会津ころり三観音 その参
三つの観音様をお参りして一生を健康に過ごし、長患いをしないで、ころりと安楽往生がしたいとの願いを込めた信仰です・・・
と、いうことでゴールデンウイーク最後の日、会津ころり三観音をお参りしてきました・・・
還暦を過ぎると年金とお迎えのことしか頭にない・・・とにかく年寄りは、長生きはしたいが、ねんねんころりでは周囲の人が大変・・・
ピンピンしてころりと逝きたいものです・・・ただ、一回のお参りだけではご利益がない・・・三年連続でようやくご利益が・・・いかなくては・・・
普門山 弘安寺 通称 中田のおがんのん様
観音堂は1279年に建立・・・ご本尊は十一面観音菩薩像・・・奈良・長谷寺の十一面観音を模したといわれている・・・光背には文永11年(1274)8月8日の銘が残っている・・・
脇侍は不動明王立像と地蔵菩薩立像・・・十一面観音と 地蔵菩薩と不動明王の三尊組み合わせは、全国的に例がないのである・・・
中田の観音様の仁王門・・・
仁王像・・・
仁王門のわきにぶら下がっている・・・お願いわらじ・・・合格・健康・安産・子育て・彼女・頭が良くなるに・・・と、いろいろお願いが書いてある・・・
中田の観音堂・・・
老若男女でいっぱいの観音堂・・・何を拝んでいるのか・・・
大黒様に・・・金運・・・布袋様や観音様に・・・金運か・・・あの世には持っていけないのだ・・・
お年寄りは、観音堂が何年にできたのか、仏像は・・・そんなことは分からなくてもいい・・・
現実的な問題・・・ぴんぴんころり・・・だきつき柱に、丈夫で働き、死の床に就いた時は、長患いをしないで三日~五日、一週間、長くて十日と、
念願すれば・・・成就されるといわれる・・・なんといっても、ころり観音だきつき柱が、お年寄りに絶大な人気を得ています・・・
だきつき柱は、観音堂の横から入る・・・ だきつき柱
観音堂の欅はいつごろから参拝者を見ているのか・・・
そのひとり、福島が生ん医聖・野口英世がおふくろさんと一緒にお参りした時の写真も残っている・・・
おふくろさんは、(清作(幼名)が小さいとき火傷を負った) 観音様に祈り続けた・・・歩いて猪苗代からひと山越えてお参りに来ている・・・車で一時間位かかる・・・大したもんだ
また、大正年間に東宮妃殿下の安産を祈念して、御嘉納(ほめ喜んで受けること)になったことから、安産の守護観音としても有名です・・・
○ 参道の茶店で、その弐
「参拝のお茶飲んでがんしょ」、「ひゃっけいのはぜにもらぁげと゛」、「あったげえのはただだが、飲んでがせ」・・・
・・・分かるかなー
これで、会津ころり三観音はおしめ・・・次回は・・・なにがいいべ・・・