18日に「防衛省市ヶ谷台ツアー」(午後の部)に参加した。
市ヶ谷台ツアーレポート(其の六)
午前中は「市ヶ谷記念館、屋外ヘリ展示場、厚生棟、殉職者慰霊碑など」、午後は「市ヶ谷記念館、屋外ヘリ展示場、厚生棟、広報展示室(月~木)、防衛研究所(金)など」となっている。
市ヶ谷記念館内に入ると、DVD「市ヶ谷台のあゆみ」の上映が始まり、東京裁判の場面で一時ストップして、判事席、被告席、記者席、通訳ブース、二階の傍聴席の説明がある。天皇の玉座がある正面舞台に上がった後は、約15分位の自由時間がある。その後、二階に上がり陸軍大臣室と便殿の間の説明がある。
東京裁判と大講堂の説明は、たったそれだけである。
新宿区議会も「市ヶ谷台旧1号館保存」の決議をしたが、幅広い運動の結果、「歴史が刻まれた建造物としての1号館の保存に関する請願」が1994年に参院本会議で採択された。請願採択の趣旨が東京裁判の歴史的重要性にあったことは明白であり、これを踏まえると市ヶ谷記念館の現状は誠に遺憾な事態である。
下記の陳情文に『先の大戦の「裁き」を受けた場所が<防衛省>構内に現存するという事実は世界でも類例がなく、歴史的、文化的、政治的にも見ても貴重な施設です。先の大戦の教訓を継承し、その貴重な遺跡を活用することは、平和主義を理念とする我が国の責務です。』と記述してあるが、裁判所だったところを法廷にした「ニュルンベルグ裁判」とは相違する、「東京裁判」法廷の歴史的特徴がある。
2016年に「防衛省市ヶ谷記念館の展示に関する請願」が参議院防衛委員会に付託されたが、会期末という事情もあり継続審査となった。(事実上の不採択である。)
「防衛省市ヶ谷記念館を考える会」は、防衛大臣宛の陳情書を提出し、市ヶ谷記念館を所管する大臣官房広報課と意見交換をしながら、展示改善に向け一歩一歩進めていき、最終目的の「市ヶ谷記念館の大講堂内に当時の法廷を復原」することを目指していく決意である。
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防衛省市ヶ谷記念館の展示に関する陳情
平成31年 月 日
防衛省市ヶ谷記念館を考える会
共同代表 赤澤史朗(立命館大学名誉教授)
防衛大臣 岩屋毅 殿
要旨
1 極東国際軍事裁判(以下、東京裁判)の裁判官、検察官、弁護人、被告人の肖像写真とそのプロフィールを市ヶ谷記念館内に展示してください。
2 極東国際軍事裁判所憲章などを含め、裁判の経過を図示し、その中で検察官の主張、弁護人の主張、被告人の主張、裁判官の判決を市ヶ谷記念館内に展示してください。
3 東京裁判に関する内外の公刊資料を収集し、市ヶ谷記念館内に展示してください。
4 東京裁判に関する映像資料(記録映像)を市ヶ谷記念館内で上映してください。
5 「市ヶ谷記念館」設立の由来に「歴史が刻まれた建造物としての1号館の保存に関する請願採択の国会決議」(平成6年1月)がなされたことを明記してください。
6 市ヶ谷記念館の大講堂内に当時の法廷を復原してください。
理由
1 「市ヶ谷記念館」の旧1号館大講堂は、極東国際軍事裁判(以下、東京裁判)法廷の遺構であり、1998年、貴省(当時は防衛庁)が港区桧町から新宿区市谷本村町の現住地に移転する際、市ヶ谷台旧1号館保存運動がおこり移設復原したものです。現在、貴省は本記念館を中心に見学ツアーを実施されていますが、現行の展示は東京裁判の歴史的重要性を伝える内容とは言えません。市ヶ谷台旧1号館保存運動の目的及び、その運動の結果、参院本会議で採択された「歴史が刻まれた建造物としての1号館の保存に関する請願」(1994年)の趣旨が東京裁判の歴史的重要性にあったことは明白であり、これを踏まえると本記念館の現状は誠に遺憾な事態です。
2 2010年11月21日、ドイツ連邦共和国は「ニュルンベルク国際軍事裁判」法廷上階に「ニュルンベルク裁判記念館 Memorium Nuremberg Trials」を建設しました。同館では実際に使用された被告席や当時の映像資料のみならず東京裁判の展示もあります。その開館式典では独外相は「過去を知らずして、過去から未来のために学ぶことはできない」と述べ、世界史上で重要な役割を果たした裁判をその現場で後世に伝えていく意義を強調したと伝えられています。このようなドイツの姿勢を鑑みるとき、なお一層、本記念館の現状を座視することができません。
3 本記念館を構成している旧1号館大講堂は、戦前、陸軍士官学校、大本営陸軍部等に使用された第一級の「戦争遺跡」でもあります。「防衛庁の市ヶ谷移転」という偶然の結果、しかも、本来は消滅する運命であったにもかかわらず、奇跡的に生き残ることができたのです。先の大戦の「裁き」を受けた場所が<防衛省>構内に現存するという事実は世界でも類例がなく、歴史的、文化的、政治的にも見ても貴重な施設です。先の大戦の教訓を継承し、その貴重な遺跡を活用することは、平和主義を理念とする我が国の責務です。
以上
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以前はなかったが集合場所に屋根かけとベンチが置かれた。
(了)
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