最近、殊更に思うのは「絶対的な時間不足」です。雑多で煩雑なことがあまりにも多く、「忙殺」という言葉を身をもって実感する毎日です。中島敦「山月記」の主人公、李徴が独白する「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すにはあまりに短い」(*1)という警句の如くに、何もできぬまま日々が過ぎていくようです。しかし、そんな状態でも「忙中閑」とでも言うべき時間帯もあったりで、でもそういう時間もなければ息が詰まってしまうのも確かで、そのバランスが難しいのでありましょう。とはいえ、歳を経る毎に24時間は物理的には同じでも感覚的には短くなっているので、やはり時間の無駄遣いは減らしたいところ、「あたかも一万年も生きるかのように行動するな」(*2)という、マルクス・アウレーリウスの章句を諳んじつつ、密度の濃い時間を創っていきたいと思っています。
(*1)「李綾・山月記」新潮文庫 p14
(*2)「自省録」岩波文庫 p55
(*1)「李綾・山月記」新潮文庫 p14
(*2)「自省録」岩波文庫 p55