ラテン語の動物への生成がある。それを実践するのはバーナードだ。
「『口にしていると語尾が左右にはねる』バーナードが言った。『尻尾をふるんだ。尻尾をばたばたさせる。群がって空気をくぐって動いていく。こっちへ行ったり、あっちへ行ったり。一緒にかたまって動いてみたり、わかれてみたり、又一緒になる』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.18」角川文庫)
次もバーナード。彼は仲間のうちでだんだん特権的で一般的な貨幣と化してくるかのように見える。しかしそれもパーシバルが登場するまでに限られているが。ともかく強度において仲間たちの少しばかり高みを保持しているようにおもえる。
「『いろんなものがひどく巨きいかひどく小さい。花の茎は樫の木のように厚ぼったい。木の葉は巨大な寺院の天蓋がようだ。僕たちは巨人で、ここに横になっているが、森をふるえさすことができる』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.20」角川文庫)
バーナードは「僕たちは巨人」だという。彼の想像界の中では「木の葉は」すなわち「巨大な寺院の天蓋」だ。
彼らの上から木洩れ陽が漏れ落ちて多彩に振る舞うとき、それを地肌に受けてジニーはこういう。
「『わたしの手は蛇の皮』ーーー『あなたの顔は下に網をはられた林檎の木』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.21」角川文庫)
多彩なのは木洩れ陽だろうか、それともバーナードとジニーの身体のほうだろうか。このようなときに起こっていることをニーチェは「視覚の二重性」といっている。
「《視覚の二重性》。ーーー君の足もとの水面に突然震動が生じて鱗(うろこ)状の波が走るのと同じように、人間の眼にもそういう不確実さや曖昧さが突然生じることがある。そういうときわれわれは自問する、これは戦慄だろうか?微笑だろうか?それともその両方だろうか?と」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第二部・漂泊者とその影・二四八・P.447」ちくま学芸文庫)
ネヴィルはいう。ネヴィルはどうも堅固なものに信念を置きたがるタイプのようだ。
「僕たちはみんな、林檎の木で、通れない執念のこもった木」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.22」角川文庫)
というのは、「僕の生命の小波などは役にも立たなかった」かららしい。さぞかし悔しい経験だったのだろう。ところでローダは壮大な想像界を語る。
「『私の中から魂が抜け出せるわ。高い波の中を航海するわたしの艦隊を考えることができるわ。はげしい接触や衝突の心配はないわ。一人で白い絶壁の下を航海するんだわ。でも沈んでいく、落ちていく!あれは戸棚の隅だし、あれは子供部屋の鏡台だわ。でもそれらが拡がって長くなる。睡りの黒い羽毛の中へ沈んでいくんだわ。あつぼったい羽根がわたしの眼を圧えつけるの。暗闇の中をさまよってると拡がった花壇が見えるわ。ミセス・カンスタブルがパンパス草の隅のうしろから走ってきて、伯母さんが馬車でわたしを連れ戻しに来たって言いに来るわ。舞い上って、逃げるの。ばねの踵のついた靴をはいて木の頂へ飛び昇るの。でも玄関の扉のところにいる馬車の中へ落ちこんでいくわ。伯母さんが黄色い防止の羽根飾りをうなずかせながら坐っているわ。眼を滑かに光る大理石のようにつめたくして。ああ、夢から覚めたい!あら、衣裳箪笥があるわ。こんな海の水から逃げ出したいわ。波がどんどんわたしの上に積み重なってくるの。大きな波の肩の間でわたしをもみ洗い、向きを変えさせ、ひっくりかえされるの。手足が延びていくの。長い光の中で、長い波の中で、果しない小径の中で、人がどんどんつづいていく、つづいていく』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.25」角川文庫)
