一人称というのは色々考えられます。代表的なところから、私、わたくし、あたし、僕。文字にする時は表記の仕方でも印象が変わってくるから、おもしろい。僕、ぼく、ボク、おれ、オレ。芸人で、おいらとか、オイラというのもいます。きっと照れるのでしょう。たまには、照れずに、僕、と言ったらどうですか。うち、というのも女性などにあります。ワチキなどというのもあったっけ。男の方がいろいろと数が多いでしょうか。江戸時代などに見られるように面倒な階級制やら、シチュエーションによって場合わけがなされているということもあるでしょう。あっし、アッシ、わい、ワイ、などというのもあります。手前ども、などというヘンテコなのも・・・ヘンテコではないです。人称が違いますし・・・・。
ところで、英語だとI、で終わりです。相手のことは、YOU。たとえそれが、年配の大変エライ人でも、若輩のヨタッタヤツでも、YOU。子供でも大人でも、美人でもそうでなくても、YOU。単純です。私は英語はそんなに得意ではありませんが、英語で話すと、そこが気楽なこととして実感されます。美人と話すときでもずっとIとYOUで通せるので、頭がシッカリとします。
日本語だと話しているうちに、主語が無くなって、どっちがどっちやら、何が何やら、ある時などは、都合の悪くなった方がしゃべくり上手なのをよいことに、巧妙に入れ替わったような話にしたりするのです。
話が飛躍しますが、
ズルイ奴というのはどこにでもいます。IもYOUも見えなくなり、意図的にごっちゃにして立ちまわるやつが・・・。長年自分たちの仕出かしてきたもろもろのことどもを、すり替わり、成り変って、まるで他人がしでかしたことのように糾弾する今の自民党議員のように。醜いことこの上ないです。言葉も下作ですし・・・。国会などの中継をTVで見るにつけ、これが国の最高の議論の場なのかと、目と耳を疑ってしまうのです。小泉首相の頃からそうでした。その頃は、他人を軽くあしらうような態度でした。自分たちが20年30年かかってもやれなかったことを、あるいは思いつきもしなかったことを、あるいは人々をいだまかしつつやろうともしなかったことを、始めて2ヶ月くらいの人たちに、できないじゃないか、やってないじゃないか、というのは難癖をつけているのを通り越して、見ていて醜いです。よく言うよなあ、といった感じです。
IとYOUの話から少し脱線してしまいました。
・・・これを書いていて感じたこと。
このGooのWordの変換ソフトは不思議です。同じように網がけして同じ字体に変換しているのですが、上記に見るように、「ところで、英語だと」の前と後で、よく見ると字体が異なるのです。なんですか、これは。microsoftのwordから移しているので、microsoftの方の問題かもしれません。その後の「よく言うよなあ、といった感じです。」からまた、字体が変わっています。書いている側で修正することができないのです。その間にも「日本語だと話しているうちに」のところでも変わっていますし。これは私がそうしたものではもちろんありません。
これでは意図したようにBlogのページを完成させることができません。「不完全にしかさせないソフト」なのでしょうか。いやがらせのようなものでしょうか。小さなことですが、意図的なものであるなら問題です。大袈裟にいえば人権にもかかわるでしょう。あるいは私の、パソコンの操作の不手際でしょうか。