明鏡   

鏡のごとく

蝋梅の花

2022-03-10 02:53:54 | 詩小説
蝋梅の花が咲いていた。

1月11日に九州の筑後川流域の杉皮葺とは葺方が違う、奥多摩の特徴的な杉皮葺の屋根である、あきる野にあるお屋根の葺き替えの加勢をするために東京に来てから、しばらくしてのことだった。
作業がひとしきり済んで、昼休みになって、休憩室に引き上げる時に、大きなかやの木の近くに小さな黄色い花がぽつりぽつりと咲いていたのだ。
思わず、近づいていた。
犬がうまそうな匂いに食らいつくように、黄色い小さな花に鼻をくんくんしながら、近づいた。
黄色い花が、ぷっくりとつやつやとしているものだがら、蜜蠟のようにも見えるので、蝋梅という名になったというものもいるらしい。
去年、蜜蠟の花という詩集を自分の生まれた日に出したので、この花に、ここで出会えたのも、何かのご縁のような気がしてならなかったのだ。

来る前に、出版祝いだと、蜜蠟の花のような、花のような蜜蠟を竹細工のてんごやさんにいただいていたのも、言葉が、形になっていく、現実化していくようで、妙に嬉しかったのだが、手で触れ、鼻でかぐわい、眼で愛でることができるものが、生のものがそこにあったものだから、急に生気づいてきたようで、その匂いに、囚われていた。

マスクに囚われ、コロナに囚われているよりも、ずいぶんと、生きているものだ。その生々しい匂いを嗅いでいるだけで生の領域に囲まれているような気がしていた。

ひとしきり香りを吸い込んで、休憩室に帰ると、仲間が、

ロシアがウクライナに侵攻したみたいですよ。

と言った。

爆撃の色は、夕暮れの赤だった。

子供の頃、住んでいたイランにイラクが攻め込んできたのも、突然であった。

戦争は、突然やってきた。

その突然を、いつの間にか、生活が押しやるのだ。

戦いを押しやるのが生活だったのである。

必ず、生活が、戦いを終わらせるのだ。

我々が淡々と生活し、生きた輪になって、戦いを囲い込み、戦いを終わらせるのだ。

と、心の中でつぶやきながら、淡々と、心と体を洗うように、茅を葺き、杉皮を葺くのだった。