ローダのいう「高い波の中を航海するわたしの艦隊」。始めは「水を張った水盤に浮かべた花弁」に過ぎなかったのだが、しかしこの一挙性にこそ子どもたちの夢があり、ということは、子どもたちがしばしば起こしがちな残酷さの発露もある。さて、「波がどんどんわたしの上に積み重なってくるの。大きな波の肩の間でわたしをもみ洗い、向きを変えさせ、ひっくりかえされる」とある。思い出そう。ラヴクラフトが描いた夢の光景を。
「カーターは人間であり間であり、脊椎(せきつい)動物であり無脊椎動物であり、意識をもつこともありもたないこともあり、動物であり植物であった。さらに、地球上の生命と共通するものをもたず、他の惑星、他の太陽系、他の銀河、他の時空連続体の只中を法外にも動きまわるカーターたちがいた。世界から世界へ、宇宙から宇宙へと漂う、永遠の生命の胞子がいたが、そのすべてが等しくカーター自身だった。瞥見(べっけん)したもののいくつかは、はじめて夢を見るようになったとき以来、長い歳月を経ても記憶にとどめられている夢ーーーおぼろな夢、なまなましい夢、一度かぎりの夢、連続して見た夢ーーーを思いださせた。その一部には、地球上の論理では説明のつけられない、心にとり憑(つ)き、魅惑的でありながら、恐ろしいまでの馴染(なじみ)深さがあった。これが紛れもない真実であると悟ったとき、ランドルフ・カーターは至高の恐怖にとらわれ、くらめく思いがしたーーー色を失う月のもと、ふたりしてあえて忌み嫌われる古びた埋葬地に入りこみ、ただひとりだけが脱け出した、あの怖気(おぞけ)立つ夜の慄然(りつぜん)たる絶頂でさえほのめかされることもなかったような、このうえもない恐怖だった。いかなる死であれ、運命であれ、苦悩であれ、自己一体感の喪失からわきおこる不二無類の絶望をひきおこせはしない。無に没して消えうせることは安らかな忘却であるにせよ、存在感を意識しながら、その存在というものが他の存在と区別できる明確なものではないことーーーもはや自己をもってはいない存在であることーーーを知るのは、いいようもない苦悶(くもん)と恐怖の極(きわみ)にほかならない」(ラヴクラフト「銀の鍵の門を越えて」『ラヴクラフト全集6・P.132~133』創元推理文庫)
「やがて波は高さを増し、カーターの理解を深めようとして、断片となっているいまのカーターを極微の一部とする多形の実体にカーターを復帰させていた。波がカーターに告げた。宇宙のあらゆる形態はーーー四角が立方体の断面であり円が球の断面であるごとくーーー一段高い次元の類似する形態の一面が交差した結果にすぎないのだと。三次元の立方体や球は、人間が推測や夢によってしか知ることのない、四次元の類似する形態の断面ということになる。そしてこの形態も五次元の形態の断面であり、こうして次つぎと繰返していけば、原型的な無限の目眩く到達不可能な高みに達することになる」(ラヴクラフト「銀の鍵の門を越えて」『ラヴクラフト全集6・P.137~138』創元推理文庫)
ラヴクラフトの場合、SFあるいはホラーという形式を選択している。そうでなければ描くことができなかったのかもしれない。ちなみに画家のゴッホは、ラヴクラフトが小説形式で記述しているような事物と事物との関連性、いわば「不思議な関係」について、次のように述べている。
「昨日と一昨日とでガシエ嬢の肖像を描いたから、近いうち君に見せたい。ドレスはばら色、突き当りの壁は緑でオレンジ色の斑点がある。赤い絨毯(じゅうたん)にも緑の斑点があり、ピアノは濃い紫で、高さ一メートルに幅五十センチだ。僕が愉快に描いた肖像画だがーーーなかなかむつかしかった。今度は小さなオルガンに向かった所をポーズさせようと約束してくれた。君のためにも一点描くとしようーーーこの絵は細長い麦の絵と対照したらたいへんよいと思う。それで一方の画布は縦に長い桃色で、もう一方のは淡い緑と黄緑とで桃色の補色になる。しかし、まだまだ人々が互いに引き合う絵や自然の断片の一つと他の一つの間に、不思議な関係のあることを理解するまでには前途遼遠だ」(「ゴッホの手紙・下・P.272」岩波文庫)
そしてこの絵は実際に描かれた。さて、ローダが述べているような光景は延び縮みの激しい点が特徴的だ。それを数値化することはできない。ウルフが言いたかったこともここに含まれていると考えてよいようにおもう。数という名のトリック。フッサールはいっている。
