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農業の現場の おはなしなどなど。

祟りの境界線。

2015-10-09 17:15:48 | Weblog
祟りの境界線。

2009年分の再掲載です。次回関連ということで、よろしかったら。

 ↓

『祟りの境界線。』

とある農業県の山中の芋畑の脇、整地されていない草むらに放置された
ままの状態で、二つに重なって倒れたままの墓石があります。

いつのころからここにあるのか・・さえ、いまではわからない墓石。
墓地ならともかく、ただの山中にポツンと取り残されている墓石です。

なんとも、わり切れない話ではありませんか。

この土地、この地区には心ある人が、ひとりもいなかったというのでし
ょうか。
改葬するなり・場所を移動するなりして、放置されたかたちのこのお墓
を供養してあげようという奇特な方はいなかったというのでしょうか。

と、まずはおもったんですね。しかし、移動できないわけがあった。
どうにもこのお墓、触れるだけで罰が当たるというのです。

 「墓石に触っただけで手が腫れた」
 「墓石を跨いで、病気になった人がいる」
 「供養の意味でお酒を注いだら目が腫れてしまった」

と、いうのですから穏かではありません。とにもかくにも、現地の人々
にとっては現在のところ、『触らぬ神に祟りなし』がいちばん最良の方
法だと考えられているというわけなのです。
したがって、これまでどうり、このお墓は未来永劫、ここにあり続ける
定めになっていることになりますね。


kkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkk イモ畑 石碑


ところで気になるのは、このお墓に祀られている人物。
墓石に彫られているのは 『道雪禅定門』 という文字。
さらに『享保13年』。

・・・・享保13年は西暦1728年。そして『禅定門』とは、武士か、
あるいは お寺の住職の妻。を指す言葉なのだそうですよ。

明治時代以前の戸籍というべき、お寺の過去帳をひもとけば、この人物
に関する記録がわかるのではないか・・・とも思えます。しかしですね、
この地区のお寺は明治時代の廃仏毀釈により破壊され、過去帳もなし。
くわしいことは、まるでわからないということです。

個人的には、廃仏毀釈により破壊されたお寺の関係者〔住職の妻〕が、
お怒りになっているのではないかと考えたいところなのですが、そのお
寺にあったはずのほかの墓石などはまったくみつかっていないのですか
ら、そうとばかりもいえないようです。

よくよく考えてみれば、廃仏毀釈によって何も分からない状態になって
しまったそのこと自体が、むしろ一番に恐ろしいのかもしれませんねえ。

 注〕廃仏毀釈

 日本において明治維新後に成立した新政府が1868年(明治元年)3月に
 発した太政官布告神仏分離令、1870年(明治3年)の大教宣布など神道
 国教・祭政一致の政策によって引き起こされた仏教施設の破壊などを指す。 
 神仏習合の廃止、神体に仏像の使用禁止、神社から仏教的要素の払拭
 などが行われた。祭神の決定、寺院の廃合、僧侶の神職への転向、仏像・
 仏具の取り壊し、仏事の禁止、民間への神道強制など急速な実施のため
 に大混乱となった。



◎ 単なる物質であるいち鉱物に、人の魂は依り憑く(よりつく)こと
  ができるというのでしょうか。依り憑くことができるのは、個人の
  名前が彫りつけられてあるが故?あるいはその場所?そこにおかれ
  た時間の長さ?それともほかに理由があるというのでしょうか。。
  土を分析する身としては、そちら方面が気になります。

51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg 「夢で終らせない農業起業」 「 本当は危ない有機野菜