二〇二四年十一月二十七日(水)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝ごはんの後に玄関見たらぬいぐるみが放ったらかしてあったけど、あれは前にタマが言ってたように日向ぼっこさせてあげてるわけ?
そうさ。ぬいぐるみには毎朝欠かさず日向ぼっこさせてあげる。文句ひとつ言わないからきっと喜んでくれてるに違いないと思ってるんだ。
その後でタマは二階の和室で日向ぼっこしてる。日課みたいなものなのかな。
畳の部屋が好きなんだ。冬でも和室に注ぎ込んでくる午前中の日差しはとっても気持ちいい。
見てて思うんだけさ、な~んも考えてないふうに見える。
日向ぼっこは考えてやるもんじゃないよ。飼い主が持ってる医療系書籍とかこっそり覗くと見かける恍惚って言えばいいのかな、な~んも考えてないよ。日向ぼっこはもちろん、お腹を見せて床にごろんと横になってのび~ってしてる時とかもそんな感じ。途中で恍惚したまましばらくな~んも考えてないことなんてしょっちゅうさ。三秒ほどではたと我に帰る。
その断続性が動物独特のとてもいい特権だね。
そうなの?でもなんでそんなにいいのかわかんない。
端末に常時接続された多くの人々はほどよい刺激に常に晒されているうちに見る見る「うつ病的快楽主義」に陥ってしまう。タマには言ってなかったか。簡単な話さ。
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すべての国民を巨大政財官界が理想とするような「うつ病状態」に保っておくためには「小さな快楽」、「ちょうどいいくらいの快楽」の時間を「継ぎ目」なく与えておくのがいい。新自由主義下では常にこのような操作がとりわけマス-コミや端末を通して機能しているというわけだ。
外出しているにもかかわらずその主体は外と接してはおらず逆に端末と接しているのであり、極めて小さな自分たちだけの世界に引きこもってばかり。一時避難としての引きこもりとは全然ない。常時引きこもりのうちに「小さな快楽」を絶え間なく与えられることによって「うつ病的快楽主義」に陥る。しかもそのほとんどは無意識的なレヴェルに留まったまま意識にのぼってくることはない。資本にとってこれほど操りやすい国民はまたとない。
騒々しいアメリカとはまた違いどこへ行っても「階級」というものの存在に直面せざるを得ないイギリスでは先進諸国の中でも気づくのが速かったと言えるかもしれない。ところが日本でもここまで階級格差が目に見えて巨大化してくると徐々に「階級」の実在にもかかわらずなぜそれが政治問題化されないままなのかという問いに気づく人々も出てくるのである。
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ソフトな「洗脳」状態に常に置かれるってわけ?飼い主がたまに口にする言葉でいえば。
そう。マス-コミ報道はほとんど見てないからよくわかんないだけどね、ネットとかでは今頃になって幾つか大学を拠点とするSFC構想に問題の焦点があるのではとか言い出してる。一度大々的に問題化したにもかかわらず。
SFCって?
イスラエルの軍事企業が殺人ロボットの開発に成功したニュースは有名だよね。あれが高性能テクノロジーの人間化のひとつのモデルケースだとすればSFCの狙いは高性能テクノロジーを利用した人間の端末機械化的ソリューション。常時端末と接続され露骨な「洗脳」を「洗脳」と思わせないソフトな「洗脳」状態で育った人間は自分がすでに「洗脳済み」だってことになかなか気づかない。情報工学戦略やメディア工学戦略を脳科学の成果を通して幼少期から常に脳内にインストールされてくわけだから。
むむ。
人間に似せた殺人ロボットだと見た目にもわかりやすいじゃん。やることなすこと派手だし。逆にどこからどう見ても人間の場合ならそれが子どもの頃からとっくの昔に「洗脳済み」で自動機械化された擬似ロボットになりきってるとは気づきにくい。政財官界とその広報を担ってきたマス-コミが一九八〇年代末頃から進めてきた一億総カルト化構想だとはもっと気づきにくい時代になった。今や人間の子どもたちは面白いほど政財官界の実験動物と化してる。少なくとも一九八〇年代後半から一九九〇年代前半に大学在学中だった人間なら誰でも知ってることさ。日本のロスジェネ世代なんてもう暗澹たる生涯しか残されていないことに嫌でも向き合わないといけないことになって馬鹿げた「クラインの壺」型社会からどんどん降りたし。
ロスジェネ世代さんてなぜだか保護猫保護犬さんにやさしいって聞いてるけど。
結果的にそういうこともようやく表面化してきたね。今頃になって。けど総合情報学部とか人間工学研究とかが本格始動した頃ってのはね、タマの飼い主はまだ大学在学中だったからその議論のおぞましい中身を見てる。賛否をめぐって日本中の大学機関が真っ二つに割れて論争してた時期があったのさ。
人間工学?
生身の人間を生身の人間のまま人間の脳を操り人形みたいに加工・変造してしまう技術の研究って感じかな。人造人間というに近いけどロボットじゃない。政財官界のやりたいように幼少期のうちから操り人形ならぬ端末機械人間へ製造加工して世の中に送り出す。これじゃあね、ただ単に人情に訴えるばかりの浪花節めいたヒューマニズムでは全然対抗できない。洗脳された脳を解凍するところから始めないといけない。でもそのためのスキルの蓄積はあるんだ、アメリカはもちろん持ってるんだけど日本や中国もお国事情に応じて持ってる。カルト脱会運動や依存症治療の成果としてね。とっても根気のいる取り組みで時間も人材もかかるんだけど。
そうなんだ。クリエーションとか言ってて実は人間自身をソリューソン機械にかけて人体実験し続けるってことなのかな。猫としては信じがたいけど。でも機械の開発速度のほうが断然速いかも。
ところが肝心な点は政財官界の推し進めてる構想自体のカルト性にある。カルト的であればあるほどそこへ注ぎ込むお金も高額になってくるし借金額も目が飛び出しそうなほどになってくる。で全財産を持っていかれたところで気づくわけ。あ、ボクたちワタシたち、もしかして騙されてた?ってね。気づきとも底つき体験とも呼ばれるんだけど強力なカルトほど高額で借金額もうなぎ上りだからどん底に突き落とされた時点で気づく人々は逆に速いし多くもなるんだな。
気づいた、しまった、と思ってもじゃあどうしたらいいの?
被害者の側の運動ってのはね、ほら先日あっただろ。被団協のノーベル賞受賞。
聞いたよ。
さらに地球にかかる負荷が地球を崩壊させるところまで来たらどうなるか。国際宇宙ステーション作ってる途中なんだけど途中で地球自体が暴発しちゃたってなるとその瞬間宇宙開発不動産戦争は止まる。先を見据えてると今のオルタナティヴってのが音楽や映画とかも含めてね、どれほど重要かってこともわかってくると思うよ。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ロイ・ハーグローヴ。”Habana”と同時期に録音された未発表アルバムらしい。”Habana”は出世作になったわけだが当時のジャズのお手本的な感じで持ち上げられた印象。しかし今回の未発表作品集はより一層カリビアンな風味。ラテン・ジャズというひと言では括りきれないファンク系やちょっと懐かしめのアフロ・キューバン系も含め広く味わい深い。
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