「すでにガリレイのもとで、数学的な基底を与えられた理念体の世界が、われわれの日常的な生活世界に、すなわちそれだけがただ一つ現実的な世界であり、現実の知覚によって与えられ、そのつど経験され、また経験されうる世界であるところの生活世界に、すりかえられていたということは、きわめて重要なこととして注意されなければならない。このすりかえは、ただちにその後継者たち、つまり引きつづく数世紀間の物理学者たちによって相続されることになった」(フッサール「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学・P.89」中公文庫)
数学あるいは物理学によってあらゆる生活世界は可能だと考える態度である。フッサールから見ればガリレオは数学の万能性という考え方の持ち主に映って見えた。そしてこうもいう。
「物理学の、したがってまた物理学的自然の発見者ガリレイ、彼の先駆者達を無視したくないというなら、彼らの仕事を完成した発見者と言ってもよいガリレイは、《発見する天才》であると同時に《隠蔽する天才》でもあるのだ」(フッサール「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学・P.95」中公文庫)
数学や物理学がいけないと言っているわけではない。数学あるいは物理学への宗教的なまでの「信仰」は危険である。というのもそれは事物を「隠蔽する」ことができる、とフッサールは指摘する。フッサールには世界大戦に対して数学ならびに物理学が途方もない規模で貢献したことに対する反省がある。数字の万能性に対する信仰という錯覚についてはニーチェもいっていたことだが。
「《自称学問としての言語》。ーーー文化の発展に対する言語の意義は、言語において人間が他の世界に並ぶ一つの自分の世界をうちたてた、ほかの世界を土台から変えて自分がそれに君臨できるほど、それほど堅固であると考えたような一つの立脚点をうちたてた、という点にある。人間は、事物の概念や名称を《永遠の真理》であると長い期間を通じて信じてきたことによって、動物を眼下に見下ろしたあの誇りをも身につけてきたのである。じっさい彼は言語をもつことが世界の認識をもつことだと思いこんだ。言語の形成者は、自分が事物にほんの記号を与えているにすぎない、と信じるほどには謙虚でなく、むしろ彼は、事物に関する最高の知を言葉で表現したのだ、と妄想した。事実、言語は学問のための努力の第一段階なのである。ここでもまた、もっとも強い力の泉が湧きでてきた源は、《真理をみつけたという信仰》である。ずっと後になってーーー今やはじめてーーー言語を自分たちが信仰してきたためにとんでもない誤謬を流布してしまったということが、人々の意識にのぼってくる。さいわいにもあの信仰にもとづく理性の発展をふたたび逆行せしめるには、もう手遅れである。ーーー《論理学》もまた現実世界には決して相応じるもののない前提、たとえば諸事物の一致とか異なった時点における同じ事物の同一性とかいう前提にもとづいている、だがその学問は現実とは相反する信仰(そのようなものが現実世界にたしかにあるということ)によって成立したのである。《数学》に関しても事情は同様である。もしはじめから自然には決して精密な直線とかほんとうの円とか大きさの絶対的な尺度などはない、と知られていたら、数学はきっと成立していなかったであろう」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・第一章・十一・P.34~35」ちくま学芸文庫)
ローダはさらに、「私の中から魂が抜け出せるわ」と、半分はしゃぎ半分おそれる。身体から或る一定の強度が失われていく感覚。モンテーニュはそれを「各瞬間ごとに自分から抜け出て行くような」と述べた。「健康に恵まれている」にもかかわらず。
