白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

仮面等価性22・神々との取引

2020年09月06日 | 日記・エッセイ・コラム
本当の妻の座をめぐって次々と邪魔者を毒殺していった結果。夫を含めて四人を殺害するに至った。そこで始めて死刑囚になっただけでなく、死刑囚になった限りで始めて、驢馬との一夜を渇望する動物性愛者であり「地位財産ともにすぐれて有名な一人の貴婦人」との等価性を得ることができた。この場合、等価性は女性死刑囚という社会的地位に登りつめることで果たされたわけだが、しかし、「地位財産ともにすぐれて有名な一人の貴婦人」との置き換えは多くの市民が見物する中で行われる円形演技場での公開処刑として実現されなければ本当に等価かどうかの証明にはならない、という次元にまで立ち至っている。円形演技場の衆人監視の中で行われるだけでなく驢馬との性行為(結婚式)を含む公開処刑。その実現によって逆に「地位財産ともにすぐれて有名な一人の貴婦人」の本当の価値が証拠立てられることになる。言い換えれば手形通りに決済される。この流れを見ていると案外、形式的に整理整頓された手順を踏んでいるように思われる。この公開処刑は、驢馬との一夜を渇望する動物性愛者であり「地位財産ともにすぐれて有名な一人の貴婦人」の価値を実証するための現物形態の位置を取る。次のように。

「価値関係の媒介によって、商品Bの現物形態は商品Aの価値形態になる。言いかえれば、商品Bの身体は商品Aの価値鏡になる(見ようによっては人間も商品と同じことである。人間は鏡をもってこの世に生まれてくるのでもなければ、私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから、人間は最初はまず他の人間のなかに自分を映してみるのである。人間ペテロは、彼と同等なものとしての人間パウロに関係することによって、はじめて人間としての自分自身に関係するのである。しかし、それとともに、またペテロにとっては、パウロの全体が、そのパウロ的な肉体のままで、人間という種属の現象形態として認められるのである)。商品Aが、価値体としての、人間労働の物質化としての商品Bに関係することによって、商品Aは使用価値Bを自分自身の価値表現の材料にする。商品Aの価値は、このように商品Bの使用価値で表現されて、相対的価値の形態をもつのである」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.102」国民文庫)

古代の公開処刑は華々しい。アープレーイユスは「興行・見せ物」と書く。さらに驢馬のルキウスと女性死刑囚との性交中、演技場内に猛獣が解き放たれることになっているためか「官能的な見せ物」ともいう。その意味はあながち的外れとも思われない。ニーチェはいう。

「残酷さは、置きかえられていっそう精神的となった一つの官能である」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・八六〇・P.478」ちくま学芸文庫)

死刑に先立って恒例の儀式が挙行される。これまで語り継がれてきた一連の古代神話の反復である。ユーピテル(ゼウス)、メルクリウス(ヘルメス)、などの名が登場する。大勢の少年少女らによる華麗な舞踏が披露される。いったん舞台装置は切り換わる。そして第一にユーノー(ヘーラー)、第二にミネルウァ(アテーナー)、第三にウェヌス(アプロディーテー)が登場する。余りにも有名な「パリスの審判」が演じられる。三人の女神はパリスの美貌と引き換えに褒賞を提示する。ユーノー(ヘーラー)は王権を司る立場から「全アジアの王」を与えると述べる。ミネルウァ(アテーナー)は知恵と軍神の立場から「数々の戦捷記念碑で輝く勇士」にしてあげようと述べる。最後にウェヌス(アプロディーテー)は愛の女神の立場から「わたしと同じほどの美女を献上しましょう」と述べる。ちなみにアプロディーテーの美神ぶりについてカール・ケレーニイは次のようなエピソードを紹介している。

「アポロンはヘルメスにこう訊ねた。『きみは黄金のアプロディテといっしょにこんなふうに縛られて寝てみたいか』。すると、彼はこう答えた。『ああ、もしそんなことが起こるとすれば、自分にはこの三倍ものいましめが必要であろう。男神だけでなく、女神もみな見ていてもよい。それでも黄金のアプロディテとなら寝てみたいものだ』」(ケレーニイ「ギリシアの神話 神々の時代・第四章・愛の大女神・P.82」中公文庫)

取引はたちまち成立する。パリスは一も二もなくウェヌス(アプロディーテー)のいう絶世の美女との交換を受諾する。驢馬のルキウスは人間の言葉がわかる。驢馬に変身する前はそもそも博識の人間だった。古代ギリシア・ローマ神話にもしっかり通じている。しかし今は死刑囚と寝床を共にするにふさわしい驢馬として扱われている。だからか、余計に義憤に駆られる。

