私は4年前に60歳でいったん定年退職した後、再雇用で引き続き働き続けてきました。
再雇用での仕事は庶務全般に関わるもので、ひたすら黒子役に徹してきました。
定年退職の時は、あと4年間まだ仕事があるということで、感慨めいたものは全く感じませんでしたね。
でも今回は本当に退職です。なので、年明け頃から結構意識するようになっていました。
2月に入って、いよいよ最終コーナーを回ったという感じで、カウントダウン開始です。1日の過ぎるのが早くなってきていました。
そして3月、本当にあっという間でした。
フルタイム勤務ではなく金曜日が指定休の短期勤務だったので、勤務の最終は3月29日(木)となりました。
後任の方も再雇用ですが、私の担当していた仕事はまったく未経験とのこと。
このため最後の週は、毎日仕事の引継ぎに明け暮れました。最後の日になって幸か不幸か会社の経理システムでは処理できない変則業務が発生して、その説明と処理に時間がかかりました。
でも私の退職後発生していたらもっと大変だったでしょうね。なにしろ人手不足で、処理は単純でも、手続きを経験していたのは社内でもほんの少数になっていましたから。
わが社の再雇用社員の退職はあっさりしたものです。定年退職時に済ませていますから、会社としてのセレモニーはなにもありません。
現に勤務時間の関係で私より一日早い退職となった同じ職場の再雇用の人は、最終勤務の日、自分で主だった人に別れの挨拶をしてまわって、そのまま定時に退職していきました。
でも最近とみに涙腺が緩くなった私は、それすらも苦手です。
それで、仕事が終わったら、いつものとおり係のメンバーだけに「お先に失礼します」といって、さりげなく消えようと決めていました。
ところが、夕方になって上司が「最後に皆さんに紹介しますから、簡単に挨拶してください」と耳打ち。
まあ不意打ちでしたね。オキテ破りじゃないですか。
動揺を隠して仕事をしながら、何かしゃべることを考えようとしましたが、すぐこみあげてくるものがあり、何も浮かんできませんでした。
なるようになれです。
その時間になり、みんなの前で退職を紹介されたとき、花まで用意されていたのには、本当に驚きました。

なんとかお礼の挨拶をしようとしましたが、やはり途中で詰まってしまい、かろうじて皆さんの温かい拍手に助けられて切り抜けられました。
花はバイク通勤を考慮してくれたとのことで、コンパクトなアレンジメントにしてくれていました。なによりみんなの気持ちが詰まっていて、本当にきれいでした。
その後も仕事の引継ぎを継続。退社したのは7時過ぎでした。日が長くなったとはいえ、真っ暗でした。
これで終わっていたら、いい1日だったなあということですが、なかなかそうはいかなったのです。
このあと、思わぬトラップが仕掛けられていました。
とにかく服を着替えて、みんなの心遣いに感謝しながら駐輪場に向かいました。
小さい花といっても今日はスパーダです。全く収納スペースがないので、どうやって持って帰るか考えましたが、付いていた手提げバッグに入れて右腕に引っ掛けて帰ることにしました。
走り出したらなんとか行けそうです。スピードを抑えて、風に煽られないようにしながら帰途につきました。
行程の3分の1ぐらい走って赤信号で停車。青信号で再び走り出そうとしてトラブルが起きました。
クラッチケーブルが突然切れたのです。エンストのあとセルを回しても車体がドドッと動いて始動できません。クラッチレバーは全く手ごたえなくブラブラ。
ショックです。とにかく青信号のうちに手で押して交差点を渡り、安全なところに停めました。

