿(うみ)沸(わ)き虫(うじ)流(たか)る。今(いま)、世人(よのひと)、夜一片之火(よるひとつびとぼすこと)忌む、又(また)夜擲櫛(なげぐし)を忌む、此(これ)其(そ)の縁(ことのもと)なり」(「日本書紀1・巻第一・神代上・第五段・P.43~44」岩波文庫)
さらにアープレーイユスよりもっと時代を遡って古代ギリシア神話を探ってみると、冥界の女王はデーメーテールが最もふさわしいように思える。
「プルートーンはペルセポネーに恋し、ゼウスの助力を得て彼女を密かに奪った。デーメーテールは夜となる昼となく炬火(たいまつ)を手にして彼女を求めて全世界をめぐった。ヘルミオーンの人々よりプルートンが娘を奪ったことを知って、神々に対して憤怒し、天界を捨てて身を一婦人の姿に変じ、エレウシースにやって来た。そして先ずカリコロン(『美しき舞』)という井戸の側(そば)の彼女にちなんでアゲラストス(『笑いなき』)と呼ばれる石の上に坐った。それからその時のエレウシース人の王であったケレオスの所に赴いた。家の内に二三の女がいて、自分たちの側に坐るようにと言った。その時イアムベーなる一老女が戯談(ざれごと)を言って女神を笑わせた。これがためにテスモポリア祭で女たちは嘲罵をたくましくするのであると言うことである。ケオレスの妻メタネイラに一人の子供があって、これをデーメーテールが引きとって育てた。彼を不死にしようと思って夜な夜な嬰児を火中に置き、必滅の人の子の肉を剥ぎとろうとしていた。デーモポーンはーーーこれが子供の名であったがーーー日毎に驚くほど成長したが、プラークシテアーが見張っていて、火中に入れられているのを見つけて大声をあげた。それがために嬰児は火に焼きつくされ、女神は本身を顕わした。しかしメタネイラの子供の中での兄であるトリプトレモスに有翼の竜の戦車を造ってやり、小麦を与えた。彼は空を飛んで人の住んでいるすべての地にこれを播(ま)いた。しかしパニュアッシスはトリプトレモスはエレウシースの子であると言っている。というのはデーメーテールは彼の所に来たのだと主張しているからである。ペレキューデースは、しかし、彼をオーケアノスと大地(ゲー)の子であると言う。ゼウスがプルートーンに乙女(コレー)を地上に帰せと命じた時に、プルートーンは彼女が母の側に永く留まらないように、彼女に柘榴(ざくろ)の粒を食べるようにと与えた。彼女はその結果がどうなるかを予見せずにその粒を食べてしまった。アケローンとゴルギューラの子アスカラポスが彼女に不利な証言をしたので、デーメーテールは冥府で彼の上に重い石を置いた。ペルセポネーはしかし毎年三分の一はプルートーンとともに、残りの時は神々のもとに留まることを強いられた」(アポロドーロス「ギリシア神話・第一巻・P.36~37」岩波文庫)
さらにデーメーテールの娘とされるペルセポネーもまた冥界の女王として振る舞っている箇所が見られる。
「アドメートスがペライの王であった時にペリアースの娘アルケースティスの愛を求めている間に、アポローンは奴僕となって彼に仕えた。ペリアースが戦車に獅子と猪をつないだ者に娘を与えると約束したので、アポローンがつないで彼に与えた。そこでアドメートスはペリアースのところに持って行ってアルケースティスを得た。結婚式で犠牲を捧げる時にアルテミスを忘れた。そのために閨房(けいぼう)を開いてみると部屋がとぐろを巻いた蛇でみたされているのを見出(いだ)した。アポローンは彼に女神を宥(なだ)めるようにと言った。そして運命の女神たちから次のごときことを乞い受けてくれた。すなわちアドメートスが死なんとした時に〔父母または妻の〕誰か彼のために喜んで死のうとする者があった場合には、彼は死より解放せられるであろうと。彼の死ぬ日が来た時に、父も母も彼のために死のうとはしてくれなかったが、アルケースティスが彼の身代りとなって死んだ。しかし乙女(『ペルセポネー』)は彼女を地上に送り返した」(アポロドーロス「ギリシア神話・第一巻・P.55」岩波文庫)
