お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

高齢者になるにつれて物欲が薄れていく

2021-09-10 05:52:24 | 日記

高齢者になるにつれて物欲が薄れていく


現役を引退して生活習慣が大きく変わり、特に人と接する機会

が極端に減ると活動範囲も狭くなり、欲しい物への執着心が薄

れていくようだ。若い時や現役社会人の時には、必需品への拘

りとか、趣味や志向に対しての物欲が強く、そのためにお金を

貯めたり、夢まで見ることがある。男女の違いや個人差は当然

にあるが年を重ねるごとに物欲が弱くなっていくような気する。

 

富裕層や貧困層などを考慮せず一般的な話として考えると、個

人的な性格の違いはあるが、高齢者になるにつれて精神的に物

に対する執着が弱くなってきて「足りるを知る」考え方が自然

となり、現在生きていく上で必要な物があることで満足する心

境になるっていくのかもしれない。

 

しかし、幾つになっても好奇心は持ち続けて居たいもので、そ

の中には物に対する欲求も出てくるだろう。今を自分らしく生

きて行こうとした時に心に起きる物欲をどう判断するか「足り

るを知る」人間にとっては悩ましい問題でもある。結論的には

自分と向き合い「心が豊かになる生活を送る」を基に考えるこ

とが大切だと私は思っている。

 

 


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時代によって変化する日本の集団主義

2021-09-09 06:00:44 | 日記

時代によって変化する日本の集団主義

 

よく日本の常識の特徴とか日本人の考え方と言って、集団主義

とか仲間意識が強いという所謂「群れる」と言われる。それは

自分もその社会の一員である安心感があり協調性も育まれると

思っているからである。

 

しかし現代の社会では、この考え方も変化しているようで、どち

らかと言うと若い世代や現役の社会人は「群れる」ことより個人

優先主義的な考え方を持って人が多いように思っている。



そして「群れる」ことの意義も変化して、様々な考え方や価値

観を知ることがで、そこから自分の感性を基に考え方や価値観

も形成され進化していくと捉えてるとしたら「群れる」ことを

自分なりに上手く活用しているのかもしれない。

 

しかし、殆どの人間が個人主義に変化した訳ではなく「群れる」

ことに自分なりの居場所に生き甲斐を見出す人もいるだろう。つ

まり「群れる」=集団主義ではないということである。

 

現代は多様性の時代で、様々な人間関係の於いて、互いの違いを

認め合い共存することへと変化しつつあるが故に、自分を見失わ

ずに現在の感性を信じて変化に適応することが大切だと私は思っ

ている。

 

 


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死後の存在をどう考えるか?

2021-09-08 05:24:18 | 日記

死後の存在をどう考えるか?


人生100年時代と言われているが確かに昔からみると、現在は

はるかに平均寿命は延びて、特に日本は80歳以上の人口は約1

200万人で全人口の1割を占めている。しかし、もしも死後の世

界が存在し、時間とか距離という観念が存在するとしたら100年

どころか永遠に続き、死後の世界のほうがはるかに長いと言える。

 

「死後の世界は無である」と否定する人もいれば、「死後の存在

を認めている人」と肯定する人がいるが、私から言わせれば、ど

ちらも根拠はなく自己完結しているに過ぎない。中には、臨死体

験したといって、その存在を確信したといわれる人もいますが、

残念ながらそれを立証することはできない。現世に於いて経験や

体験ほど根拠と証明のできる実体はない。

 

しかし、我々人間は、知らず知らずの内に死後の存在を認めてい

る。例えば「ご冥福(死後の幸福)をお祈り致します」と弔辞を

述べたり、大切な人が死んだ時に遺体をゴミ箱に捨てず、葬儀や

墓参りといった死者を供養する儀式を、なんの疑問もなく行って

いる。そう考えると、我々人間は死後の存在(あの世)を無意識

のうちに認めているということになる。

 

いずれにしても、必ず自ら知る時が誰にでもやってくるのだから。

今は「この世」で自分らしく生きるのに専念することが大切であ

ると私は思っている。


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いくつになっても清潔感は保っていたいが

2021-09-07 05:28:22 | 日記

いくつになっても清潔感は保っていたいが


清潔感のある人は周囲の人に好印象を与えるもので、誰でも

常に清潔にしていようと思っている。しかし「清潔な人」と

「清潔感のある人」とは違い、外見の清潔さは当然だが「清

潔感のある人」とは、人格が正しく誠実であるさまを意味す

る表現で、つまり清潔感とは外見は当然で多くは内面的なも

のを表すものである。

 

では、清潔感を保つためには、どんな要素を備え持つことが

大切なのか私なりに考えると、髪型は整える、精神的に健康

である、姿勢が良い、身なりを整える、言葉使いが丁寧、エ

チケットやマナーを身につける、整理整頓ができている、こ

れだけでも全てを備え持つことは容易ではない。しかし「清

潔感がある人」になるには、外側と内面を同時に磨いていく

ことが大切で、これらを磨くことは、自分自身の気持ちもス

ッキリして、前向きに行動できるようになる。

 

要するに、単に見た目だけではなく、内面も磨けているから

清潔感を与えることができ、周囲からの印象も良くなり評価

も上がり、そして人間関係に於いても信頼される人に繋がる

と思う。つまり本来の清潔感とは内面から醸し出される人間

性のことである。しかし「清潔感のある人」を保つには、そ

う簡単なことではないと改めて感じている。


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心豊かに生きていると感じる状態とは?

2021-09-06 05:50:38 | 日記

心豊かに生きていると感じる状態とは?

 

人は誰でも心豊かに生きていたいと思っているが、それには

最低限度の物質的な豊かさが必要だが、その上で何気ない日

常に、ありがたみを感じることができれば、精神的に豊かだ

と言えるだろう。何もないところに穏やかさやを感じ、楽し

みを生み出し、愛する人と心穏やかに楽しく過ごすこと、つ

まり、何気ないありふれた日常に、ありがたみや幸福感を感

じるようになれば、それは心が豊かなことだと私は思ってい

る。

 

心の豊かさは「こうでなければ」という条件は付かないように

思える。例えば恋人がいることが幸せだ、と考えてれば、そう

でない状態は不幸せになる。だが天気の良い日の心地よさや、

頬を伝う風の心地よさなど、自然の与えてくれる心地よさは、

日常から感じることができ、幸福感の型を自分で決めてしまい

自らそれらに捉われてしまえば、日常の幸せは心が感じ取れな

くなってしまう。

 

そういう意味では、心の豊かさは型に嵌まった幸福感に捉われ

ないことで、ふとした幸せを、心が感じ取れる状態だと言える

と思っている。

 

また心が豊かであれば、人に与えることができ、人と分かち合

うことができる余裕も生まれる。自分が得ることは、勿論大切

ではあるが必要以上の物を求めず「足るを知る」感覚があれば

他人と分かち合うことは可能で、そう考えると欲が少なく、人

と分かち合うことができる状態も心が豊かな状態だと私は思う。

 

 


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