切れた個所はクランクケース側。
ワイヤーの先のストッパーが抜け落ちていました。
普段からオーバーメンテナンス気味な私ですが、クラッチケーブルは見ていませんでしたね。ミスでした。
屋内保管で錆の心配がないので、文字通り油断していました。しかしクラッチ操作は運転操作の中でも最も頻繁な部類になるので、定期的に交換するほうがいいでしょうね。
ほのぼの気分は一瞬で吹き飛びました。
気を取り直し、どうしたらいいか考えました。
バイクショップに運んでも、すぐには修理は無理ですね。部品の手配が必要です。
22年前の、それも余り売れなかったバイクのクラッチケーブルなど、メーカー以外に在庫しているところはありません。メーカーの在庫すら怪しいぐらいです。(笑)
とにかく今は家まで運ぶことが先決です。
といっても押して帰るのは距離と家周辺の坂を考えたら無理。
と考えていたら、JAFに入っていたことを思い出しました♪。
プリウス購入時に勧められて会員になっていたのでした。
運のいいことに、今日は携帯電話も持っていました。(笑)
すぐ電話です。出てきたオペレーターに状況と場所を伝えたらすぐ手配してくれて、「35分以内に到着の予定です」とのこと。地獄に仏とはこのことです。
2年目の会費を払うかどうか迷ったのですが、継続して正解でしたね。
幸いその夜は暖かで、30分ぐらい待っていても寒くはありませんでした。
来てくれたのは一般的な牽引式のレッカー車ではなく、フラットタイプの「セーフティーローダー」という車両。
荷台全体が後方にスライドして路上にピタッと水平に降りるタイプ。マジックを見ているような感じで荷台が滑り降りてきました。
車やオートバイなどを持ち上げないで楽に載せることが出来ます。世の中進んでいますねぇ。
作業員は2人で来てくれました。ショップは東大阪の北部とのこと。
車内で道案内しながら話していたら、JAFがバイク対応サービスを始めたのはほんの2・3年前からとのこと。知らないこととはいえ、ラッキーでしたね。
家まで運んでもらって、ガレージに入れて、ようやく長い1日が終わりました。
この日のことは一生忘れないでしょうね。
で、翌3月30日に以前発注したことのあるパーツオンラインにクラッチケーブルを発注しました。ここは部品番号での発注が基本です。前回はまずパーツリストの購入が必要でした。
でも今回はこれがあります↓。

部品番号は22870-KY6-000です。

交換作業はこれのおかげで最短時間でできます。

この2冊、スパーダ購入時に一緒に買ったものです。この当時はいつもそうしていました。
で、意外に早く在庫状況を知らせるメールが来ました。ホンダの在庫の残りは36本とのことでした。まあこれを多いと見るか少ないと見るか微妙なところですが、まあ今後はもっとメンテしてあげるということで、1本だけ注文しました。
そしてこれを書いている今から1時間前に配達されました。パーツリスト記載の部品価格は870円!ですが、今回支払ったのは代引き手数料込で1,921円。まあ22年間たって値段の改訂は当然のことなので、納得でした。


今日午後から交換作業開始です。思ったより早く落着となってよかったです。
そしてJAF。年に一度のお布施のご利益、てきめんでした。
まあ、今回のトラブル、携帯も通じない紀伊半島の山中などで起こらなかっただけ幸運だったのかもしれません。

再雇用での仕事は庶務全般に関わるもので、ひたすら黒子役に徹してきました。
定年退職の時は、あと4年間まだ仕事があるということで、感慨めいたものは全く感じませんでしたね。
でも今回は本当に退職です。なので、年明け頃から結構意識するようになっていました。
2月に入って、いよいよ最終コーナーを回ったという感じで、カウントダウン開始です。1日の過ぎるのが早くなってきていました。
そして3月、本当にあっという間でした。
フルタイム勤務ではなく金曜日が指定休の短期勤務だったので、勤務の最終は3月29日(木)となりました。
後任の方も再雇用ですが、私の担当していた仕事はまったく未経験とのこと。
このため最後の週は、毎日仕事の引継ぎに明け暮れました。最後の日になって幸か不幸か会社の経理システムでは処理できない変則業務が発生して、その説明と処理に時間がかかりました。
でも私の退職後発生していたらもっと大変だったでしょうね。なにしろ人手不足で、処理は単純でも、手続きを経験していたのは社内でもほんの少数になっていましたから。
わが社の再雇用社員の退職はあっさりしたものです。定年退職時に済ませていますから、会社としてのセレモニーはなにもありません。
現に勤務時間の関係で私より一日早い退職となった同じ職場の再雇用の人は、最終勤務の日、自分で主だった人に別れの挨拶をしてまわって、そのまま定時に退職していきました。
でも最近とみに涙腺が緩くなった私は、それすらも苦手です。
それで、仕事が終わったら、いつものとおり係のメンバーだけに「お先に失礼します」といって、さりげなく消えようと決めていました。
ところが、夕方になって上司が「最後に皆さんに紹介しますから、簡単に挨拶してください」と耳打ち。
まあ不意打ちでしたね。オキテ破りじゃないですか。
動揺を隠して仕事をしながら、何かしゃべることを考えようとしましたが、すぐこみあげてくるものがあり、何も浮かんできませんでした。
なるようになれです。
その時間になり、みんなの前で退職を紹介されたとき、花まで用意されていたのには、本当に驚きました。

