草月流を見に行く。
半身半獣と書いたその人の勢いが迸りいきもつけないような、じっと見ていられない圧を受ける。
花をさす器は空ろであるように、向こうを覗けば光が影に写り、器の中の月を覗きこんでいるような。
屏風の中の生花。
生花の中の息づかいは止まったままだが、そのまま時を止めたまま生き続けるような。
交流のあったというピカソの牛首の絵が明るすぎる線は、何ものにも見えない線。
小さな牛首。
額に飾られた首の空々しさ。
その下の梟の器がほしかった。
絵に描いた首ではなく手触りがほしかった。
その近くのふらりとたちよった展示会場には。
地元の歌唄いのおっちゃん、山善さんが描いた絵があった。
山善さんご本人が突然、生歌を歌い出した。
これが歌だ。というように。
そういえば、以前、ひでこと一緒に裏道をぶらついていたら、偶然、道端で山善さんがちょこんと座ってギターをかき鳴らしている場に遭遇したのを思い出した。
山善さんはいつも突然、目の前で歌っている。しかも二度とも。
あの時は、傍らに犬がいたっけ。
生山善、再び。
あいかわらず、いい声。
車にもペイントしていた。
これ動くんだよと、笑っているのか笑っていないのかわからない黒眼鏡の山善さんであったが、山善さんのご友人が後ろから撮った車の内部の映像を見せてくれたら、どうやらエンジンはすっぽり抜かれているようだった。がらんどう。
もう、うごかないんだよ。
といった。
空の器と化した車は立体的な屏風のように、丸々とそこにあった。
それから、赤レンガの文学館の前を通ると、花田清輝の特集をしていた。
直筆は意外とまるくかわいいのであるが枠からはみ出る勢いがなんとも彼らしい?
あーばんぎゃるどについてや映画批評等。
うちにあるTHE花田清輝を読みなおせといわれているようで、宿題をもらった気がしながら、またはかた?ぶらぶらぶらついた。
アラーキーの写真展をやっていたので、またまた覗いた。
左眼の恋。というタイトル。
左眼にはレンズを通した恋があり、右目はつぶっているままのぼんやりと薄暗いもやがかかった故意があり。
カメラをうつすその瞬間、対象に恋をしている、故意に。
おそらく彼の家の屋上テラス?でワニや怪獣がバラバラと置かれている写真をとっている影は彼の故意。
空を空々しく撮っていく日々。の下に、ころがったフィギアの世界。もう、生きていないような彼の影の故意。
カメラの中の視野狭窄。の果ての夢なのか、現なのか。
喰われそうな赤子の人形の首の先には獣がいる故意。
左眼だけの恋。
その他はおしなべて故意のえろたな(えろすたなとす)。
それから、古本をあさりに行く。
福岡のやまとの野田村の話があった。
そこいらで育ったという父にも繋がるかもしれない戦中の通信大臣の自伝的本であり、佐賀の乱や龍造寺の時代から、三池炭鉱の話、犬養などの時代の資料としてもいいのだが、一人の人を通しての時代史でもあり、興味深いものであったが、ちょっと高めなので、今度来た時まだ残っていたなら、読むということで。その場を後にした。
濃い今日。という日。
半身半獣と書いたその人の勢いが迸りいきもつけないような、じっと見ていられない圧を受ける。
花をさす器は空ろであるように、向こうを覗けば光が影に写り、器の中の月を覗きこんでいるような。
屏風の中の生花。
生花の中の息づかいは止まったままだが、そのまま時を止めたまま生き続けるような。
交流のあったというピカソの牛首の絵が明るすぎる線は、何ものにも見えない線。
小さな牛首。
額に飾られた首の空々しさ。
その下の梟の器がほしかった。
絵に描いた首ではなく手触りがほしかった。
その近くのふらりとたちよった展示会場には。
地元の歌唄いのおっちゃん、山善さんが描いた絵があった。
山善さんご本人が突然、生歌を歌い出した。
これが歌だ。というように。
そういえば、以前、ひでこと一緒に裏道をぶらついていたら、偶然、道端で山善さんがちょこんと座ってギターをかき鳴らしている場に遭遇したのを思い出した。
山善さんはいつも突然、目の前で歌っている。しかも二度とも。
あの時は、傍らに犬がいたっけ。
生山善、再び。
あいかわらず、いい声。
車にもペイントしていた。
これ動くんだよと、笑っているのか笑っていないのかわからない黒眼鏡の山善さんであったが、山善さんのご友人が後ろから撮った車の内部の映像を見せてくれたら、どうやらエンジンはすっぽり抜かれているようだった。がらんどう。
もう、うごかないんだよ。
といった。
空の器と化した車は立体的な屏風のように、丸々とそこにあった。
それから、赤レンガの文学館の前を通ると、花田清輝の特集をしていた。
直筆は意外とまるくかわいいのであるが枠からはみ出る勢いがなんとも彼らしい?
あーばんぎゃるどについてや映画批評等。
うちにあるTHE花田清輝を読みなおせといわれているようで、宿題をもらった気がしながら、またはかた?ぶらぶらぶらついた。
アラーキーの写真展をやっていたので、またまた覗いた。
左眼の恋。というタイトル。
左眼にはレンズを通した恋があり、右目はつぶっているままのぼんやりと薄暗いもやがかかった故意があり。
カメラをうつすその瞬間、対象に恋をしている、故意に。
おそらく彼の家の屋上テラス?でワニや怪獣がバラバラと置かれている写真をとっている影は彼の故意。
空を空々しく撮っていく日々。の下に、ころがったフィギアの世界。もう、生きていないような彼の影の故意。
カメラの中の視野狭窄。の果ての夢なのか、現なのか。
喰われそうな赤子の人形の首の先には獣がいる故意。
左眼だけの恋。
その他はおしなべて故意のえろたな(えろすたなとす)。
それから、古本をあさりに行く。
福岡のやまとの野田村の話があった。
そこいらで育ったという父にも繋がるかもしれない戦中の通信大臣の自伝的本であり、佐賀の乱や龍造寺の時代から、三池炭鉱の話、犬養などの時代の資料としてもいいのだが、一人の人を通しての時代史でもあり、興味深いものであったが、ちょっと高めなので、今度来た時まだ残っていたなら、読むということで。その場を後にした。
濃い今日。という日。