「あの最も卑しい人間が、法廷の家畜が、いやこういったら一層ぴったりとくる、人間の着物をまとった禿鷹(はげたか)たちが、今の世のすべての裁判官たちが、自分の判決を賄賂(わいろ)と引換えに取引きしていていっこう平気なのも当然のことです。そうではありませんか、世界の開闢(かいびゃく)の頃にもうさっきの神々と人間との間の訴訟を見てもわかるとおり、その審理が特別の依怙贔屓(えこひいき)で腐敗してしまっているのですから。偉大なユーピテルの忠告によって裁判官に選ばれた田舎者の牧夫が、情欲の喜びを勘定に入れ、あの由緒ある判決を売り飛ばし、そのうえ自分と一族全体を破滅におとし入れて、恬然(てんぜん)としていたのですから」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の10・P.427」岩波文庫)

しかしどういう経緯でパリスは「自分と一族全体を破滅」させることになったのか。舞台はトロイア戦争。

「彼女(ヘカベー)に最初にヘクトールが生まれ。第二の赤児が生れようとした時、ヘカベーは燃え木を生み、これが全市に拡がって焼く夢を見た。プリアモスはこれをヘカベーより聞いて、息子のアイサコスを呼び寄せた。というのは彼は母の父メロプスより夢占いを教えられていたからである。彼はその子が国の破滅になると言って、赤児を棄てるようにと勧めた。そこでプリアモスは赤児が生れると、召使いにイーデーに連れて行って棄てるように渡した。召使いの名はアゲラーオスと言った。彼に棄てられた赤児は五日の間熊によって育てられた。そしてアゲラーオスは赤児の無事なのを見出した時、それを拾い上げて連れ行き、パリスと呼んで自分の農場で自分の子として育てた。美貌と力とによって衆に優(すぐ)れた若者となって、盗賊をうち退け、羊を守ったので、後アレクサンドロスと綽名(あだな)せられた」(アポロドーロス「ギリシア神話・第三巻・P.153~154」岩波文庫)

さらに。

「ヘクトールはエーエティオーンの娘アンドロマケーを、アレクサンドロスはケブレーン河の娘オイノーネーを娶った。彼女はレアーより予言の術を学んで、アレクサンドロスにヘレネーを求めて航海せぬようにと予言した。しかし彼を説得出来なかった時に、もし負傷した時には自分の所に来るように、彼女のみがそれを治癒することができるのだから、と言った。彼はヘレネーをスパルタより奪い去り、トロイアーが攻められている間にピロクテーテースにヘーラクレースの弓で射られた時に、イーデー山上のオイノーネーの所へ帰って行った。しかし彼女は怨みを忘れず、治癒を拒んだので、アレクサンドロスはトロイアーに運ばれる途中死んだ。オイノーネーは後悔して薬を持って行ったが、彼が死骸となっているのを見出(みいだ)した時に、自ら縊(くび)れた」(アポロドーロス「ギリシア神話・第三巻・P.155」岩波文庫)

そうしてアカイアは優勢に立ちトロイアは壊滅した。といってもパリス一人がよくないというわけではけっしてない。ただ、トロイア壊滅の要因の一つとして、パリスの奢りと神との取引が、事態を完全に誤った方向へ置き換えたということを理解しておきたい。というのも、トロイヤ戦争自体、史実なのかどうか、実ははっきりしていないということがあるので。差し当たり、アイスキュロスによるギリシア悲劇参照。

「アガメムノン まず第一に私のつとめは、このアルゴスと、ところの神祇(しんぎ)に挨拶をいたすこと、その神々こそわれらの帰国と、またプリアモスの都に対しわれらが加えた正しい報復(しかえし)に、力を貸し給うたのだ。口舌によらぬ正義の要求(もとめ)、武夫(ぶし)の死を賭けた報復、すなわちイリオンの滅亡をこそ、神々は聴きいれたまい、血みどろな器へと、みな一様に心を合わせて投票をされたのであった。反対側の容器(いれもの)には、もしやの望みが手を寄せはしたが、票を入れてはゆかれなかったので。攻め落された都は今も、煙になおそれと知られる。災厄の颱風(はやて)はいまだに生命を保ち、ともにいま息絶えなんとする灰燼は、豊かな富の残り香を立ちのぼらせる。その御礼には神々に、深く胸へと刻み込む感謝のしるしを奉らねばならぬ、あまりにも理不尽な誘惑に仕返しを遂げ、一婦人のために一国をば、アルゴスなる猛獣が滅ぼしつくしえたのだから。すなわち名だたるその若駒、楯ふりかざす兵士(つわもの)どもがすばるの星の沈むころ国を踊り出でてのこと。堡塁(とりで)の壁を跳び越えて、生肉(なまみ)を食(は)んだ獅子のごとくに、思う存分トロイアの君侯(きみ)らの血を舐(ねぶ)ったのだ」(アイスキュロス「アガメムノン」『ギリシア悲劇1・P.162~163』ちくま文庫)