なんとかお礼の挨拶をしようとしましたが、やはり途中で詰まってしまい、かろうじて皆さんの温かい拍手に助けられて切り抜けられました。
花はバイク通勤を考慮してくれたとのことで、コンパクトなアレンジメントにしてくれていました。なによりみんなの気持ちが詰まっていて、本当にきれいでした。
その後も仕事の引継ぎを継続。退社したのは7時過ぎでした。日が長くなったとはいえ、真っ暗でした。
これで終わっていたら、いい1日だったなあということですが、なかなかそうはいかなったのです。
このあと、思わぬトラップが仕掛けられていました。
とにかく服を着替えて、みんなの心遣いに感謝しながら駐輪場に向かいました。
小さい花といっても今日はスパーダです。全く収納スペースがないので、どうやって持って帰るか考えましたが、付いていた手提げバッグに入れて右腕に引っ掛けて帰ることにしました。
走り出したらなんとか行けそうです。スピードを抑えて、風に煽られないようにしながら帰途につきました。
行程の3分の1ぐらい走って赤信号で停車。青信号で再び走り出そうとしてトラブルが起きました。
クラッチケーブルが突然切れたのです。エンストのあとセルを回しても車体がドドッと動いて始動できません。クラッチレバーは全く手ごたえなくブラブラ。
ショックです。とにかく青信号のうちに手で押して交差点を渡り、安全なところに停めました。

切れた個所はクランクケース側。
ワイヤーの先のストッパーが抜け落ちていました。
普段からオーバーメンテナンス気味な私ですが、クラッチケーブルは見ていませんでしたね。ミスでした。
屋内保管で錆の心配がないので、文字通り油断していました。しかしクラッチ操作は運転操作の中でも最も頻繁な部類になるので、定期的に交換するほうがいいでしょうね。
ほのぼの気分は一瞬で吹き飛びました。
気を取り直し、どうしたらいいか考えました。
バイクショップに運んでも、すぐには修理は無理ですね。部品の手配が必要です。
22年前の、それも余り売れなかったバイクのクラッチケーブルなど、メーカー以外に在庫しているところはありません。メーカーの在庫すら怪しいぐらいです。(笑)
とにかく今は家まで運ぶことが先決です。
といっても押して帰るのは距離と家周辺の坂を考えたら無理。
と考えていたら、JAFに入っていたことを思い出しました♪。
プリウス購入時に勧められて会員になっていたのでした。
運のいいことに、今日は携帯電話も持っていました。(笑)
すぐ電話です。出てきたオペレーターに状況と場所を伝えたらすぐ手配してくれて、「35分以内に到着の予定です」とのこと。地獄に仏とはこのことです。
2年目の会費を払うかどうか迷ったのですが、継続して正解でしたね。
幸いその夜は暖かで、30分ぐらい待っていても寒くはありませんでした。
来てくれたのは一般的な牽引式のレッカー車ではなく、フラットタイプの「セーフティーローダー」という車両。
荷台全体が後方にスライドして路上にピタッと水平に降りるタイプ。マジックを見ているような感じで荷台が滑り降りてきました。
車やオートバイなどを持ち上げないで楽に載せることが出来ます。世の中進んでいますねぇ。
作業員は2人で来てくれました。ショップは東大阪の北部とのこと。
車内で道案内しながら話していたら、JAFがバイク対応サービスを始めたのはほんの2・3年前からとのこと。知らないこととはいえ、ラッキーでしたね。
家まで運んでもらって、ガレージに入れて、ようやく長い1日が終わりました。
この日のことは一生忘れないでしょうね。
で、翌3月30日に以前発注したことのあるパーツオンラインにクラッチケーブルを発注しました。ここは部品番号での発注が基本です。前回はまずパーツリストの購入が必要でした。
でも今回はこれがあります↓。

部品番号は22870-KY6-000です。

交換作業はこれのおかげで最短時間でできます。

この2冊、スパーダ購入時に一緒に買ったものです。この当時はいつもそうしていました。
で、意外に早く在庫状況を知らせるメールが来ました。ホンダの在庫の残りは36本とのことでした。まあこれを多いと見るか少ないと見るか微妙なところですが、まあ今後はもっとメンテしてあげるということで、1本だけ注文しました。
そしてこれを書いている今から1時間前に配達されました。パーツリスト記載の部品価格は870円!ですが、今回支払ったのは代引き手数料込で1,921円。まあ22年間たって値段の改訂は当然のことなので、納得でした。


今日午後から交換作業開始です。思ったより早く落着となってよかったです。
そしてJAF。年に一度のお布施のご利益、てきめんでした。
まあ、今回のトラブル、携帯も通じない紀伊半島の山中などで起こらなかっただけ幸運だったのかもしれません。
