靖国神社をガイドしている友人等に下記のメールをBCCで送信しました。
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Sent: Thursday, September 21, 2023 1:44 PM
Subject: 靖国神社・遊就館展示室「靖国の神々1~4」の遺影
皆様(BCC送信)
blog記事を更新しましたのでご訪問ください。
靖国神社・遊就館展示室「靖国の神々1~4」の遺影
https://blog.goo.ne.jp/akebonobashi1937/e/2f35b45cceeb25d9342a465f43631aa6
長谷川順一
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ある友人Aさんから下記の返信がありました。
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長谷川さま
「靖國神社」とは、一言でいえば何だろうかと考えてきました。
魯迅の本の中に、「殴った手で頭を撫でる」という言葉を見つけました。
魯迅によれば、「権力はただ殴るだけではない。その殴った手で頭を撫でる」というのです。
「靖國神社」こそ「殴った手で頭を撫でる」場所ではないでしょうか。
そして、「靖國神社」のみならず、およそ戦死者を追悼する国営施設はすべからく「殴った手で頭を撫でる」場所ではないでしょうか。
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これこそが「殴った手で顎を撫でる」写真であります。
亡父は、1937年9月第九師団第九連隊輜重兵として30歳で応召し、上海・蘇州・南京・徐州を転戦しました。3月生れの管理人は、もしも父が戦死をしたならば「靖国の遺児」となっていたと思われます。遊就館展示室「招魂齋庭」に、茣蓙の上に並んでいる遺族の写真がありますが、その中の母子を自分に置き換えています。
一橋大学教授吉田裕氏(現・名誉教授)は、『靖国神社は、その施設自体が「忠君愛国」思想を国民に植えつけるための国民教育の「場」という性格を色濃く持っています。この性格は、かなり薄められたとはいえ、戦後も基本的には変わつていません。付属の軍事博物館である遊就館は明治維新以来77年間の日本戦争史を正しかった、悪いのは中国だ、アメリカだと云う立場での展示です。』と述べられています。
亡父の第九師団輜重兵第九連隊は、中国人を「殴るために」軍需品を運搬しました。表は聯隊史「追憶 金澤輜重兵聯隊」284頁より
第九師団は「光華門」を攻略し破壊した。第六師団が砲撃した「中華門」の表門と砲弾跡がある裏門。
中国を「殴った」輜重兵長谷川幸二の長男として70歳と80歳の時に「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館」で謝罪し、90歳でも飛行機に搭乗できれば「南京謝罪の旅」に出かけるつもりです。
亡父は、戦友と大阪市内の民家に宿泊。男の子を抱いているのが父。
母の実家で生活しました。戦地に送った写真。
関特演(関東軍特種演習)で二度目の応召。亡父34歳
杉並区の自宅で。
敬礼をしていますが、友達はハイル・ヒトラーで手を挙げています。
70歳の時。「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館」式典会場にて。
近くの邑江門綉球公園慰霊碑にて。
80歳の時。「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館」広場にて。
(了)