「死の想像ほどいつも私の心を占めていたものは他にない。私の生涯のもっとも放縦な時期にも、婦人たちにまじって遊んでいる私を見て、人々は何かの嫉妬か、はかない希望にひとりで思いふけっていると考えたのだが、実はそのときの私は、誰であったか、数日前、こういう宴会からの帰り道に、私と同じようにふしだらな夢想や、恋や、楽しい時のことで頭をいっぱいにしているところを、突然熱病と死に襲われた人のことを思い、同じことが私の耳もとにさし迫っているのだと考えていたのだった。こう考えたからといってべつに眉をひそめたわけではない。誰しもはじめのうちはそういう想像の痛みを感ぜずにはいられない。しかしそれをいじくり廻し、思い浮かべていると、長い間には、かならず手なずけてしまうものだ。そうでなければ、私は絶えず死の恐怖と妄想にとりつかれたことであろう。なぜなら、私くらい自分の生命を信用せず、自分の寿命を当てにしなかった者はいないからだ。私はこれまで非常に頑健でほとんど中断されたことのない健康に恵まれているけれども、その健康も長生きの希望を延ばしてはくれないし、病気もそれを縮めはしない。私は各瞬間ごとに自分から抜け出て行くような気がしている」(モンテーニュ「エセー1・P.160~161」岩波文庫)
モンテーニュはそう考えた。しかし「波」のモチーフは寄せては返す生の永劫回帰、あるいは死のイメージばかりを暗示しているだけではない。リズムとしての「波」に着目しなくてはならない。
「楽音が自然の音よりいっそう強力に作用するのは、自然が感情を表現するだけにとどまるのに対して、音楽は感情を私たちに暗示するからだ。詩の魅力はどこからくるのだろうか。詩人とは彼の心のなかで感情をイメージへ発展させ、イメージそのものをリズムに適した言葉へと生育させて、感情を読み取れるようにするひとのことだ。眼の前をこれらのイメージが通り過ぎるのを見て、私たちの方は、それらのイメージがその言わば情動的等価物であったような感情を体験することになろう。しかし、これらのイメージは、リズムの規則的な運動なしでは、私たちにとってさほど強力に理解されることはないだろう。私たちの心をあやし、眠らせたあげく、夢のなかでのように自分を忘れさせて詩人とともに考えたり見るようにさせるのは、リズムなのである」(ベルクソン「時間と自由・P.27~28」岩波文庫)
残念なのは、ローダが女性の身体という有機体の拘束から「抜け出す」ことではなく、女性の身体のまま自分自身を肯定できる社会的環境がなかったということだ。男女間格差があらかじめ設定されているところで仮に「勝利」したとしても本音で喜ぶ男性はそれほどいないようにおもわれるのだが。そうではなかったようだ。
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「『口にしていると語尾が左右にはねる』バーナードが言った。『尻尾をふるんだ。尻尾をばたばたさせる。群がって空気をくぐって動いていく。こっちへ行ったり、あっちへ行ったり。一緒にかたまって動いてみたり、わかれてみたり、又一緒になる』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.18」角川文庫)
次もバーナード。彼は仲間のうちでだんだん特権的で一般的な貨幣と化してくるかのように見える。しかしそれもパーシバルが登場するまでに限られているが。ともかく強度において仲間たちの少しばかり高みを保持しているようにおもえる。
「『いろんなものがひどく巨きいかひどく小さい。花の茎は樫の木のように厚ぼったい。木の葉は巨大な寺院の天蓋がようだ。僕たちは巨人で、ここに横になっているが、森をふるえさすことができる』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.20」角川文庫)
バーナードは「僕たちは巨人」だという。彼の想像界の中では「木の葉は」すなわち「巨大な寺院の天蓋」だ。
彼らの上から木洩れ陽が漏れ落ちて多彩に振る舞うとき、それを地肌に受けてジニーはこういう。
「『わたしの手は蛇の皮』ーーー『あなたの顔は下に網をはられた林檎の木』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.21」角川文庫)
多彩なのは木洩れ陽だろうか、それともバーナードとジニーの身体のほうだろうか。このようなときに起こっていることをニーチェは「視覚の二重性」といっている。
「《視覚の二重性》。ーーー君の足もとの水面に突然震動が生じて鱗(うろこ)状の波が走るのと同じように、人間の眼にもそういう不確実さや曖昧さが突然生じることがある。そういうときわれわれは自問する、これは戦慄だろうか?微笑だろうか?それともその両方だろうか?と」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第二部・漂泊者とその影・二四八・P.447」ちくま学芸文庫)
