山頭火の詠んだ美々津のうた。
昭和5年といいますから、1930年の10月27日に美々津を訪れた
山頭火が詠んだいくつかの句のうちの ひとつが こちら。
墓がならんでそこまで波がおしよせて
この句の句碑は、宮崎方面から北進して美々津にはいった場合に
は文化庁指定の重要伝統的建造物群保存地区の始まる場所である
現在は駐車場のある場所に建てられています。
この場所はかつては墓地。
山頭火も[千石船の停泊している繁華街のあった北側からではな
く]このコースで美々津にはいったとされていますから、もしそ
の日に海が荒れていたとするならば、墓地の墓石群ちかくにまで
荒波が打ち寄せ、ともすれば墓石が海にもっていかれそうな、そ
んな光景をみながら詠んだ句であったのかもしれません。
なにせ向かいの海は 日向灘。湾でもなければ山頭火の生まれた
防府のような内海でもない。
台風シーズンの大波となれば、小石を巻き上げ、地響きをたてて
浜辺に打ち寄せますからね。いまでこそ波消しの効果のあるテト
ラポット群や頑丈なコンクリート製の堤防で町はまもられており
ますが、むかしはこの場所にはそのような護岸はなかったのです
から迫力のある光景が展開されていたことだろうと想像されます。
ということで今回は 山頭火の詠んだ打ち寄せる波、その波はど
れくらいの大きさだったのだろうかというお話でした。
台風時の5メートルを超す波が打ち寄せ砕け散るとき、
その波の起こす衝撃で堤防沿いの家は揺れるんですよ。
これが ほんとの 衝撃波/笑。ちなみに海に慣れてい
ない人であれば、美々津のとくに海に近い通りに並ぶ
家々での夜は、波音が激しすぎて眠れやしないなどと
翌朝にボヤかれてしまいます。
「夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染」
昭和5年といいますから、1930年の10月27日に美々津を訪れた
山頭火が詠んだいくつかの句のうちの ひとつが こちら。
墓がならんでそこまで波がおしよせて
この句の句碑は、宮崎方面から北進して美々津にはいった場合に
は文化庁指定の重要伝統的建造物群保存地区の始まる場所である
現在は駐車場のある場所に建てられています。
この場所はかつては墓地。
山頭火も[千石船の停泊している繁華街のあった北側からではな
く]このコースで美々津にはいったとされていますから、もしそ
の日に海が荒れていたとするならば、墓地の墓石群ちかくにまで
荒波が打ち寄せ、ともすれば墓石が海にもっていかれそうな、そ
んな光景をみながら詠んだ句であったのかもしれません。
なにせ向かいの海は 日向灘。湾でもなければ山頭火の生まれた
防府のような内海でもない。
台風シーズンの大波となれば、小石を巻き上げ、地響きをたてて
浜辺に打ち寄せますからね。いまでこそ波消しの効果のあるテト
ラポット群や頑丈なコンクリート製の堤防で町はまもられており
ますが、むかしはこの場所にはそのような護岸はなかったのです
から迫力のある光景が展開されていたことだろうと想像されます。
ということで今回は 山頭火の詠んだ打ち寄せる波、その波はど
れくらいの大きさだったのだろうかというお話でした。
台風時の5メートルを超す波が打ち寄せ砕け散るとき、
その波の起こす衝撃で堤防沿いの家は揺れるんですよ。
これが ほんとの 衝撃波/笑。ちなみに海に慣れてい
ない人であれば、美々津のとくに海に近い通りに並ぶ
家々での夜は、波音が激しすぎて眠れやしないなどと
翌朝にボヤかれてしまいます。
「夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染」