デーメーテールもペルセポネーも、冥界の女王として、南方熊楠のいう「山婆(やまんば)の髪の毛」を振り乱しているのだろうか。とても長く美しい女性の髪の象徴として。さてその熊楠だが、論文の中で、相変わらず意表を突く言葉をあからさまに用いている。
「田辺辺で『きつねのちんぼ』と呼ぶ菌がある。西洋でも学名チノファルスすなわち犬の陽物という。田辺より六、七町隔てたる神子浜(みこのはま)という村の少女、現に予の方に奉公する者言う、この菌は蛇の卵より生ず、と。実に胡論(うろん)なことと学校教師など笑う。熊楠はちょっとも笑わず、しきりに関心す。故何となれば、秋日砂地を掘ると蛇卵と間違うべき白い卵形の物がある。それを解剖するとチノファルスの芽だと分かる。それが久しく砂中にあるところへ雨が降ると、蛟竜豈(あに)久しく地中の物ならんや、たちまち怒長して赤き長き茎が延び立ち、頭に臭極まる粘液潤う。それを近処の蠅が群れ至って食うと同時に、胞子(たね)が蝿の頭に着き、蠅が他所(よそ)に飛び行き落として菌糸を生じ、次に蛇卵ごとき芽を生じ、雨を得てまた怒長する」(南方熊楠「情事を好く植物」『森の思想・P.356』河出文庫)
理解しやすいことは確かだ。正式名称にしてからが「ファルス」=「男性器」という部分を含んでおり、熊楠によれば、雨が降ると「たちまち怒長して赤き長き茎が延び立ち、頭に臭極まる粘液潤う」。その異臭につられて蝿が群がり「胞子」(たね)をくっ付け、場所移動して「胞子」(たね)をばら撒きそこからまた菌糸が生じてくる。そして次に雨が降ると「また怒長する」。艶笑譚でも聞かされているように思えなくもない。しかし熊楠は真剣そのものだ。そしてこの真剣さには理由がある。熊楠は子どもの頃から癇癪(かんしゃく)癖があり、一度怒り出すと家族にも友人にも誰にも止められないほど酷かったらしい。周囲からアドバイスを受けて趣味や遊戯に打ち込もうとしたがどれも上手くいかなかった。ところが粘菌研究という新しい対象を見つけて取り掛かってみると思いのほか熱中できることがわかり、少なくとも粘菌研究に熱中しているあいだ、熊楠は自分で自分自身を或る程度コントロールできるようになった。
「小生は元来はなはだしき疳積(かんしゃく)持ちにて、狂人になることを人々患(うれ)えたり。自分このことに気がつき、他人が病質を治せんとて種々遊戯に身を入るるもつまらず、宜しく遊戯同様に面白き学問より始むべしと思い、博物標本をみずから集むることにかかれり。これはなかなか面白く、また疳積など少しも起こさば、解剖等微細の研究は一つも成らず、この方法にて疳積をおさうるになれて今日まで狂人にならざりし」(南方熊楠「狂人になること、反進化論、その他」『南方民俗学・P.497』河出文庫)
余人の追随を許さない粘菌研究への打ち込みは熊楠にとってまたとない精神安定剤として作用したのだった。それでもなお関心はあらゆる分野へ及び、遂に世界中の文献へ、民俗学全般へと広がっていく。熊楠の地元・紀州=熊野から始まった熊楠独自の学術研究は、世界に散らばるありとあらゆる古代神話から最先端研究をも含めて、再び熊野の地へ回帰してくることになる。
なお、粘菌の「胞子」(たね)の場所移動という観点はたいへん重要である。
「運輸業が売るものは、場所を変えること自体である。生みだされる有用効果は、運輸過程すなわち運輸業の生産過程と不可分に結びつけられている。人や商品は運輸手段といっしょに旅をする。そして、運輸手段の旅、その場所的運動こそは、運輸手段によってひき起こされる生産過程なのである。その有用効果は、生産過程と同時にしか消費されえない。それは、この過程とは別な使用物として存在するのではない。すなわち、生産されてからはじめて取引物品として機能し商品として流通するような使用物として存在するのではない。しかし、この有用効果の交換価値は、他のどの商品の交換価値とも同じに、その有用効果のために消費された生産要素(労働力と生産手段)の価値・プラス・運輸業に従事する労働者の剰余労働がつくりだした剰余価値によって規定されている。この有用労働は、その消費についても、他の商品とまったく同じである。それが個人的に消費されれば、その価値は消費と同時になくなってしまう。それが生産的に消費されて、それ自身が輸送中の商品の一つの生産段階であるならば、その価値は追加価値としてその商品そのものに移される」(マルクス「資本論・第二部・第一篇・第一章・P.98~99」国民文庫)