ネヴィルはいう。ネヴィルはどうも堅固なものに信念を置きたがるタイプのようだ。
「僕たちはみんな、林檎の木で、通れない執念のこもった木」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.22」角川文庫)
というのは、「僕の生命の小波などは役にも立たなかった」かららしい。さぞかし悔しい経験だったのだろう。ところでローダは壮大な想像界を語る。
「『私の中から魂が抜け出せるわ。高い波の中を航海するわたしの艦隊を考えることができるわ。はげしい接触や衝突の心配はないわ。一人で白い絶壁の下を航海するんだわ。でも沈んでいく、落ちていく!あれは戸棚の隅だし、あれは子供部屋の鏡台だわ。でもそれらが拡がって長くなる。睡りの黒い羽毛の中へ沈んでいくんだわ。あつぼったい羽根がわたしの眼を圧えつけるの。暗闇の中をさまよってると拡がった花壇が見えるわ。ミセス・カンスタブルがパンパス草の隅のうしろから走ってきて、伯母さんが馬車でわたしを連れ戻しに来たって言いに来るわ。舞い上って、逃げるの。ばねの踵のついた靴をはいて木の頂へ飛び昇るの。でも玄関の扉のところにいる馬車の中へ落ちこんでいくわ。伯母さんが黄色い防止の羽根飾りをうなずかせながら坐っているわ。眼を滑かに光る大理石のようにつめたくして。ああ、夢から覚めたい!あら、衣裳箪笥があるわ。こんな海の水から逃げ出したいわ。波がどんどんわたしの上に積み重なってくるの。大きな波の肩の間でわたしをもみ洗い、向きを変えさせ、ひっくりかえされるの。手足が延びていくの。長い光の中で、長い波の中で、果しない小径の中で、人がどんどんつづいていく、つづいていく』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.25」角川文庫)
ローダのいう「高い波の中を航海するわたしの艦隊」。始めは「水を張った水盤に浮かべた花弁」に過ぎなかったのだが、しかしこの一挙性にこそ子どもたちの夢があり、ということは、子どもたちがしばしば起こしがちな残酷さの発露もある。さて、「波がどんどんわたしの上に積み重なってくるの。大きな波の肩の間でわたしをもみ洗い、向きを変えさせ、ひっくりかえされる」とある。思い出そう。ラヴクラフトが描いた夢の光景を。
「カーターは人間であり間であり、脊椎(せきつい)動物であり無脊椎動物であり、意識をもつこともありもたないこともあり、動物であり植物であった。さらに、地球上の生命と共通するものをもたず、他の惑星、他の太陽系、他の銀河、他の時空連続体の只中を法外にも動きまわるカーターたちがいた。世界から世界へ、宇宙から宇宙へと漂う、永遠の生命の胞子がいたが、そのすべてが等しくカーター自身だった。瞥見(べっけん)したもののいくつかは、はじめて夢を見るようになったとき以来、長い歳月を経ても記憶にとどめられている夢ーーーおぼろな夢、なまなましい夢、一度かぎりの夢、連続して見た夢ーーーを思いださせた。その一部には、地球上の論理では説明のつけられない、心にとり憑(つ)き、魅惑的でありながら、恐ろしいまでの馴染(なじみ)深さがあった。これが紛れもない真実であると悟ったとき、ランドルフ・カーターは至高の恐怖にとらわれ、くらめく思いがしたーーー色を失う月のもと、ふたりしてあえて忌み嫌われる古びた埋葬地に入りこみ、ただひとりだけが脱け出した、あの怖気(おぞけ)立つ夜の慄然(りつぜん)たる絶頂でさえほのめかされることもなかったような、このうえもない恐怖だった。いかなる死であれ、運命であれ、苦悩であれ、自己一体感の喪失からわきおこる不二無類の絶望をひきおこせはしない。無に没して消えうせることは安らかな忘却であるにせよ、存在感を意識しながら、その存在というものが他の存在と区別できる明確なものではないことーーーもはや自己をもってはいない存在であることーーーを知るのは、いいようもない苦悶(くもん)と恐怖の極(きわみ)にほかならない」(ラヴクラフト「銀の鍵の門を越えて」『ラヴクラフト全集6・P.132~133』創元推理文庫)
