昨日は浜松市職員労働組合9条の会の方々(21名)を靖国神社・遊就館のガイドをしました。観光バスには運転手さんが二人とガイドさんがいましたので尋ねましたら「早朝出発で深夜帰着の場合は二人乗務にするように労働組合で決めてある」と話されていました。快適で安全な旅には大変大事なこだと思います。
参加者の中である方が「遠州報国隊が靖国神社の神職になり、大村益次郎の銅像建立資金も供出した」と話されました。幕末のころ、尊王倒幕運動の波のなかで遠江(浜松)や駿府(静岡)の各地の神主達を中心に尊王倒幕の兵が作られ、遠江からは遠江報国隊、駿府からは駿河赤心隊が結成され、徳川慶喜追討軍に加わり東上したのです。
大村益次郎は明治政府の命により戊辰戦争の戦死者を祭る東京招魂社を九段に建て、祭祀を司るものたちに元隊士中、32人を招魂社に仕える神職にしました。明治12年に靖国神社と改称されます。
『やすくにの祈り』(発行:産経新聞ニュースサービス)には下記のような説明がありました。
「招魂社の祭日と神職」
『明治2年(1869)7月、軍務官から改まった兵部省は東京招魂社の維持、経営を管轄することになり、例大祭は天皇の御裁可により正月3日(鳥羽・伏見の戦勃発の日)、5月15日(彰義隊壊走の日)、同18日(五稜郭開城の日)、9月22日(会津藩降伏の日)と定められた。また祭祀を行う神職には、東征軍に加わっていた駿河・遠州の勤王がた神職の一団(赤心隊・報国隊)が新しく採用された。』
【例大祭はその後、日露戦争後の陸軍凱旋観兵式の日である4月30日を春の例大祭、海軍凱旋観艦式の日である10月23日に変更します。さらに戦後は旧暦を新暦に換算した春分、秋分の日を例大祭日に変更しました】