こうもある。

「カサンドラ ああ、なんていう婚礼か、パリスの婚礼は。いとしい者らに破滅をもたらして」(アイスキュロス「アガメムノン」『ギリシア悲劇1・P.182』ちくま文庫)

さて、熊楠が「山婆の髪の毛」と俗称されていた粘菌に関し触れている文章について述べた。古代ギリシアとどう関係があるのか。地中海沿岸はおそらく世界で最も早くリゾームの原型が出来上がった世界だからだ。リゾームは樹木(ツリー)ではなくただ単なる根でもない。脱中心的システムのことだ。古代ギリシアは地中海を巡って、海において、世界で最も早く平滑空間を出現させた。歴史上最も早く平滑空間を実現させたのは海という条件である。また山婆とは何かについて。黄泉の国を介して始めて出現することができる、水と森と磐座との原始的な、途方もなく長く深い関係並びにそのイニシエーションの意味を与えられた永劫回帰の原理に着目し、日本書紀の記述を引用しつつ述べた。なぜなら問題は、ここでも古代ギリシアと同じく、海路並びに中心の場所移動だからである。さらにこの短い論考の中に、もう一つ着目しておきたい言葉が用いられている。「金色の鬚(ひげ)」。熊楠が調べてみたところ、その粘菌の種類は専門書にある通りすぐにわかった。

「前年田辺の人より近野村の深山中で黏(とりもち)を作る輩不在中に、何者かその小屋に入り、桶の蓋を打ち破り、中の黏を食い尽し、また諸処へ粘(ひつつ)けあり。それを検せんと樹に上ると、その枝に金色の鬚(ひげ)のごとく、長(たけ)八寸乃至(ないし)一尺の物散り懸かりありし、と聞く。予那智山中で始めて見し時、奇怪に思いしが、近づき取って鏡検して、たやすくそのマラスミウル属の帽菌の根様体(リゾモルフ)たるを知ったが、その後植物学会員宇井縫蔵氏が近野村で取り来たりしを貰うと、予想通りマラスミウスの傘状体(ピレウス=俗にいうキノコの傘のこと)一つ生じあった」(南方熊楠「山婆の髪の毛」『森の思想・P.327~328』河出文庫)

しかしなぜ土着の人々のあいだでは「鬚(ひげ)」と呼ばれていたのか。あるいは「鬚(ひげ)」に込められた意味とは何か。日本書紀の中で古代朝鮮半島にあった「新羅国(しらきのくに)」の名が最初に見られる箇所。スサノオとその息子・五十猛命(いたけるのみこと)が登場する。スサノオはアマテラスの機織現場を破壊した罪に問われ追放された身である。その後、二人は一度「新羅国(しらきのくに)」に赴く。そこでもまた水との関係が浮上する。