この場合の場所移動はただ単に流通過程もまた生産過程の一つだというだけでなく、場所移動に伴って価値変動が起こるということは、ニーチェのいうように言語圏の違いによって「異なった風に『世界』を眺め」るようにならざるを得なくなることの重要性を物語っている。
「個々の哲学的概念は何ら任意なもの、それだけで生育したものではなく、むしろ互いに関係し類縁を持ち合って伸長するものであり、それらはどんなに唐突に、勝手次第に思惟の歴史のうちに出現するように見えても、やはり或る大きな大陸の動物のすべての成員が一つの系統に属するように、一つの系統に属している。このことは結局、極めて様々の哲学者たちもいかに確実に《可能な》諸哲学の根本図式を繰り返し充(み)たすか、という事実のうちにも窺(うかが)われる。彼らは或る眼に見えない呪縛(じゅばく)のもとに、常にまたしても新しく同一の円軌道を廻(めぐ)るのである。彼らはその批判的または体系的な意志をもって、なお互いに大いに独立的であると自ら感じているであろう。彼らのうちにある何ものかが彼らを導き、何ものかが一定の秩序において次々と彼らを駆り立てる。それはまさしく概念のあの生得的な体系性と類縁性とにほかならない。彼らの思惟は実は発見ではなく、むしろ再認であり、想起であり、かつてあの諸概念が発生して来た遥遠な大昔の魂の全世帯への還帰であり帰郷である。ーーーそのかぎりにおいて、哲学することは一種の高級な先祖返りである。すべてのインドの、ギリシアの、ドイツの哲学の不思議な家族的類縁性は、申し分なく簡単に説明される。言語上の類縁性の存するところ、まさにそこでは文法の共通な哲学のおかげでーーー思うに、同様な文法的機能による支配と指導とのおかげでーーー始めから一切が哲学大系の同種の展開と順序とに対して準備されていることは、全く避けがたいところである。同様にまた、世界解釈の或る別の可能性への道が塞(ふさ)がれていることも避けがたい。ウラル・アルタイ言語圏の哲学者たち(そこにおいては、主語概念が甚だしく発達していない)が、インド・ゲルマン族や回教徒とは異なった風に『世界を』眺め、異なった道を歩んでいることは、多分にありうべきことであろう。特定の文法的機能の呪縛は究極のところ《生理学的》価値判断と種族的条件の呪縛である」(ニーチェ「善悪の彼岸・二〇・P.38~39」岩波文庫)
さらに自分で自分自身を《異なった眼で眺める》ことはできるか。
「笑いは悪魔的である。ゆえにこれは深く人間的である。これは人間にあって、自らの優越性の観念の帰結である。そして事実、笑いは本質的に人間的なものであるから、本質的に矛盾したものだ、すなわち、笑いは無限な偉大さの徴(しるし)であると同時に無限な悲惨の徴であって、人間が頭で知っている<絶対存在者>との関連においてみれば無限の悲惨、動物たちとの関連においてみれば無限の偉大さということになる。この二つの無限の絶え間ない衝突からこそ、笑いが発する。滑稽というものは、笑いの原動力は、笑う者の裡に存するのであり、笑いの対象の裡にあるのでは断じてない。ころんだ当人が、自分自身のころんだことを笑ったりは決してしない、もっとも、これが哲人である場合、自分をすみやかに二重化し、自らの《自我》の諸現象に局外の傍観者として立ち会う力を、習慣によって身につけた人間である場合は、話は別だが」(ボードレール「笑いの本質について、および一般に造型芸術における滑稽について」『ボードレール批評1・P.227』ちくま学芸文庫)
