本日は、ところを、すみだトリフォニーホールに移し、チャイコフスキーの交響曲第4番。前プロは、昨日につづきヴァイオリン協奏曲。
ただただ、クルレンツィスに脱帽。ホールの音響に大きな問題のなかったこともあり、本日は心から楽しむことができた(なお、昨日の記事にひとつ訂正がある。「チェロとテューバ以外は立奏」と書いたが、正確にはコントラバスもコンバス椅子に腰をかけていた)。
前半のヴァイオリン協奏曲だが、初日の「よし、やったるで」感満載、特に第1楽章に於ける崩壊寸前のスリルが後退した代わりに、作品の造型が保たれた安定感と秩序があって、わたしには好ましかった。第2楽章の瞑想性も稀有のもので、コパチンスカヤ、クルレンツィスともに、こういう静謐な音楽性をうちに持っていることは大きな武器である。一転、第3楽章の弾けっぷりはコパチンスカヤの面目躍如といったところで、聴衆の大喝采を呼んだところである。
なお、ソロ・アンコールの3曲は昨日と同じ曲目であったが、これまた、音響の良さもあって、より楽しむことができた。
後半の「4番」は、ロシアの凍てつく大地、作曲家の憂愁、夢や幻想などを描き尽くした超名演。
究極の弱音から怒涛の強音までのダイナミクスの幅の大きさは「悲愴」でも感じたものだが、どんな熱狂のときにも、楽器間のバランスはギリギリのところで保たれており、闇雲な熱演とは一線を画している。というより、稽古で作りあげたバランスを守りにゆくのでなく、壊すことも辞さない情熱の苛烈さが彼らの演奏を非凡なものとしているのだろう。ひとつのメロディーに内在する憧れや溜め息が、オーケストラの隅々にまで共有されている様は圧巻で、クルレンツィスとムジカエテルナが本物であることを語っていた。
そして、驚きのアンコール。
これについては、サントリーホール公演を前に書いても良いのだろうか??
この有名なチャイコフスキーの幻想序曲が、かくも激しく、かくも切なく、そしてかくも美しく演奏された例をわたしは知らない、とだけ記録しておこう。