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晩秋の山中温泉鶴仙狭と片山津温泉柴山潟

2018年11月23日 | 金沢日誌
加賀温泉郷の中で、山代温泉と粟津温泉は金沢市に住んでいたときに宿泊したことがありましたが、金沢市訪問の二日目は、山中温泉鶴仙狭と片山津温泉柴山潟から白山連峰を見てホテルに戻りました。

第147回観光立国セミナー 地域の誇りで飯を食う!」を受講した後に、人流・観光研究所所長で観光学博士の寺前秀一氏と喫茶店で懇談しました。
寺前氏は、2009年から13年まで加賀市長をされた方なので、市内で乗車した二人のタクシーの運転手さんに尋ねたところ交々口にしたことは・・・
*森喜朗(元総理大臣)は寺前さんを嫌っていたので、秘書の宮元を対抗馬にしたので寺前さんは落選した。
*寺前市長さんは、とっても良い人であった。何故二期三期とやってくれなかったのか。
*宮元市長は頭が高い。
*寺前さんは官僚だったので、元官僚の石川県谷本知事と馬が合った。
*寺前さんは、病院を作ってくれたし、医者は金沢大学医学部から連れてきてくれた。
*宮元市長は、メディカルセンターにしたので良い医者がいなくなった。数え切れないぐらい患者が死んでいる。
*寺前さんのお父さんも良い方だった。
帰宅してから寺前氏に報告メールをしましたら「病院は専門家の意見を尊重して進めましたが、出入り業者や既存政治家の利権が絡み、政局にされてしまいました。土地取得をめぐるデマや怪文書が飛び交いましたから恐ろしいものです。選挙後、私の立てた計画の見直し委員会を設置したものですから、金沢大学医学部関係者のプライドを傷つけてしまい、協力体制が崩壊してしまったようです。
結局、自民党が政権を失うタイミングで選挙に出て、自民党が復活するタイミングで敗退しましたから、市民の声ということでしょう。」と、レスポンスがきました。

管理人が、幼児だった頃のセピア色になった写真があります。
一切記憶にありませんが、母が「山中温泉のこおろぎ橋の下の河原だよ。」と教えてくれた78年前の写真があります。

左から父、三歳頃の管理人、母




11月20日撮影





橋の上から見えた河原かも・・・。


片山津温泉総湯から見た白山連峰ですが、曇っていたので水彩画スケッチは諦めました。

JR加賀温泉駅前の案内板


(了)














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