そんなふうにボードレールはとうの昔にやっている。
BGM
言い換えれば、「人間ルキウス」はただ単なる「驢馬ルキウス」という過酷な過程を経たというばかりではなく、「驢馬ルキウス」を演じているあいだに「驢馬ルキウス’」という剰余価値を付けた形態で回帰してくるやいなや「人間ルキウス」と交換されると同時に再生産されている点に注意しよう。物語の終わりの章で、「冥界」、「地獄」、「黄泉の国」、を経て回帰してきたとルキウスは語る。エリアーデが典型的なイニシエーションとして上げているのもこの箇所である。
「さて熱心な読者よ、あなた方は、その部屋で二人が交わした会話や、そこで起こったことについて知りたいと強く望まれることでしょう。話すことが許されていれば喜んで話しましょう。お耳に入れてよいなら喜んでお聞かせするでしょう。しかしそれについての不謹慎なお喋(しゃべ)りによって私の舌は、あるいは大それた好奇心によってあなた方の耳は、共にひとしく罰をこうむること必定です。しかし、そうなると、今度はあなた方が、熱い敬虔な関心を抱いたまま宙ぶらりんの気持ちであれこれと憶測し、煩悶(はんもん)することになるでしょう。私もそれは望みません。そこで一つ話を聞いて下さい。でも、この話はみんな真実だと思って下さい。ーーー私は死の境界にやってきて、冥界の女王プロセルピナの神殿の敷居をまたぎ、あらゆる要素を通ってこの世に還ってきました。真夜中に太陽が晃々(こうこう)と輝いているのを見ました。冥界の神々にも天上の神々にも目(ま)のあたりに接し、膝下に額(ぬか)ずいてきました」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の11・P.461~462」岩波文庫)
ほとんどすべての民族創世神話に見られる「冥府下り」というイニシエーション。不可避的に与えられる過酷この上ない試練とその乗り越え。二十一世紀に入って以降の日本でも、文学だけでなく、むしろ主に青春ものに分類されるエンターテインメント、アニメにせよ、ドラマにせよ、映画にせよ、漫画にせよ、消費者の年齢性別国籍を問わず、今なおこの種のカテゴリーに区別されるものは圧倒的に受ける。金になる。ルキウスは述べている。「冥界の女王プロセルピナの神殿の敷居をまたぎ、あらゆる要素を通ってこの世に還ってきました」。冥界というのはただ単に地獄とか死後の世界とか、そういう宗教的な次元の概念的世界を指していうわけではない。逆に具体的なものだ。人間が生きていく限り、いつどこからでも降って湧いてこざるを得ない様々な試練の最終仕上げのことを指して「冥界」と呼ぶのである。だからアープレーイユス=ルキウスの場合、舞台が古代ギリシア・ローマなので、冥界の女王は当然プロセルピナであり、またプロセルピナのもとに赴いたということになる。ちなみに日本神話の場合、冥界の女王プロセルピナはイザナミに当たる。
「伊奘諾尊(いざなぎのみこと)、伊奘冉尊(いざなみのみこと)を追(お)ひて、黄泉(よもつくに)に入(い)りて、及(し)きて共(とも)に語(かた)る。時(とき)に伊奘冉尊の曰(のたま)はく、『吾夫君(あがなせ)の尊(みこと)、何(なに)ぞ晩(おそ)く来(いでま)しつる。吾已(われすで)に湌泉之竈(よもつへぐひ)せり。然(しか)れども、吾当(まさ)に寝息(ねやす)まむ。請(こ)ふ、な視(み)ましそ』とのたまふ。伊奘諾尊、聴(き)きたまはずして、陰(ひそか)に湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を取(と)りて、其(そ)の雄柱(ほとりは)を牽(ひ)き折(か)きて、秉炬(たひ)として、見(み)しかば、膿(うみ)沸(わ)き虫(うじ)流(たか)る。今(いま)、世人(よのひと)、夜一片之火(よるひとつびとぼすこと)忌む、又(また)夜擲櫛(なげぐし)を忌む、此(これ)其(そ)の縁(ことのもと)なり」(「日本書紀1・巻第一・神代上・第五段・P.43~44」岩波文庫)
