葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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日独伊三国同盟の役割とは

2009年01月31日 | 歴史探訪<靖国神社>

『山田朗氏(明治大学教授、日本軍事史)の講演会「何が『田母神』を生み出したか ―自衛隊と歴史修正主義―」のレポートが下記ブログに掲載されています。山田氏は「田母神論文」の約20の論点について反論すると共に、この「論文」を産み出した背景について解説しています。ご一読ください。』という投稿がある掲示板にありました。

「何が『田母神論文』を生み出したか」
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/52038f80738666198bf91f3d88db7a57

『東京裁判は、占領政策の一環として国家指導層の再編をねらった裁判である。ドイツに対するニュルンベルク裁判はナチズムを取り除くことが目的だったが、日本にはナチ党がないのでその代りにターゲットを陸軍首脳の一部に限定し、その他は吉田茂をはじめ抵抗者と位置付け、英米協調派の復活が目指された。陸軍首脳の一部とは、三国同盟を締結し中国を侵略した主流派のことである。それで天皇や岸信介は救われ「国体」は護持された。指導層にはきわめて都合がよい結果となった。
なお、「コミンテルンのスパイがルーズベルトを動かし、我が国を日米戦争に追い込んで」いったというが三国同盟の役割をまったく無視している。藤岡信勝らは三国同盟について触れないとの指摘があった。』

昭和天皇がある時期から靖国神社の参拝を取りやめたのは、A級戦犯合祀に対して『私は、或る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが。筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが。』『松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。松平は平和に強い考があったのに、親の心子知らずと思っている。だから、私あれ以来参拝していない。それが私の心だ』
(富田朝彦元宮内庁長官のメモを06年7月20日、日経新聞がスクープした。卜部亮吾侍従が記した「卜部侍従日記」が07年5月に朝日新聞から出版され、富田メモを裏付ける証言となった。)
という天皇発言メモと遊就館が2006年の12月26日から31日までの休館日に展示説明文の一部を修正したときに三国同盟のパネルを撤去した意味合いが山田教授の解説によって良く理解できました。「真の保守」と名乗る人たちには三国同盟は喉に刺さったとげのようなモノなのでしょうか。
【注】松岡」は日・独・伊・三国同盟締結時の松岡洋右外務大臣。「白取」は「白鳥敏夫」のことで駐イタリア大使。「筑波」は筑波藤麿宮司。「松平の子」とは松平永芳宮司のことである。

『「展示室11」大東亜戦争1
第二次世界大戦直前の世界情勢、米国との戦争を避けるべく行われた日米交渉などが
史・資料とともに記述されています。』と靖国神社遊就館のパンフレット「拝観のしおり」に記述があります。

靖国神社独自の歴史観で展示していること自体は仕方がないことだと思っていますが、日米開戦という時期の重要な史資料の一つである三国同盟のパネルを撤去するのはアンフェアですね。
一方、遊就館の英文パンフレットには、撤去したはずの三国同盟のパネルがある、以前の写真を使用しているのは「頭隠して尻隠さず」の面白い現象です。英文パンフは05.01印刷となっていますので何れはこの写真も取り替えると思いますが。Eirei192 Eirei193

その展示パネルの柱に「スターリン」「ヒトラー」「ルーズベルト」の文字がありましたがヒトラーとルーズベルトを並べているのは拙いという配慮からでしょうか、現在はその文字が消えてします。

念のために撤去された三国同盟の説明文もお知らせしときましょう。

昭和15年7月、支那事変への米国の介入が露骨に
なっている中で発足した第二次近衛内閣の憂慮は、
日米開戦と米国のヨーロッパ参戦であった。米国の
参戦を絶対に阻止するには、三国同盟にソ連を加
えた四ヵ国同盟で、枢軸国に有利な戦力バランスを
作為する意外にないと判断して、既に締結されてい
る独ソ不可侵条約をふまえて、日独伊三国同盟と日
ソ中立条約が締結された。

イラストにはそれぞれの国旗が描かれています。

   日
  / \
 独   伊

管理人は「この三国の中で当時と同じ国旗は日本だけですね。」と説明してきたのですが、説明ができなくなって困っています。

そこで管理人はガイド説明資料として作成しましたので、PDFをクリックして下さい。

「abc.PDF」をダウンロード

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