「やがて波は高さを増し、カーターの理解を深めようとして、断片となっているいまのカーターを極微の一部とする多形の実体にカーターを復帰させていた。波がカーターに告げた。宇宙のあらゆる形態はーーー四角が立方体の断面であり円が球の断面であるごとくーーー一段高い次元の類似する形態の一面が交差した結果にすぎないのだと。三次元の立方体や球は、人間が推測や夢によってしか知ることのない、四次元の類似する形態の断面ということになる。そしてこの形態も五次元の形態の断面であり、こうして次つぎと繰返していけば、原型的な無限の目眩く到達不可能な高みに達することになる」(ラヴクラフト「銀の鍵の門を越えて」『ラヴクラフト全集6・P.137~138』創元推理文庫)
ラヴクラフトの場合、SFあるいはホラーという形式を選択している。そうでなければ描くことができなかったのかもしれない。ちなみに画家のゴッホは、ラヴクラフトが小説形式で記述しているような事物と事物との関連性、いわば「不思議な関係」について、次のように述べている。
「昨日と一昨日とでガシエ嬢の肖像を描いたから、近いうち君に見せたい。ドレスはばら色、突き当りの壁は緑でオレンジ色の斑点がある。赤い絨毯(じゅうたん)にも緑の斑点があり、ピアノは濃い紫で、高さ一メートルに幅五十センチだ。僕が愉快に描いた肖像画だがーーーなかなかむつかしかった。今度は小さなオルガンに向かった所をポーズさせようと約束してくれた。君のためにも一点描くとしようーーーこの絵は細長い麦の絵と対照したらたいへんよいと思う。それで一方の画布は縦に長い桃色で、もう一方のは淡い緑と黄緑とで桃色の補色になる。しかし、まだまだ人々が互いに引き合う絵や自然の断片の一つと他の一つの間に、不思議な関係のあることを理解するまでには前途遼遠だ」(「ゴッホの手紙・下・P.272」岩波文庫)
そしてこの絵は実際に描かれた。さて、ローダが述べているような光景は延び縮みの激しい点が特徴的だ。それを数値化することはできない。ウルフが言いたかったこともここに含まれていると考えてよいようにおもう。数という名のトリック。フッサールはいっている。
「すでにガリレイのもとで、数学的な基底を与えられた理念体の世界が、われわれの日常的な生活世界に、すなわちそれだけがただ一つ現実的な世界であり、現実の知覚によって与えられ、そのつど経験され、また経験されうる世界であるところの生活世界に、すりかえられていたということは、きわめて重要なこととして注意されなければならない。このすりかえは、ただちにその後継者たち、つまり引きつづく数世紀間の物理学者たちによって相続されることになった」(フッサール「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学・P.89」中公文庫)
数学あるいは物理学によってあらゆる生活世界は可能だと考える態度である。フッサールから見ればガリレオは数学の万能性という考え方の持ち主に映って見えた。そしてこうもいう。
「物理学の、したがってまた物理学的自然の発見者ガリレイ、彼の先駆者達を無視したくないというなら、彼らの仕事を完成した発見者と言ってもよいガリレイは、《発見する天才》であると同時に《隠蔽する天才》でもあるのだ」(フッサール「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学・P.95」中公文庫)
数学や物理学がいけないと言っているわけではない。数学あるいは物理学への宗教的なまでの「信仰」は危険である。というのもそれは事物を「隠蔽する」ことができる、とフッサールは指摘する。フッサールには世界大戦に対して数学ならびに物理学が途方もない規模で貢献したことに対する反省がある。数字の万能性に対する信仰という錯覚についてはニーチェもいっていたことだが。
