明鏡   

鏡のごとく

見回り

2011-09-09 17:53:57 | 日記
防衛省は8日、ロシアの爆撃機2機が同日、日本列島を周回するように飛行し、航空自衛隊が戦闘機などを緊急発進(スクランブル)させたと発表した。領空侵犯はなかったが、ロシア機が列島を周回飛行するのが明らかになったのは初めて。

 同省統合幕僚監部によると、2機はTU95爆撃機。朝鮮半島の東方から編隊で飛来し、沖縄本島付近まで進んだ後、太平洋を北上。樺太付近から再び南下し、日本列島を一周する飛行経路をたどった。

 その後、2機は日本海上空を北上し、ロシアへ向かったという。オホーツク海上空では、別の2機による空中給油も確認された。 

時事~~~~

日本をぐるりと見回りするとは不穏な動きはやめるべきである。

「何か」を調べたいのかどうかはおいといて。

あるいは、ガスパイプが半島に通ったことと何か関係があるのでしょうかね。

『時代精神』というもの

2011-09-09 12:18:05 | 小説
東日本震災

平成23年3月11日に東日本で震災が起こった。

日本の半身が一時麻痺状態となった。

その後も、地震と津波と原子力による影響が、日本のあらゆる根幹を目覚めさせているように見えた。

泥にまみれ遮断され壊れてしまった整脈の道を探るだけでなく、もっと大きな動脈の道を通すような血を送り続けるポンプとしての領域だけでなく、その細部が壊死しないように指先を動かすことで、その動きを後押しするような、ある意味、精神論等をぶち上げなくていい、形式的国体ともいえるものが、そこにはながれているようでもあった。

首相の首が幾つもすげ替えられても、なぜ日本という国がそれほど不自由そうでもなく動き続けられるのかという事が、世界の不思議、好奇と奇異の目で見られている節もあるが、なんと言うことはない、末端神経と思われているもののなかでも、年に一度、首がすげ替えられても動けるように、やることをやる制度が確立されており、それが年ごとに改善されるところは改善され、今に至っているということが、外には見えないだけであり、内部ではそれが当然と公然と行われているので、強いリーダーシップを誇示しなくとも、昔から物事はある程度滑らかに動いていけるようになっているのである。

すぐれた能力や財力を別段誇示しなくとも、うまく廻れるシステムを生み出していることこそが稀であり、日本的であると言うこと。

次に自分の番が回ってくる可能性がいつもあるので、協力をしないで、とりこぼれる、必要なことをやらないということも減ると言うことも自ずと生まれてくる。

行き届くことを前提にしていることは、「再生産」「再構築」である。

これこそが日本的な平等、究極的な平等とさえいえるかもしれない。

たとえ、そこに『時代精神』というものがあってもなくても。


毎年、同じことをするにしても、その構成員もその時々の時勢も代わることで違ってくることこそが、「毎日」であり「生活」であった。

「革命」等というものは、既に死んでしまって、生活が欠如して、階級と役職ばかりが残った。

ガイストばかりで、骨すらもなくなってしまうようであった。


かつて日本には残すべき文化がないと言うものもいた。

世界の片隅に、特色のない国として残ると言ったものもいた。

確かに、そうなっていくようにも見えたが、東日本大震災が起こり、戦争が終わっても残った日本であった。

残そうというものがある限り、何かが残るというものだということ。

津波に飲み込まれ、見えない原子力と闘っているものたちを焼き付けている今があること。

そこがすっかり変わってしまうかもしれない、変異が起こるのはいつだって、突然だったのだ。と希望すらしていること。

日本はかわるということ。

いかようにもかわる可能性を今、どこよりも持っているという細部を持つこと。


それぞれの日本がかわりつつも、残り続けるということ。

「精神」あるいはガイストは、肉体も場所も必要でなく、音か電子か文字の中で、同じことを繰り返し述べている。

そもそも『時代精神』というものがあるならば、それは、いまここで起こっていることがなくなった、肉体も場所もなくなったと思った時にこそ、立ち現れるものだ。と言うこと。