さらにアープレーイユスよりもっと時代を遡って古代ギリシア神話を探ってみると、冥界の女王はデーメーテールが最もふさわしいように思える。
「プルートーンはペルセポネーに恋し、ゼウスの助力を得て彼女を密かに奪った。デーメーテールは夜となる昼となく炬火(たいまつ)を手にして彼女を求めて全世界をめぐった。ヘルミオーンの人々よりプルートンが娘を奪ったことを知って、神々に対して憤怒し、天界を捨てて身を一婦人の姿に変じ、エレウシースにやって来た。そして先ずカリコロン(『美しき舞』)という井戸の側(そば)の彼女にちなんでアゲラストス(『笑いなき』)と呼ばれる石の上に坐った。それからその時のエレウシース人の王であったケレオスの所に赴いた。家の内に二三の女がいて、自分たちの側に坐るようにと言った。その時イアムベーなる一老女が戯談(ざれごと)を言って女神を笑わせた。これがためにテスモポリア祭で女たちは嘲罵をたくましくするのであると言うことである。ケオレスの妻メタネイラに一人の子供があって、これをデーメーテールが引きとって育てた。彼を不死にしようと思って夜な夜な嬰児を火中に置き、必滅の人の子の肉を剥ぎとろうとしていた。デーモポーンはーーーこれが子供の名であったがーーー日毎に驚くほど成長したが、プラークシテアーが見張っていて、火中に入れられているのを見つけて大声をあげた。それがために嬰児は火に焼きつくされ、女神は本身を顕わした。しかしメタネイラの子供の中での兄であるトリプトレモスに有翼の竜の戦車を造ってやり、小麦を与えた。彼は空を飛んで人の住んでいるすべての地にこれを播(ま)いた。しかしパニュアッシスはトリプトレモスはエレウシースの子であると言っている。というのはデーメーテールは彼の所に来たのだと主張しているからである。ペレキューデースは、しかし、彼をオーケアノスと大地(ゲー)の子であると言う。ゼウスがプルートーンに乙女(コレー)を地上に帰せと命じた時に、プルートーンは彼女が母の側に永く留まらないように、彼女に柘榴(ざくろ)の粒を食べるようにと与えた。彼女はその結果がどうなるかを予見せずにその粒を食べてしまった。アケローンとゴルギューラの子アスカラポスが彼女に不利な証言をしたので、デーメーテールは冥府で彼の上に重い石を置いた。ペルセポネーはしかし毎年三分の一はプルートーンとともに、残りの時は神々のもとに留まることを強いられた」(アポロドーロス「ギリシア神話・第一巻・P.36~37」岩波文庫)
さらにデーメーテールの娘とされるペルセポネーもまた冥界の女王として振る舞っている箇所が見られる。
「アドメートスがペライの王であった時にペリアースの娘アルケースティスの愛を求めている間に、アポローンは奴僕となって彼に仕えた。ペリアースが戦車に獅子と猪をつないだ者に娘を与えると約束したので、アポローンがつないで彼に与えた。そこでアドメートスはペリアースのところに持って行ってアルケースティスを得た。結婚式で犠牲を捧げる時にアルテミスを忘れた。そのために閨房(けいぼう)を開いてみると部屋がとぐろを巻いた蛇でみたされているのを見出(いだ)した。アポローンは彼に女神を宥(なだ)めるようにと言った。そして運命の女神たちから次のごときことを乞い受けてくれた。すなわちアドメートスが死なんとした時に〔父母または妻の〕誰か彼のために喜んで死のうとする者があった場合には、彼は死より解放せられるであろうと。彼の死ぬ日が来た時に、父も母も彼のために死のうとはしてくれなかったが、アルケースティスが彼の身代りとなって死んだ。しかし乙女(『ペルセポネー』)は彼女を地上に送り返した」(アポロドーロス「ギリシア神話・第一巻・P.55」岩波文庫)
