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うたごえ喫茶の想い出ファイルから(其の一)

2020年10月02日 | うたごえ喫茶

2018年9月26日に新潮45 平成13年12月号『泉麻人の消えた日本』・・・「ブランさんのオート三輪 」をエントリーしましたが、本日は「うたごえ酒場・どん底」の続きをアップします。

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 オート三輪の話をひととおリ伺って、僕らは長谷川さん行きつけの〝うたごえ酒場〟、新宿の「どん底」に流れることになった。この店は三丁目の要通リで昭和二十六年に営業を始めて、ことし五十周年を迎える。現在、一階と二階は、洋食をメニューに並べた通常の洋風居酒屋として営業しているが、三階のフロアーは週に二度、〝うたごえ酒場〟に開放される。
  一、二階は、レトロなムードを愉しみにきたという、若い人たちでなかなかの盛況だった。階段を上って二階まで行くと、そこには長谷川さんくらいの年代の熟年男女たちが、肩を寄せ合うように溜まっている。ロシアの民族衣装を着てアコーディオンを抱えた、太った初老の男が通路に立って、やがて〝うたごえタイム〟が始まった。
リクエストを入れた客が通路の一角に立って、指揮をとるように唄い、他の客が合唱をする。「遥かなる友」「エルベ河」・・・・手渡された歌集をめくっても、大方は僕の知らないロシアや東欧の民謡である。なかで、昔キャンプファイヤーのときなんかに親しんだ「フニクリフニクラ」を見つけてリクエストすると、隣リの熟女がノッてきて、愉しくデュエットすることになった。長谷川さんの十八番は「しあわせの歌」。この曲は「六全協後の日共平和路線とあいまって〝うたごえ運動〟の代表的な曲・・・・」といったことが「現代風俗史年表」(河出書房新社)に解説されている。
 実は、作曲した木下航二という人は、長谷川さんが通していた日比谷高校の先生だった・・・・という因縁もあるらしい。その後の〝共産党人党〟を暗示させるようなエピソードでもあるが、ホロ酔いかげんの長谷川さんから、もう一つこんなおかしな逸話も聞いた。
  「小学五年のときに、共産党が選挙で大勝してちょっとしたブームになったんですが、その頃学校の劇で〝平家ボタル〟の役をやったんです。相手の源氏ボタルと対決する場面で、本を書いた先生がワルノリしてこんなセリフをいわせた。源氏役の子が『民自党をよろしくっていうと、平家の私が『共産党をよろしく」っていい返す。以来みんなに『おまえ共産党かなんてハヤシたてられまして。そのときから共産党に、なんとなく縁を感じるようになったのかもしれませんね・・・・」
  夜更けまでビールを飲みながら唄をうたう、この元気な老人たちの集いを眺めながら、四十年前の若き日の長谷川さんの姿が、重なり合った。〝ブランさんの三輪車〟で夜の街に繰リ出していた長谷川さんたちのグループが、そのままそこにいる。もしや店の外に、「金太郎運送店」のオート三輪が横づけになっているのではなかろうか・・・・。

日比谷高校二部演劇部の仲間と「どん底カクテル」を飲みました。(2009年2月26日)

日比谷二部演劇部OBがどん底の三階で歌った(2004年7月17日)

仲代達矢主演「どん底」ポスター

日比谷二部演劇部の先輩達は、文化祭「星陵祭」で「どん底」を上演した。サーチン役の故根村利生さんは、仲代達矢さんと青山小学校で同窓生。

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(続く)

 

 

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