今朝の朝日新聞Be版連載コラム「原武史教授 歴史のダイヤグラム」に鉄道線路の狭軌・広軌について書かれています。原教授は『太平洋戦争勃発の引き金となった「南進論」とどこかでつながっていると見えなくもない。』と指摘しています。
管理人は、甲武鉄道が市街線敷設の歴史を見ると、日清戦争勃発を引き金となって朝鮮・中国への侵略を目指した明治政府の思惑を強く感じています。
新橋駅から横浜駅(初代・現在のJR桜木町駅)への鉄道敷設を計画しましたが、三田薩摩藩が反対したのでやむを得ず、海岸を埋め立てて線路を敷設しました。これが「高輪築堤」です。しかし一番列車の四号車には、鉄道敷設を推進した大隈重信と鉄道を邪魔した西郷隆盛がチャッカリと乗車していました。三号車には鉄道頭井上勝の名前があります。(横浜駅歴史展示より)
明治政府は、軍用鉄道の効用に気がつき、青森から広島までの鉄道敷設を命じたのです。
甲武鉄道が江戸城外濠に線路を敷設しようとした計画に対して近隣住民が反対したので、土手に桜の木を植栽したと、JR飯田橋駅歴史展望テラスに掲載されています。もし、狭軌ではなく広軌であったならば敷設できなかったと考えています。
JR飯田橋駅歴史展望テラスには、甲武鉄道や牛込駅についての解説も詳細に書かれています。
甲武鉄道「四ツ谷トンネル」
市ヶ谷駅から四ツ谷駅に向けて走る列車。正面建物は、明治7年に開校した陸軍士官学校校舎
青山御所を開削した「御所トンネル」は、現在もJR総武線下り線で「旧御所トンネル」として利用されています。(東京メトロ丸ノ内線四ツ谷駅荻窪行きブラットホームの最先端から見学ができます。)
(了)