福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

アルトリヒテル指揮チェコ・フィル 東京初日 を聴く

2017-10-04 17:21:34 | コンサート


チェコ・フィル東京公演初日を聴く。
このオーケストラを生で聴くのは、アシュケナージ指揮のマーラー7番以来だから、十数年ぶり。

本年5月31日に71歳で世を去ったビエロフラーヴェクの代役はアルトリヒテル。

冒頭の「謝肉祭」は、まさに血湧き肉踊る熱狂的な名演。燃え上がり方も常軌を逸しているが、一転静かな場面での詩情も美しい。サービス精神旺盛、外連たっぷりの指揮ぶりで、さぞ若い頃は女にモテたろうという風情には嫌みがない。

なんと凄い指揮者が居たものか! と胸躍らせたのも束の間、つづく、ケラスを独奏者に迎えたチェロ協奏曲では雲行きが怪しくなる。

朝比奈信者のわたしだから、棒の上手い下手には極端にこだわるつもりはない。しかし、それにしても拙い。ソロの合間にチョロチョロとオケが入るところのアインザッツが力みすぎている上に余計なアクションが伴う。その動作が大きかったり唐突すぎて、演奏の邪魔をしているとしか思えないのである。あの指揮を物ともせず、大きな破綻なしに演奏を成し遂げたチェコ・フィルの面々の素晴らしさにひたすら感心した次第。ソロから離れ、オーケストラのみのトゥッティになると俄然良い音がするのも面白かった。

ケラスのソロについては語れない。というのもステージ真横のLAブロックからは、ソロよりもオケの木管が強く聴こえてしまうため、正当な批評ができないのである。ただ、フィナーレでの、コンマス独奏との絡み合いの美しさを堪能できたのは幸い。

ケラスの選んだアンコール曲がデュティユーというのは珍しいが、その静謐な瞑想性は美しかった。



メインのブラームス「4番」は、まさに熱演という形容がピッタリ。第1楽章コーダの追い込みなど、なかなか真似のできないものだが、その割に感動がもたらされないのは、ブラームスの哀切が描かれていないからてあろう。つづく三つの楽章も同じで、アルトリヒテルに内面的な深みが足りないように思えた。

ところが、アンコールのドヴォルザーク「スラヴ舞曲」第2集より「7番」「8番」となると、まさに水を得た魚というか、凄まじい音楽となる。理屈も何もない。紛れもないドヴォルザークの音がするのだ。ウィーンのオーケストラでしか聴けないヨハン・シュトラウスがあるように、チェコ・フィルでしか聴けない掛け替えのない音がそこにあった。

というわけで、今後、アルトリヒテルを聴くとするなら、オール・チェコ・プログラムに限るだろう、というのが、現時点でのわたしの考えである。2日目のドヴォルザーク「8番」
はどんなであったろうか?

なお、アンコール2曲目、スラヴ舞曲第2集「8番」の演奏は、ビエロフラーヴェクの魂に捧げられたことを付記しておく。


2017年10月3日(火) 19:00開演 サントリーホール
ドヴォルザーク:序曲「謝肉祭」Op.92, B.169

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 Op.104, B.191 (チェロ:ジャン=ギアン・ケラス)

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ブラームス:交響曲第4番 Op.98

ペトル・アルトリヒテル指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

ペトレンコ&バイエルン国立管 「ワルキューレ」第1幕 覚え書き

2017-10-04 01:10:30 | コンサート

ところで、ペトレンコ指揮バイエルン国立歌劇場管の「ワルキューレ」第1幕は、特筆すべき出来映えであった。

オーケストラがピットからステージに上がり、反響板のある状態で歌う歌手たちの声も、「タンホイザー」初日とはまったく違う聴こえ方がした。

というか、歌手のコンディションそのものが全然違っていたのだ。

(「タンホイザー」も2日目、3日目は、立ち直っていたらしい)

ペトレンコの生み出すワーグナーは、室内楽の如き精緻さ。

それはオーケストラのみならず、声楽陣を巻き込んでのものだから恐れ入る。

正直、その余りの精緻さは、長丁場のオペラには窮屈に思えなくもない。

個人的にはクナッパーツブッシュのような大らかな方が好みであるが、「よし、この際、とことん付き合うか」と腹を括ったあとは、これもひとつの至福であると気付いた。

どこからどこまでも精妙な音楽づくりでありながら、クライマックスで仕掛けたアッチェレランドではアンサンブルの乱れも厭わないというあたりに魅了された。

一方、前半のマーラーであるが、ゲルネの調子も快復していたのは何より。

弱音を中心とした美しい歌唱であることは分かったが、巨大な空間のNHKホールではその真価が伝わりにくいのは仕方のないところ。

1階前方席の友人は感激されていたが、2階席センターにまでは届いてこなかったのは悔やまれる。

♪もっと詳しく書くべきところ、演奏会等の準備があるため、覚え書き程度にて失礼します。

NHK音楽祭2017
2017年10月1日、NHKホール
マーラー「こどもの不思議な角笛」より
バリトン:マティアス・ゲルネ

ワーグナー「ワルキューレ」第1幕(演奏会形式)
ジークムント  クラウス・フロリアン・フォークト(テノール)
ジークリンデ  エレーナ・パンクトラヴァ(ソプラノ)
フンディング  ゲオルク・ツェッペンフェルト(バス)

指揮  キリル・ペトレンコ
バイエルン国立管弦楽団
 

AZUMAさんのブログから インタビュー記事

2017-10-04 00:38:35 | コーラス、オーケストラ

音楽家として、もっとも大切にしている仕事の価値を低く見積もられたときほどガッカリすることはない。

しかし、それは丁寧に説明していかないと分かって貰えないのだろう。

演奏会のポスターやプログラムに名前の載らないことも日常茶飯事。合唱指揮者の闘いは日々つづくのである。

ひどく気落ちしていたところだが、混声合唱団VOICEのZAUMAさんのブログを読んだら、心が軽くなった。

混声合唱団VOICEは、今年12月のシュテファン大聖堂でのモーツァルト「レクイエム」に参加すべく、レッスンを重ねている最中だか、

AZUMAさんほか数名によって、その大イベントに向けての過程を記録しようと、たびたびレッスンを録画してくださっている。

その一環から、わたしへのインタビューも行われたのだが、その一節が公開されているのだ。

自分でも何を話したか憶えていなかったが、たしかにこういう話はした。

わたしの指導するコーラス団員には漏れなく読んで頂きたく、その一部をここに転載しよう。

 

「ちゃんとやる人もいればやらない人もいてバラバラだから大変

しかしプロと違って、ひとつの演奏会を仕上げるのに半年とか一年とか長い時間をかけてやるわけで

 しばらくはその作品とともに生きるわけですから深い思いがあるし

 喜びも分かち合えるし、終われば淋しいし・・・

コンサートへの思いというのは高いものがあります

ですから今はみなさんを鍛えて、アマチュアの中でももっと高いレベルに近づけたいと思っています

みなさんも日々お仕事されたり家事をされたりしながらだとは思うけれど

 またとない機会ですから「モツレク」への時間の配分を増やしていただいて

 発声のための体操をしていただければと思います」

↓ AZUMAさんによる記事全文はこちらからお読みください。

https://ameblo.jp/lovely-heart-azuma/entry-12315772566.html (「レクイエム」のオーディション)

AZUMAさんのブログからは、こちらもお勧めです。

https://ameblo.jp/lovely-heart-azuma/entry-12307768104.html