「うたえ喫茶カチューシャ」の経営者林岱山さんは、姉妹店「純喫茶スカラ座」も閉店としました。「うたごえ喫茶カチューシャ」のステージリーダー木村敏明さんは何としてもカチューシャを残したいと執念を燃やし、歌声酒場だった「どん底・新宿店」の三階でカチューシャを再開しました。しかし「どん底」の事情から止めましたが、他の店舗を借りて「うたごえ喫茶カチューシャ」を始めましたが病気で亡くなってしまいました。故木村俊明さんの写真をアップします。
アコーディオンの小倉義雄さんは、落語家林家三平の漫談では「ニコリとも笑わないアコーディオン弾き」として対比的なコンビが特に人気を博しました。
ピアノ伴奏は吉元恵子さん
「どん底・新宿店」三階の「うたごえ喫茶カチューシャ」
泉麻人著「昭和遺産な人びと」の「ブランさんのオート三輪 」より
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オート三輪の話をひととおり伺って、僕らは長谷川さん行きつけの“うたごえ酒場”、新宿の「どん底」 に流れることになった。この店は三丁目の要通りで昭和二十六年に営業を始めて、ことし五十周年を迎える。現在、一階と二階は、洋食をメニューに並べた通常の洋風居酒屋として営業しているが、三階のフロアーは週に二度、うたごえ酒場に開放される。
一、二階は、レトロなムードを愉しみにきたという、若い人たちでなかなかの盛況だった。階段を上って三階まで行くと、そこには長谷川さんくらいの年代の熟年男女たちが、肩を寄せ合うように溜まっている。ロシアの民族衣装を着てアコーディオンを抱えた、太った初老の男が通路に立って、やがて“うたごえタイム”が始まった。
リクエストを入れた客が通路の一角に立って、指揮をとるように唄い、他の客が合唱をする。「遥かなる友」「エルべ河」 手渡された歌集をめくっても、大方は僕の知らないロシアや東欧の民謡である。なかで、昔キャンプファイヤーのときなんかに親しんだ「フニクリフニクラ」を見つけてリクエストすると、隣りの熟女がノッてきて、愉しくデュエットすることになった。
長谷川さんの十八番は「しあわせの歌」。この曲は「六全協後の日共平和路線とあいまって盛り上がった“うたごえ運動” の代表的な曲 」といったことが『現代風俗史年表」(河出書房新社)に解説されている。
実は、作曲した木下航二という人は、長谷川さんが通学していた日比谷高校の先生だった・・・という因縁もあるらしい。その後の“共産党入党”を暗示させるようなエピソードでもあるが、ホロ酔いかげんの長谷川さんから、もうーつこんなおかしな逸話も聞いた。「小学五年のときに、共産党が選挙で大勝してちょっとしたブームになったんですが、その頃学校の劇で“平家ボタル”の役をやったんです。相手の源氏ボタルと対決する場面で、脚本を書いた先生がワルノリしてこんなセリフをいわせた。源氏役の子が『民自党をよろしく』っていうと、平家の私が『共産党をよろしく』っていい返す。以来みんなに 『おまえ共産党か』なんてハヤシたてられまして。そのときから共産党に、なんとなく縁を感じるようになったのかもしれませんね・・・・ 」
夜更けまでビールを飲みながら唄をうたう、この元気な老人たちの集いを眺めながら、四十年前の若き日の長谷川さんの姿が、重なり合った。“ブランさんの三輪車”で夜の街に繰り出していた長谷川さんたちのグループが、そのままそこにいる。もしや店の外に、「金太郎運送店」のオート三輪が横づけになっているのではなかろうか・・・・。
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(続く)