「広島最大級の被爆建物・旧陸軍被服支廠の耐震化に29億円 広島県」との報道があった。
日本と清国が朝鮮支配をめぐって戦った日清戦争は1894~95(明治27~28)年だったので、今年は「日清戦争130年」となる。
日本は朝鮮・中国への侵略を計画していた。そのため軍部は、青山練兵場に軍用停車場を設け、甲武線と連絡して、西は広島、北は青森までの軍隊輸送計画をたてていた。甲武鉄道は軍部の要請で、軍用停車場と軍用線の建設工事を委託されたが、工期を1ヶ月半と要求され、4マイルを突貫工事で当たった。その結果、市街線開通直前の9月17日に工事を完成させ、6日後から軍隊輸送を行った。日本鉄道会社は、7月軍部の要請を受け、同会社線品川⇔目黒間の大崎から分岐して東海道品川⇔大森間の大井に接続する軍事専用短絡線(品川西南線)を起工し、8月下旬に完成した。(大崎駅からの分岐は、湘南ライン等で使われている)明治27年(1884年)8月、軍事輸送に支障があるからと、陸軍省の依頼で「頭端式ホーム」であった横浜駅は、軍用列車を効率よく広島方面に走らせるために、新たに通過式ホームの神奈川駅⇔平沼駅⇔保土ヶ谷駅直通線3.5㎞を開通した。明治27年(1884年)8月、寺内運輸逓信長官は鍋島広島県知事に対して山陽鉄道広島停車場から宇品港に至る間に鉄道仮設の目的をもって山陽鉄道に命じて行わされるよう指示が行われた。測量は8月5日に完了したが、山陽鉄道による路線敷設工事は1日早い8月4日に着工し、仮設とはいえ僅か17日間の工期で8月20日は竣工させている。9月8日には大本営を広島市に進めることが決定し、明治天皇は9月15日広島に到着、広島城内のもと第5師団司令部(第5師団は朝鮮へ出兵していた)のあった大本営に入り、翌16日開庁式が行われた。広島市は一躍日本の首都になり、西練兵場の一角に建設された仮議場で10月15日臨時帝国第7議会が開かれ、臨時軍事予算案等3重要法案を可決、10月22日閉会式が行われた。広島市は、その後の日露戦争においても重要な軍事拠点としての役割を果たし、「軍都広島」としての性格を強めて行くこととなる。この間、6月7日に日清両国は朝鮮出兵を通告、8月1日に正式に宣戦布告し、日清戦争が勃発した。
参考blog記事
鉄道と戦争の歴史~兵器は飯田町駅、将兵は青山軍用停車場から広島・宇品港駅へ運ばれた~
(了)