Now+here Man's Blog

Surf, Run and Trails / Endurance For Fun

失われた森を求めて

2007-11-09 22:59:21 | ThinkAbout..


アコースティックギターのつま弾きだけのコーラスだけの曲で
このアルバムは始まる。
イーグルスのハーモニーがいかに優れているか、
どれだけ凄いバンドか、この1曲が全てを語る。
夜遅い時間に、ステレオの前に座り、濃い酒を飲みながら、
外の月明かりだけで聴きたくなる。
森の話の歌だが、秋の月明かりに照らされた海を臨んで聴くとさらにいい。

とにかくオープニングから一気に作品世界に引きずり込まれる。
渋谷か新宿の交差点で、大きなスピーカーからこの曲が流れたら、
街の喧騒が一気に静寂に変わりそうだ。歩く人々が立ち止まる。

2曲目は、シングルカットされた軽快なアップテンポの
ロックンロール『HOW LONG』
ホテルカリフォルニアで、爆発的な商業成功をおさめた彼らだが、
時はもっともっと遡る。
このアルバムはホテルカリフォルニア以前の
バンドの本質的な面を見せているのではないだろうか。
『HOW LONG』はまさに『TAKE IT EASY』のころのに通じるサウンドで、
「これがオレらの音だぜ~』的なアピールがある。
バンドは確実に復活したという自信と、今後の意気込みにも感じられる。
この曲はもともと70年ライブでやられてたんだな。

DISK2ではアルバムタイトル曲でドン・ヘンリーの悲痛な歌声から始まる。
アメリカの廃退から『平和の祈り』、そして『夢のあとさき』とアルバムは終わる。

これはライナーノーツからだが、
『ホテル・カリフォルニア』を通じて、イーグルスは現代社会へ疑問を投げかけた。
30年前の出来事だ。
それは、アメリカだけや彼らの問題だけにとどまらなかった。
僕ら、ひとりひとりが砂漠に迷い、深夜ホテルに辿り着いた旅人だったわけだ。

あれから長い歳月が経ち、果たして世の中は良くなったのかと思いを巡らす。
彼らの歌声は、時代が歓迎すべき通りには、時を重ねていないという現実を突きつける。

それでも、グレン・フライは、孤独な夜に別れを告げよう、
落ち込んで勝負をあきらめるときがあっても、君は一人じゃないよ、
それを伝える機会があるとは思わなかったよ、と歌う。

君は一人じゃないよ、とこれだけのことを伝えるために、
イーグルスは28年の歳月をかけて、
そしてそれだけのことを聴くために僕らは28年待ったのだ。

それは素敵なことなんだろうな、と思う秋でした とさ。


失われた森を求めて



人類の宝

2007-11-08 13:41:55 | ThinkAbout..


地球が滅びるとする。
人類は、文化をどこかの知的生命体に伝えるために、
小さなカプセルを宇宙空間に向けて発射させる。

そのカプセルには、
ビートルズの『サージェントペパー』とビーチボーイズの『ペットサウンズ』。
この2枚だけで、人類の文化がわかる。

と、アメリカの有名な科学誌か文芸誌に書かれていたことはとても有名である。

もちろん2枚とも持っている。
好き嫌い別にして彼女や子供に伝えなくてはいけない重要ファクターなのである。

さてさて。
昨日、3枚目の人類の宝となるべくCDを買った。
イーグルス『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』である。

途中、ヘル・フリーゼス・オーバーを出しているが、
その内容は再結成ライブに近いので、
実に28年振りのスタジオレコーディング。『ロング・ラン』から28年。
その源流にいる自分はとてもツイテル、と思うのである。
イーグルスの歴史に自分の歴史もフィットしているのだ。

『Take It Easy』を少年期に初めて聞き、まさにカリフォルニアが夢になった。
それからロングビーチには行けなかったものの、
ロス市内やでかくHOLLYWOODの看板がある丘。
カリフォルニアを訪ねて青い空の下に実際立った時、
少年の頭の中で再生された『Take It Easy』は、
どれほどのトキメキを与えたか用意に想像つくだろう。

定番の『HOTEL CALIFORNIA』は高校生の時、
友達の兄貴の車でほぼ拷問のようにリピートで聴かされた。
2004年10月26日の横浜でのライブで、ドン・ヘンリーが歌う『DESPERAODO』は
魂が脳天から蒸気で噴出するくらいオイラをノックアウトした。