デーメーテールもペルセポネーも、冥界の女王として、南方熊楠のいう「山婆(やまんば)の髪の毛」を振り乱しているのだろうか。とても長く美しい女性の髪の象徴として。さてその熊楠だが、論文の中で、相変わらず意表を突く言葉をあからさまに用いている。
「田辺辺で『きつねのちんぼ』と呼ぶ菌がある。西洋でも学名チノファルスすなわち犬の陽物という。田辺より六、七町隔てたる神子浜(みこのはま)という村の少女、現に予の方に奉公する者言う、この菌は蛇の卵より生ず、と。実に胡論(うろん)なことと学校教師など笑う。熊楠はちょっとも笑わず、しきりに関心す。故何となれば、秋日砂地を掘ると蛇卵と間違うべき白い卵形の物がある。それを解剖するとチノファルスの芽だと分かる。それが久しく砂中にあるところへ雨が降ると、蛟竜豈(あに)久しく地中の物ならんや、たちまち怒長して赤き長き茎が延び立ち、頭に臭極まる粘液潤う。それを近処の蠅が群れ至って食うと同時に、胞子(たね)が蝿の頭に着き、蠅が他所(よそ)に飛び行き落として菌糸を生じ、次に蛇卵ごとき芽を生じ、雨を得てまた怒長する」(南方熊楠「情事を好く植物」『森の思想・P.356』河出文庫)
理解しやすいことは確かだ。正式名称にしてからが「ファルス」=「男性器」という部分を含んでおり、熊楠によれば、雨が降ると「たちまち怒長して赤き長き茎が延び立ち、頭に臭極まる粘液潤う」。その異臭につられて蝿が群がり「胞子」(たね)をくっ付け、場所移動して「胞子」(たね)をばら撒きそこからまた菌糸が生じてくる。そして次に雨が降ると「また怒長する」。艶笑譚でも聞かされているように思えなくもない。しかし熊楠は真剣そのものだ。そしてこの真剣さには理由がある。熊楠は子どもの頃から癇癪(かんしゃく)癖があり、一度怒り出すと家族にも友人にも誰にも止められないほど酷かったらしい。周囲からアドバイスを受けて趣味や遊戯に打ち込もうとしたがどれも上手くいかなかった。ところが粘菌研究という新しい対象を見つけて取り掛かってみると思いのほか熱中できることがわかり、少なくとも粘菌研究に熱中しているあいだ、熊楠は自分で自分自身を或る程度コントロールできるようになった。
「小生は元来はなはだしき疳積(かんしゃく)持ちにて、狂人になることを人々患(うれ)えたり。自分このことに気がつき、他人が病質を治せんとて種々遊戯に身を入るるもつまらず、宜しく遊戯同様に面白き学問より始むべしと思い、博物標本をみずから集むることにかかれり。これはなかなか面白く、また疳積など少しも起こさば、解剖等微細の研究は一つも成らず、この方法にて疳積をおさうるになれて今日まで狂人にならざりし」(南方熊楠「狂人になること、反進化論、その他」『南方民俗学・P.497』河出文庫)
余人の追随を許さない粘菌研究への打ち込みは熊楠にとってまたとない精神安定剤として作用したのだった。それでもなお関心はあらゆる分野へ及び、遂に世界中の文献へ、民俗学全般へと広がっていく。熊楠の地元・紀州=熊野から始まった熊楠独自の学術研究は、世界に散らばるありとあらゆる古代神話から最先端研究をも含めて、再び熊野の地へ回帰してくることになる。
なお、粘菌の「胞子」(たね)の場所移動という観点はたいへん重要である。
「運輸業が売るものは、場所を変えること自体である。生みだされる有用効果は、運輸過程すなわち運輸業の生産過程と不可分に結びつけられている。人や商品は運輸手段といっしょに旅をする。そして、運輸手段の旅、その場所的運動こそは、運輸手段によってひき起こされる生産過程なのである。その有用効果は、生産過程と同時にしか消費されえない。それは、この過程とは別な使用物として存在するのではない。すなわち、生産されてからはじめて取引物品として機能し商品として流通するような使用物として存在するのではない。しかし、この有用効果の交換価値は、他のどの商品の交換価値とも同じに、その有用効果のために消費された生産要素(労働力と生産手段)の価値・プラス・運輸業に従事する労働者の剰余労働がつくりだした剰余価値によって規定されている。この有用労働は、その消費についても、他の商品とまったく同じである。それが個人的に消費されれば、その価値は消費と同時になくなってしまう。それが生産的に消費されて、それ自身が輸送中の商品の一つの生産段階であるならば、その価値は追加価値としてその商品そのものに移される」(マルクス「資本論・第二部・第一篇・第一章・P.98~99」国民文庫)