「一書に曰はく、素戔嗚尊の所行(しわざ)無状(あづき)し。故(かれ)、諸(もろもろ)の神(かみたち)、科(おほ)するに千座置戸(ちくらおきと)を以てし、遂(つひ)に逐(やら)ふ。是(こ)の時に、素戔嗚尊、其の子(みこ)五十猛神(いたけるのかみ)をを帥(ひき)ゐて、新羅国(しらきのくに)に降到(あまくだ)りまして、曾尸茂梨(そしもり)の処(ところ)に居(ま)します。乃ち興言(ことあげ)して曰(のたま)はく、『此の地(くに)は吾(われ)居(を)らまく欲(ほり)せじ』とのたまひて、遂に埴土(はに)を以て舟(ふね)に作(つく)りて、乗(の)りて東(ひむがしのかた)に渡(わた)りて、出雲国(いづものくに)の簸(ひ)の川上(かはかみ)に所在(あ)る、鳥上(とりかみ)の峯(たけ)に到(いた)る。時に彼処(そこ)に人(ひと)を呑(の)む大蛇(をろち)有り。素戔嗚尊(すさのをのみこと)、乃ち天蠅斫剣(あめのははきりのつるぎ)を以て、彼(そ)の大蛇を斬りたまふ。時に、蛇(をろち)の尾を斬りて刃(は)欠(か)けぬ。即ち擘(さ)きて視(みそなは)せば、尾の中(なか)に一(ひとつ)の神(あや)しき剣有り。素戔嗚尊の曰(のたま)はく、『此(こ)は以て吾(わ)が私(わたくし)に用ゐるべからず』とのたまひて、乃ち五世(いつよ)の孫天之葺根神(みまあまのふきねのかみ)を遣(まだ)して、天(あめ)に上奉(たてまつりあ)ぐ。此(これ)今、所謂(いはゆる)草薙剣(くさなぎのつるぎ)なり。初(はじ)め五十猛神(いたけるのかみ)、天降(あまくだ)ります時に、多(さは)に樹種(こだね)を将(も)ちて下(くだ)る。然(しか)れども韓地(からくに)に殖(う)ゑずして、尽(ことごとく)に持(も)ち帰(かへ)る。遂に筑紫(つくし)より始(はじ)めて、凡(すべ)て大八洲国(おほやしまのくに)の内(うち)に、播殖(まきおほ)して青山(あをやま)に成(な)さずといふこと莫(な)し。所以(このゆゑ)に、五十猛命(いたけるのみこと)を称(なづ)けて、有功(いさをし)の神とす。即ち紀伊国(きのくに)に所坐(ましま)す大神(おほかみ)是(これ)なり」(「日本書紀1・巻第一・神代上・第八段・P.98~100」岩波文庫)

スサノオとその息子・五十猛命(いたけるのみこと)は造船技術を持ち帰った。そして五十猛命(いたけるのみこと)は「紀伊国(きのくに)に所坐(ましま)す大神(おほかみ)」となる。水と森と磐座の国。そこからすべての命が生い茂り生死に関わる儀式が育まれてくる原点である。次の箇所ではより一層明確に「浮宝(うくたから)」=「船」との関連性が述べられる。その材料として「杉(すぎのき)」の必要性が説かれるとともに、「杉(すぎのき)」は「鬚髯(ひげ)」から生じたとされる。

「一書に曰はく、素戔嗚尊の曰(のたま)はく、『韓郷(からくに)の嶋(しま)には、是(これ)金銀(こがねしろかね)有り。若使(たとひ)吾が児の所御(しら)す国(くに)に、浮宝(うくたから)有(あ)らずは、未(いま)だ佳(よ)からじ』とのたまひて、乃ち鬚髯(ひげ)を抜(ぬ)きて散(あか)つ。即(すなは)ち杉(すぎのき)に成(な)る。又(また)、胸(むね)の毛(け)を抜き散つ。是(これ)、檜(ひのき)に成る。尻(かくれ)の毛は、是柀(まき)に成る。眉(まゆ)の毛は是櫲樟(くす)に成る。已(すで)にして其(そ)の用ゐるべきものを定(さだ)む。乃ち称(ことあげ)して曰(のたま)はく、『杉及(およ)び櫲樟、此(こ)の両(ふたつ)の樹(き)は、以(も)て浮宝(うくたから)とすべし。檜(ひのき)は以て瑞宮(みつのみや)を為(つく)る材(き)にすべし。柀(まき)は以て顕見蒼生(うつしきあをひとくさ)の奥津棄戸(おきつすたへ)に将(も)ち臥(ふ)さむ具(そなへ)にすべし。夫(そ)の噉(くら)ふべき八十木種(やそこだね)、皆(みな)能(よ)く播(ほどこ)し生(う)う』とのたまふ。時に、素戔嗚尊(すさのをのみこと)の子(みこ)を、号(なづ)けて五十猛命(いたけるのみこと)と曰(まう)す。妹(いろも)大屋津姫命(おほやつひめのみこと)。次(つぎ)に柧津姫命(つまつひめのみこと)。凡(すべ)て此の三(みはしら)の神(かみ)、亦(また)能(よ)く木種(こだね)を分布(まきほどこ)す。即ち紀伊国(きのくに)に渡(わた)し奉(まつ)る。然(しかう)して後(のち)に、素戔嗚尊、熊成峯(くまなりのたけ)に居(い)まして、遂(つひ)に根国(ねのくに)に入(い)りましき」(「日本書紀1・巻第一・神代上・第八段・P.100~102」岩波文庫)

造船、水、鬚髯(ひげ)、杉(すぎのき)。この箇所もまた「紀伊国(きのくに)」で着地しているところがポイントと言える。

BGM