「《自称学問としての言語》。ーーー文化の発展に対する言語の意義は、言語において人間が他の世界に並ぶ一つの自分の世界をうちたてた、ほかの世界を土台から変えて自分がそれに君臨できるほど、それほど堅固であると考えたような一つの立脚点をうちたてた、という点にある。人間は、事物の概念や名称を《永遠の真理》であると長い期間を通じて信じてきたことによって、動物を眼下に見下ろしたあの誇りをも身につけてきたのである。じっさい彼は言語をもつことが世界の認識をもつことだと思いこんだ。言語の形成者は、自分が事物にほんの記号を与えているにすぎない、と信じるほどには謙虚でなく、むしろ彼は、事物に関する最高の知を言葉で表現したのだ、と妄想した。事実、言語は学問のための努力の第一段階なのである。ここでもまた、もっとも強い力の泉が湧きでてきた源は、《真理をみつけたという信仰》である。ずっと後になってーーー今やはじめてーーー言語を自分たちが信仰してきたためにとんでもない誤謬を流布してしまったということが、人々の意識にのぼってくる。さいわいにもあの信仰にもとづく理性の発展をふたたび逆行せしめるには、もう手遅れである。ーーー《論理学》もまた現実世界には決して相応じるもののない前提、たとえば諸事物の一致とか異なった時点における同じ事物の同一性とかいう前提にもとづいている、だがその学問は現実とは相反する信仰(そのようなものが現実世界にたしかにあるということ)によって成立したのである。《数学》に関しても事情は同様である。もしはじめから自然には決して精密な直線とかほんとうの円とか大きさの絶対的な尺度などはない、と知られていたら、数学はきっと成立していなかったであろう」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・第一章・十一・P.34~35」ちくま学芸文庫)
ローダはさらに、「私の中から魂が抜け出せるわ」と、半分はしゃぎ半分おそれる。身体から或る一定の強度が失われていく感覚。モンテーニュはそれを「各瞬間ごとに自分から抜け出て行くような」と述べた。「健康に恵まれている」にもかかわらず。
「死の想像ほどいつも私の心を占めていたものは他にない。私の生涯のもっとも放縦な時期にも、婦人たちにまじって遊んでいる私を見て、人々は何かの嫉妬か、はかない希望にひとりで思いふけっていると考えたのだが、実はそのときの私は、誰であったか、数日前、こういう宴会からの帰り道に、私と同じようにふしだらな夢想や、恋や、楽しい時のことで頭をいっぱいにしているところを、突然熱病と死に襲われた人のことを思い、同じことが私の耳もとにさし迫っているのだと考えていたのだった。こう考えたからといってべつに眉をひそめたわけではない。誰しもはじめのうちはそういう想像の痛みを感ぜずにはいられない。しかしそれをいじくり廻し、思い浮かべていると、長い間には、かならず手なずけてしまうものだ。そうでなければ、私は絶えず死の恐怖と妄想にとりつかれたことであろう。なぜなら、私くらい自分の生命を信用せず、自分の寿命を当てにしなかった者はいないからだ。私はこれまで非常に頑健でほとんど中断されたことのない健康に恵まれているけれども、その健康も長生きの希望を延ばしてはくれないし、病気もそれを縮めはしない。私は各瞬間ごとに自分から抜け出て行くような気がしている」(モンテーニュ「エセー1・P.160~161」岩波文庫)
モンテーニュはそう考えた。しかし「波」のモチーフは寄せては返す生の永劫回帰、あるいは死のイメージばかりを暗示しているだけではない。リズムとしての「波」に着目しなくてはならない。
「楽音が自然の音よりいっそう強力に作用するのは、自然が感情を表現するだけにとどまるのに対して、音楽は感情を私たちに暗示するからだ。詩の魅力はどこからくるのだろうか。詩人とは彼の心のなかで感情をイメージへ発展させ、イメージそのものをリズムに適した言葉へと生育させて、感情を読み取れるようにするひとのことだ。眼の前をこれらのイメージが通り過ぎるのを見て、私たちの方は、それらのイメージがその言わば情動的等価物であったような感情を体験することになろう。しかし、これらのイメージは、リズムの規則的な運動なしでは、私たちにとってさほど強力に理解されることはないだろう。私たちの心をあやし、眠らせたあげく、夢のなかでのように自分を忘れさせて詩人とともに考えたり見るようにさせるのは、リズムなのである」(ベルクソン「時間と自由・P.27~28」岩波文庫)
残念なのは、ローダが女性の身体という有機体の拘束から「抜け出す」ことではなく、女性の身体のまま自分自身を肯定できる社会的環境がなかったということだ。男女間格差があらかじめ設定されているところで仮に「勝利」したとしても本音で喜ぶ男性はそれほどいないようにおもわれるのだが。そうではなかったようだ。
BGM