拙ブログを読まれたFB友のおひとりが、「青磁の花瓶にさされた花は、ゴシキドクダミでしょう」と教えてくださった。
なるほど、そうに違いない。
花は白。
花弁にも見えた燃えるような紅は葉のようである。
ドクタミなら庭にイヤになるほど生えているが、このゴシキドクダミは鑑賞用に品種改良されたものらしい。花言葉は「心変わり」。
http://tree.shiny-garden.com/post-531/
陽の光のように明るい向日葵でもなく、妖艶な薔薇でもなく、ひっそりと佇むゴシキドクタミを絵の題材とするあたり、浜田方一という人の清らかな精神が偲ばれる気がする。もっとも、ほかにどんな作品を描いたのかは知らないのであるが。
それにしても、好きな絵が居間なり、仕事場の壁に掛かっている、というのは、心安らぐものである。心身ともに疲れがスーッと引くような気がする。音楽から絵画への「心変わり」ではないが、レコードを集めたり聴くのとは違う種類の歓びがこの世にあろうとは、つい最近まで知らずにいた。まこと不覚である。
「そう言われても、絵は高価で手が出せない」
という方もあるかも知れない。確かにそうでもあり、時にそうでもない。
ピカソやシャガールを手元に置こうと思うなら前者で、一点ものの油絵など高嶺(高値?)の花。作者の没後に刷られた版画ですら、結構なお値段になる。
一方、知る人ぞ知る、或いは一般には未知の作者の作品については、古書店の店先やオークションなどで、ちょっとした価格で手に入れることもできる。中には、一回の食事代程度などという幸運なケースも。
壁に作家の名前を掛けるわけではなく、何かしら心に美しく響く作品であれば、作者が誰であっても構うまい。有名作家の作品には贋作、模造品という心配も生まれるが、名より作品本位で選ぶなら、その心配もいらないのである。