思いつくままに書いています

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主治医から、覚悟を求められましたが‥ でもなんとか頑張ってほしい!

2019年01月27日 | 日記
1月24日は、とうとう初めて病院で一夜を過ごしました。

通常患者の家族が、病室のベッドで寝るのは許可が下りないのですが、Fの状態を考慮して、特別にOKをいただきました。

当夜は、夜勤の看護師さんやヘルパーさん、夜間通用口の守衛さんに至るまで、みんな温かく気遣ってくれました。

とくに二人の看護師さんは、本当に心のこもった仕事をしてくれました。

でもその夜のFは、人工呼吸器の設定と、乱れた自発呼吸が合わず、連続投与されている鎮静剤でもそれを抑えられず、はじめは断続的に鳴っていた気管内圧力過多を告げるアラームが、午前4時ごろから鳴りっ放しになりました。

ほとんど寝られないまま夜が明けて、午前中も何度かベッドでウトウトしてしまいました。夜勤の大変さを垣間見た感じでした。

昼になって外来の診察を終えた主治医から、現状について説明がありました。

やはり依然としてFはきわめて深刻な状態でした。

私は、アラームは鳴っていたものの、ベッドサイドモニターではずっと酸素濃度が80%後半の表示だったので、それほどまでとは思っていませんでした。

でも主治医の説明では、肺の機能は極端に低下していて呼吸不全状態で、動脈血の酸素濃度は危険なレベルと言われました。

それで、主治医から最後の方法として、筋弛緩剤で一時的に自発呼吸を止めて、効率的に人工呼吸器で酸素を送り込む措置が提案され、同意することにしました。

もうこれしか選択の余地がないという感じで、それでもうまく改善される保証はできないとのことでした。

同意後、すぐにスタッフに筋弛緩剤を注入するよう指示が出されました。

これをしても、肺の炎症は収まっていないので、危機的な状態には変わりはないが、一方で前から継続している、いろんな抗生剤による治療を継続して、少しでも状態が改善できるよう全力を挙げるという説明で主治医の話は終わりました。

そして最後に、もうそろそろ覚悟してほしいとも言われました。残念ですが、私もそう思わざるを得ない状況でした。

ただ、医師の説明は真摯でかつていねいで、素人の私でも納得できるものでした。


それで、25日からは、出来るだけFのそばに居ようと、朝から病院に通うことにしました。

その後は自発呼吸の影響がなくなって、Fの呼吸は、ずっと呼吸器の設定どおり毎分22回で安定していました。


ところが今日27日は、朝から呼吸数が設定の倍以上の40後半になっていて、午後2時にはそれが60にもなって、とうとうアラームが鳴り出しました。


日曜とあって詰所にスタッフはおらず、間近でアラームを聞きながら、私はパニックになりました。


焦っても仕方がないので、とりあえず、褥瘡防止用のクッションの位置を変えてみました。24日に泊まった時それで一時呼吸数が減少したからです。

するとすぐ呼吸数が30以下になり、さらに20台後半に下がってきました。うれしくて脱力しました。

その時丁度いいタイミングで看護師さんが来てくれ、事情を説明して痰の吸引を頼みました。ていねいに吸引してくれました。

効果はてきめんで、すぐ呼吸は22で安定して、それ以後5時間以上過ぎた今も、そのまま推移しています。本当にホッとしました。


恐らく日曜でスタッフが少ないため痰の吸引間隔が開いて痰がたまり、さらに褥瘡防止の体交のクッション位置が関係して、呼吸器から入りにくい体勢になっていたのでしょう。

いつもこれで対処できるかわかりませんが、試す方法が一つでも見つかって、少し安心しました。

昨日、仕事で帰国できないと伝えてきた娘から、やりくりしてなんとか水曜には帰れるとのメールが届きました。心強いです。

それまでもってくれたらと切に願うばかりです。


Fを応援するかのように、昨日、もう我が家の庭の梅が咲き出しました。


がんばれ、F!!


コメント (5)
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