この場合の場所移動はただ単に流通過程もまた生産過程の一つだというだけでなく、場所移動に伴って価値変動が起こるということは、ニーチェのいうように言語圏の違いによって「異なった風に『世界』を眺め」るようにならざるを得なくなることの重要性を物語っている。
「個々の哲学的概念は何ら任意なもの、それだけで生育したものではなく、むしろ互いに関係し類縁を持ち合って伸長するものであり、それらはどんなに唐突に、勝手次第に思惟の歴史のうちに出現するように見えても、やはり或る大きな大陸の動物のすべての成員が一つの系統に属するように、一つの系統に属している。このことは結局、極めて様々の哲学者たちもいかに確実に《可能な》諸哲学の根本図式を繰り返し充(み)たすか、という事実のうちにも窺(うかが)われる。彼らは或る眼に見えない呪縛(じゅばく)のもとに、常にまたしても新しく同一の円軌道を廻(めぐ)るのである。彼らはその批判的または体系的な意志をもって、なお互いに大いに独立的であると自ら感じているであろう。彼らのうちにある何ものかが彼らを導き、何ものかが一定の秩序において次々と彼らを駆り立てる。それはまさしく概念のあの生得的な体系性と類縁性とにほかならない。彼らの思惟は実は発見ではなく、むしろ再認であり、想起であり、かつてあの諸概念が発生して来た遥遠な大昔の魂の全世帯への還帰であり帰郷である。ーーーそのかぎりにおいて、哲学することは一種の高級な先祖返りである。すべてのインドの、ギリシアの、ドイツの哲学の不思議な家族的類縁性は、申し分なく簡単に説明される。言語上の類縁性の存するところ、まさにそこでは文法の共通な哲学のおかげでーーー思うに、同様な文法的機能による支配と指導とのおかげでーーー始めから一切が哲学大系の同種の展開と順序とに対して準備されていることは、全く避けがたいところである。同様にまた、世界解釈の或る別の可能性への道が塞(ふさ)がれていることも避けがたい。ウラル・アルタイ言語圏の哲学者たち(そこにおいては、主語概念が甚だしく発達していない)が、インド・ゲルマン族や回教徒とは異なった風に『世界を』眺め、異なった道を歩んでいることは、多分にありうべきことであろう。特定の文法的機能の呪縛は究極のところ《生理学的》価値判断と種族的条件の呪縛である」(ニーチェ「善悪の彼岸・二〇・P.38~39」岩波文庫)
さらに自分で自分自身を《異なった眼で眺める》ことはできるか。
「笑いは悪魔的である。ゆえにこれは深く人間的である。これは人間にあって、自らの優越性の観念の帰結である。そして事実、笑いは本質的に人間的なものであるから、本質的に矛盾したものだ、すなわち、笑いは無限な偉大さの徴(しるし)であると同時に無限な悲惨の徴であって、人間が頭で知っている<絶対存在者>との関連においてみれば無限の悲惨、動物たちとの関連においてみれば無限の偉大さということになる。この二つの無限の絶え間ない衝突からこそ、笑いが発する。滑稽というものは、笑いの原動力は、笑う者の裡に存するのであり、笑いの対象の裡にあるのでは断じてない。ころんだ当人が、自分自身のころんだことを笑ったりは決してしない、もっとも、これが哲人である場合、自分をすみやかに二重化し、自らの《自我》の諸現象に局外の傍観者として立ち会う力を、習慣によって身につけた人間である場合は、話は別だが」(ボードレール「笑いの本質について、および一般に造型芸術における滑稽について」『ボードレール批評1・P.227』ちくま学芸文庫)
そんなふうにボードレールはとうの昔にやっている。
BGM