こうやって、聴くべきときに聴けて、
そしてオイラに本当に必要な時にちゃんと再結成してくれる。
カリフォルニアの夢、湘南の夢、イーグルスである。


そういえば3年前のそのライブにはプラムと行ったのだ。
そして、昨日CDを買った帰りに彼と偶然会った。
彼とはウインドサーフ繋がりだけでなく、案外イーグルス繋がりなのだ。
もちろん一緒に飲んだ。
結局、キクリンという最近茅ケ崎に越してきた若者とその奥さん。
それとR子さんと5人になり、2時まで飲んでしまった。

朝、軽い頭痛で目覚め、CDのビニールを破り、DISK1をコンポのトレイに入れた。
そうそう、DISK2もある。2枚組21曲入りなのである。
28年振り録音が2枚組って凄い。
ビートルズ解散後にジョージがあの名盤『ALL THINGS MUST PASS』を出した。あれも2枚組だ。

1曲目はいきなりアカペラだった。
いやー、そう来ましたか! 
あのハーモニーは健在でさらに洗練され、パーフェクト。
『NEW KID IN TOWN』で泣いた人、どうぞどうぞ泣いてください!

てなわけで朝起きがけのオイラはスピーカーの前で凍り付いてしまった。

はっ!会社遅刻してしまう!シャワー急がねば!

シャワーから戻ってくると、ティモシー・B・シュミットが『あの声』で歌っている。
あちゃー!じっくりキキテー!!

まだそれしか聴いていないんだ。
とにかくしばらくはこのアルバムを聴き続けることになるだろう。

秋の夜長のイーグルス。

ALWAYS 4丁目の地蜘蛛

2007-11-03 00:25:53 | ThinkAbout..

3丁目の夕日、テレビでやっとりました。
いや~、いい映画だ。
日本の映画もええなあ。

オイラが産まれる数年前の舞台だ。
古き良き時代。OLDIES BUT GOODIES。

この映画を観ながらオイラは小学生時分を思い出した。
オイラの小学校時代の最大の思い出は、学校帰りの道草だ。

学校は駅から遠くない、どちらかといえば街の中心地にあった。
しかし、当時のことなので、まわりの道路は舗装されていても、
立ち並ぶ家々は木造の古い、しかもどの家も大きな庭があり、
なんとなく茅ヶ崎の海沿いの別荘地のようなそんな趣もあった。

いつも道草で立ち寄る一軒家があった。
見るからに廃墟に近く、幽霊屋敷みたいで庭にはお化け柳や、
ひからびた池や、コケだらけの大きな庭石があった。

その家の塀の一部が壊れていて、そこから出入り可能だったのだ。
雨戸が開いていたり閉まったりしていたので住人はいたのだろう。

何故その家の庭に侵入したかというと、
昆虫採集が高じて『地蜘蛛取り』が友達連中で流行ったからなんだ。

庭石や家の壁の地面から数センチのところに地蜘蛛の焦げ茶色の『巣』が
張り付いて地面にもぐっている。

その巣は袋状になっていて、そっと破れないように地面から引き抜くのだ。
うまく引き抜いて袋をそっと破ってやると、中から地蜘蛛がうわーっと出てくる。
それが恐ろしく気持ち悪く、その地蜘蛛を牛乳瓶に入れるのだ。

その作業を毎日学校帰りに4,5人の小学校2年のガキどもは
他人の敷地に勝手に入り込み、息を殺して作業をする。

庭にはトカゲがたくさんいて、捕獲しては翌日に、
好きな女の子の筆箱に入れたりした。
カエルを捕まえて担任の先生に渡したらたいそう喜んで、
高学年のカエルの解剖に使えるといってオイラたちは褒められた。

ある日のこと、いつも通り地蜘蛛の巣を引っ張りにその庭に入った。
みんな夢中になっていると、
突然家の中から人が出てきてオイラたち目掛けて走ってきた。
そのときの恐怖は今でも忘れない。
家の人が老人か若者か、男か女かも覚えていない。
オイラは小さな子供だったのでフランケンシュタインのような記憶がある。

