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市谷薬王寺町大神輿由来

2008年08月04日 | 新宿日誌

市谷薬王寺町大神輿由来

(文責・祭礼実行委員長鈴木康市氏)
大正8年8月吉日 八丁堀近辺の宮師作 台輪寸法3尺2寸 本体高さ6尺4寸(台輪下部より棟鬼上部まで)。
 本瓦棒銅葺き八つ棟型小唐破風屋根(権現造り)、勾横型(総白木造り欅材、鳥居 囲垣は樫材、前後唐戸(前に朱雀 玄武、後に青龍 白虎の彫刻あり)。四方階、龍頭隅木、龍頭桝組、台輪紋四方巴、台隅金物菊文様、鳳風翼最中。
左右胴羽目彫刻(徳川家康、楠正成 作者は、大正昭和初期を代表する彫刻師
       石川信光(柴又帝釈天の彫刻郡の彫刻師の一人)
       竹井芳太郎(神田太田姫神社の宮神輿の作者)
一基の神輿に、二名の高名な彫刻師の作品がある神輿は稀である。
他に、唐戸脇(前に神宮皇后、後に神武東征)、柱隠し(昇り龍下り籠)、木鼻には獅子 

欄間(鶴)、蹴込み(海に関する彫刻、波、飛魚、伊勢梅老、海亀他)、などの彫刻がある。
近年、浅草 宮本重義、南部屋五郎右衛門によって修復。

(一説には大正11年建立とあり。よって薬王寺町史には11年説としての記述とす)

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