「婦人民主クラブ」都庁支部から「50周年記念誌」が、会員である妻に送られてきた。管理人がガイドとなって戦跡めぐりをしたことが「主な行事」に掲載されていた。許諾を受けたので転載をしたい。
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◇戦跡めぐリ―― 街なかの戦跡
戦後六〇年‥・戦争の傷跡とどう向き合うのか。風化させてはならない、多くの戦跡が残されているが分からないことが多すぎる、「行って・見て・聞いて」みたいとの声から始めたと思います。
第一回は二〇〇五年、「九段下から靖国神社」、戦後の原点から出発しました。遊就館は「戦争賛美」の展示と、我々には映りました。多くの犠牲者の写真や手紙が残されていましたが、戦闘機などには「命の軽さ」を改めて思い知らされました。英霊として祭られることの是非、人々の無念さについても思いをめぐらさねばならないと。
第二回は「葵から菊へ」、皇居から千鳥ヶ淵へとめぐりました。江戸城天守閣の一部が今では展望台のような形で残されており、寒桜が薄いピンクの花をつけ、楚々と咲いていた姿が思い出されます。
第三回は「歴史散策と食事を楽しむ会」として、市谷防衛庁へ(市ヶ谷台ツアー)。手続きが大変。当日は保険証の原本や写真入の証明提示が求められ、前後に係員の監視。機密の枢軸に触れることはできませんでしたが、三島由紀夫の割腹自殺の場や、重厚な建物内部に感心しつつ、施設内ですべてが賄える設備のすごさに驚きを隠せませんでした。見学後、尾張徳川家上屋敷のあった広大な地の歴史の変遷を学びました。防衛庁のすぐ前の食事処でしたので、講師の話が筒抜けだったのか、約束の時間より早く、「切り上げて」と店から声がかかったのでした。
第四回は「軍都であった新宿」の中の戸山編。尾張徳川家下屋敷跡地。近くに戸山ケ原があり、軍の演習に便利で、交通の要衝であったことから、帝国陸軍の施設が造られた。戦後、軍医学校跡地から「人骨」が発掘され問題になった所です。
第五回からは講師が変わり、「港区麻布界隈」。大きく変貌を遂げた町並みと、昭和の名残をとどめた乃木邸、高橋是清邸跡の公園として開放されている地を望み、最後に泉岳寺を訪ね、美味しいランチを楽しみました。
第六回は上野公園。西郷さんの銅像を改めて見上げ、公園として残された経緯を聞き、明治から昭和への戦争の有り様に思いを馳せ、平和への誓いを深めながら、紅葉真盛りの中を散策しました。この日は、戦跡めぐりに先立ち、上野駅頭で「原水爆禁止」の署名活動にも参加しました。これからも「戦跡めぐり」を重ね、史実と向き合っていけたらと思います。(平川)
「行事一覧」から
■戦跡めぐり
2005・1・23 九段・靖国神社 長谷川順一
2005・12・3 葵から菊へ 皇居・千鳥ヶ淵 長谷川順一
2006・12・7 市ヶ谷防衛庁 長谷川順一
2009・12・12 新宿・戸山 長谷川順一
2011・11・24 港区麻布界隈をめぐる T・U子
2012・12・6 上野公園 T・U子