オイラはいち早く敷地の外に出るため、
足を踏み入れたことのない部分を走りぬけようとした。
リーダーなオイラはみんなについて来いと言わんばかり先頭を走った。


足元は鬱蒼としていた。
突然体が、すっと下に落ちた。
肥溜めだった。

肥溜めの上は、木の枝や落ち葉で覆われていてわからなかったのだ。
なんとも言えないヌメ~っとした感じが身体を覆った。
もちろん頭まで浸かった。
肥溜めの直径は小さなものだったので、両手を縁にかけてすぐによじ登った。

友達連中は悲鳴を上げた。
誰もオイラを助けようとしなかったし、
フランケンより、クソまみれのオイラの方に恐怖を覚えたに違いない。

頭のてっぺんからつま先まで、オイラはクソと落ち葉とドロで茶色の物体と化した。
フランケンは追ってこなかった。

オイラはクソまみれになった悲しみと、逃げていった友達に失望し、
泣きながら家路についた。

すれ違う街の人々は、車の風洞実験のヒモみたいにオイラを巻きながら遠ざかった。
物凄い臭気。歩くとズックにたまった液体のクソがピチャピチャする。

当然の如く、翌日学校ではウンコマンと呼ばれることになった。

懐かしくも臭い思い出だ。
古き良き時代。

肥溜めに落ちることを思えば、台風ライドなど屁だな。

グチャグチャの顔の犬に襲われる警察官

2007-11-02 01:48:22 | ThinkAbout..
今日木曜は、すぱっと会社を休んだ。
会社では椅子に座りっぱなしで、ときには階段を上り下りし、
腰にはいいはずないので思い切って休んだ。

前日に、ウエーブする開業医K氏から心配の電話があって、
状況を説明して、容態を察知してもらった。

ヘルニアや、ナントカ性ナントカ症だと下肢がしびれるし、
仰向けの状態から足が天井に向けて上がらないそうである。
そこまでではなかったので、それなら1週間様子を見ろとのことだった。

その電話1本で精神的にだいぶ楽になった。

ただ、痛みはとれずにイライラするので会社を休んだということだ。

休んだその日、横浜へ向けて車を走らせた。
車に乗ると腰は全く痛くなかった。
江ノ島を抜けて七里を抜けて逗子から横横道路に入った。
その間、携帯で仕事の指示をしたり、指示を受けた。

帰りは南風が上がって、江ノ島では5.3くらいが走ってたな。
ドフラット。

作業は会社で、構築はプライベートで。
仕事を私事に持ち込んでるわけではない。
ウインドのことを仕事中に考えることと同じことだ。

ちょうど転職活動してから1年たつ。
腰が痛くなり、風邪を引き、胃が痛み、異常な睡魔に襲われる。
それはおそらく立ち止まって振り返ろ、ということだと思った。

19時にはベッドに横になり本を読んだり、不思議な夢を見た。
警察官の制服を着たオイラは錆びれた街の川沿いを走っている。
足の裏に道は感じない。
オイラが走ると散歩中の人や、不良中学生が、オイラと目を合わせないように下を向く。
走っていると、背後に殺気を感じる。犬だ。大型の顔がグチャグチャの死体のような犬だ。
オイラは立ち止まってコブシを握り戦闘態勢に入るのだが、そうすると犬はおとなしくなる。
またオイラが走り出すと、異様な形相で追いかけてくる。
それを何回か繰り返しオイラは目を覚ました。
汗グッショリである。

シャワーを浴びて、ビールを飲みながらまた本を読み直す。

ふとあることを考える羽目になった。
いろいろなことは行くべきところへ向かっているのだろうか?
行くべきところは正しい判断の基にある正しいところなのか?

今までは、正しい判断は正しい結果を生み、
正しくない判断は正しくない結果を生むと思っていた。

そうではないということが最近になってやっとわかってきた。

正しい判断は正しくない結果を生み、正しくない判断は正しい結果を生む。

それを、不条理というのだろうが、個々の不条理や、国の不条理や、
そういうものを包括するとバランサブルになる。
大人の世界というやつだ。

オイラはいまだにその中でバタバタするピーターパンである。

1年間を振り返ることは、自分に最も近い人を見続けることに等しくなる。
実在する不条理性を回避するには、
『我々は実際には何一つ選択していないのだ』という謙虚さで、
周到に先を読んでしたたかに進む必要はある。

結局はそれだけなのだ。

ある人が『もちろん』とか『それは大したことではない』と胸を張って答えるとする。
その根底には、不条理を理解した上に成り立つ誠意がある。
それはオイラに果てのない安堵と精神の共有を与える。

振り返ったら、それを得ていた。