ボウリングの団体本部から被災支部に義捐金が配分されるとの事。預かったのは良いのですがまだ行き先不明な会員がいるので、町役場を経由し連絡を乞いました。運よく相手も気にしていてくれたところで。遠く会津若松市から訪ねてきてくれました。久しぶりの再会に涙です。子どもたちも「大きくなって~」と本当に一安心。聞けば震災当時職場は自宅から離れており、状況がつかめず情報もなく、心配なので帰宅をしてみたらまさに「ゴーストタウン」全町民の避難後だったので役場も避難所に指定されている学校なども無人。たまたま道を歩いていた人と話し合い「西へ逃げた」と情報を得て、まず近場の田村市から避難所めぐりをしたそうです。結果無事に家族と再会合流でき、無事に仮設住宅にも入居で来て今は一安心だとか。もう仕事をする気もないし、年金と補償金でなんとか息つくしかないよねとの事。息子さんは三重県で仕事を見つけ、引っ越すとか。県内では雇用がうまくいかないのでしかたない。放射能の心配もあるので、諦めたとか。それに子供はやはり親元にいるのが一番です。
仮設のプランターで栽培したトマトを土産に貰いました。
この人の自宅は原発から二キロ圏内。建屋が見える位置にあるらしく、もうあきらめたとか。年齢もいっているし、再建は不可能だとあきらめムード。国が代替え土地を提供し新たな街を作ってくれるというならまだ別の話。同じように10キロ圏内、もしかしたら20キロ圏内の汚染がひどい地区は二年以上戻れないのは明白。
聞けば今は夫婦二人で2Kで頑張っているとか。6畳と4畳半、とキッチン。これはかなり狭い。荷物を収納できないので本当にこれからどうしようかと思うと困惑しています。まして、慣れない土地、慣れない自治会。寝たきりになって家から出ない人も多くなったとか。無理やり役目を決めて動かすという仕事を与えてなんとかコミュニティーを守ると懸命に町も動いているとか。大熊町は割合まとまっているので出来ることですね。双葉町は埼玉県と福島県に分かれてしまっているので、行政がうまくいかないらしい。県内に残された住民は復興に向けて頑張るつもりなのに、埼玉に居たら何もできないじゃないかと怒っています。一朝一夕にはできないでしょうがやはり県内に役場の支所を置くべきですよね。出ないと何も始まらない。
これから冬になり雪が降ったら大変だよねと話しました。何しろ浜通りとは全然気候が違うので扇風機も手に入らない時期には本当に困ったとか。最大で避難所を10か所変わった人もいるとか。確かに「一杯だから」と次々に避難所を転々としたひとは多いです。親戚の家も長くはいられない。運よく旅館や民宿ホテルなどに避難できた人は食料の確保が出来てかなり快適だったとか。でもやはり気を使うので早めに仮設住宅に移ったとか。賢明ですね。
わがまま社長に話をして、何とか給料分は動いてもらうことを検討。運よく機嫌が良かったのかスムーズに事が運んだので良かったです。
東電の本賠償に向けての説明会ですから必死です。ここで負けてはいけない。今の個人の補償だって十分とは言えない中で、中小企業はもっと悲惨。しっかり回収しないと・・・。ここは公認会計士の腕の見せ所ですよ。せっかく国家資格を持っているのですから頑張って働いてもらいたいと・・・・。何しろ私は素人ですので・・って逃げ・・・・^^;すみません。数字に弱いんです。
とにもかくにも近しい人たちの生存確認が出来て良かった~。今日は気分よく眠れそうです。