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「影の総理・杉田和博」研究のために関連書籍を揃えた

2020年11月18日 | 安倍・菅・国葬・統一協会

『アメリカの大統領選挙は、共和党と民主党との闘いにあらずしてトランプの凶暴、差別、偏狭との闘いである。一方、日本では憲法で保障された「学問の自由」を安倍・管政権による攻撃との熾烈な闘いが始まっている。「全国85万人の科学者の代表機関」である日本学術会議が推薦した委員を任命しないという暴挙との闘いである。』とBlog記事にエントリーした。日本学術会議は「全国85万人の科学者の代表機関」である

任命しなかった実質的責任者は官房副長官杉田和博氏であり、菅義偉総理大臣が承認しただけだったことが明らかになった。今や「影の総理」と言われている杉田和博氏は「一般財団法人世界政経調査会」に7年半の会長経歴がある。ウィキペディア「世界政経調査会」によると「河辺機関」に端と発していた。そこで杉田氏を研究するために蔵書だけではなく、古書店や世田谷図書館から関連書籍を収集した。

しんぶん赤旗日曜版連載ドキュメント

杉田和博氏が師事した「カミソリ後藤田」

これから本格的に読み込んでいかなければならないが、吉村公一郎著「黒幕・疑惑の死」を斜め読みしていたら二つのこと分かった。一つは戦前上海にあった児玉誉士夫の「児玉機関」はピアスパートにあったこと。もう一つは、「東京裁判尋問調書」中「ソニービルのある交差点の近くの児玉氏の事務所で、私は彼のビルの名前を知りません」という証言にある「児玉事務所があったビル」は、西銀座四丁目「塚本素山ビル」であったと記憶している。何故ならば銀座東二丁目の商事会社に勤務していたので日比谷高校定時制に通うために、このビルの地下を通って地下鉄銀座線西銀座駅から赤坂駅まで乗車していた。

2017年12月に富士国際旅行社の「海軍の大山中尉事件・南京大虐殺を考える 検証上海事変から蘇州・南京占領まで」に参加したが、上海市内では「阿片王・里見甫」の「里見機関」があったピアスパートと「影佐機関」の影佐禎昭陸軍大佐自宅跡を「南京中北友好國際旅行社 日本中心 總經理」スルーガイドの曹陽さんが案内してくれた。

ピアスパート外観

「上海市歴史建築物」プレート

影佐禎昭陸軍大佐自宅跡

(了)

 

 

 

 

 

 

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