お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

両親とも最期を看取ることができなかった私

2021-12-21 04:57:03 | 日記

両親とも最期を看取ることができなかった私

 

私の父は48歳の時出張先で脳卒中で急死した、私が13歳の時で死後3日目にして遺体に会えた。

当時の父は単身赴任や出張が多かったので、亡くなったと聞かされた時は子供の私には、直ぐには現実を受け

入れることができずにいたことを覚えている。

父との思い出は10年ほどだったが、とても子煩悩でよく遊んでくれた事とバイクの後に私を載せるのが好きな

父だった。

母は一昨年92歳で札幌の病院で息を引き取った、私はその時には既にこちら(神奈川)に来ていて看取ること

はできなかった。

私がこちらに来る頃には、施設に入っていて認知症が徐々に進んで私を認識することもできなくなっていた。

そんな母を姉に託してこちらに来た事は、なんて親不孝な息子だったと今でも後悔している。

きっと母は、頭では私のことを忘れてしまったが心では傍にいて欲しかったに違いない。

92歳まで生きた母の終期は幸せだっただろうかと思うと胸が痛む。

父の遺骨は故郷のお寺の納骨堂に預かって貰っていたが、こちらに来る前にお墓を建て納骨してきた。

そして母を納骨し53年ぶりに夫婦を再会させることができたのが、唯一の親孝行かもしれない。

しかし、病弱の母を残して一人こちらに来たことは死ぬまで私の心のしこりとして消えることはないだろう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私流の自己満足型ブログ

2021-12-20 03:50:49 | 日記

私流の自己満足型ブログ

 

一昨日、ちょうど一年前のブログを見たら、富士山の画像を載せて書いていた。

以前は、ブログによく画像を載せて書いていたが、一年ほど前からは殆ど文章だけで書いている。

別に何かキッカケがあってのことではなく、ただ面倒なだけである。

確かに、画像の持つ魅力と言うか説得力には感心するものがある。

私は、幸運にも大好きな富士山を毎日のように見ることができる環境に住んでいる。

そして今年の元旦から富士山を中心とした景色の画像とブログのタイトルとURLをFBに投稿している。

単にFBの友達にその美しさを見て欲しいだけで、ついでにブログに目を通して貰えればと思っている。

私がブログの読者に配慮するのは、わかり易さと読み易さの2点だけである。

つまり、投稿したブログについて読者がどのように感じるかは、わからないので感心はない。

まして、私が投稿した内容によっては正解であるとは限らず、そんな時も責任を感じることはない。

一人一人の読者がどう捉え感じるかは読者次第で、私が関知することではない。

ただ、私のブログを読んで、考えるキッカケになったとしたら嬉しいとは思っている。

ブログは思いついたテーマに、想いや考えてることを自分らしく素直に表現して晒すだけです。

私はブログのコメント欄を閉じている。

読者が私のブログを読んで、共感や反論や質問を書いて戴いても、答えようがないからである。

FBではコメントを書けるようにしてるが、殆どの方は画像を見に来てくれてるので、ブログに対するコメント

は少ない。

私はブログを書いて世の中に晒した時点で、その時の自分の表現が全てで完結している。

それが、私流の自己満足型ブログである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大人のいじめは集団心理が招く

2021-12-19 04:33:10 | 日記

大人のいじめは集団心理が招く

 

人間は集団になると冷静さを失ったり、罪悪感が薄れてしまうことがある。

そして、いじめや嫌がらせのような道徳的に許されない行為を行ってしまうことがある。

このことは、精神的に未熟な子供ばかりではなく、大人も同様である。

このような、いじめや嫌がらせの裏には集団になるからこそ起きる特殊な心理状態がある。

すなわち、集団心理により人間の考え方や行動がいとも容易に変わってしまうということ。

もちろん、集団心理のせいだからと言っていじめや嫌がらせを肯定するわけではない。

冷静に考えればいじめや嫌がらせのような他人に危害を加えたり不快な思いをさせる行為は、理性が働いてい

る状態であれば、まずすることはない。

大人の場合であれば、誰かをいじめたり嫌がらせをすることよって自分の評判を下げてしまうリスクもある。

それらが原因となって裁判沙汰になれば経済的・社会的損失を被ることは容易に想像できるはずである。

いじめなどで得る利益以上に自分が受ける損害について知っているからこそ、積極的にいじめや嫌がらせなど

は理性的な人であればしない。

しかし、集団となると他人にいじめや嫌がらせをすることに対する抵抗感が失われてしまうことがある。

私的な考えだが、そのような心理状態になる原因は4つ考えられる。

・集団の一因であると感じて強くなったと錯覚する。

・罪悪感の希薄化。

・責任感の希薄化。

・「多数派=正義」という短絡な思考。

そして、忘れてはいけないのが観衆や傍観者の存在である。

観衆はいじめなどを見て面白がってる人、傍観者はそれらを認知していて見て見ぬふりをしている人である。

どちらも間接的にいじめなどの存在を影で支えている存在と言える。

集団そのものを否定してる訳では決してない。

集団心理によっていじめなどの加害者になる可能性が潜んでいることを理解しておくことが大切である。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生も恋愛も二面性を大切にすること

2021-12-18 04:00:13 | 日記

人生も恋愛も二面性を大切にすること

 

人間は、楽しんだり、笑ったり、そして悲しんだり、泣いたりを繰返して生きている。

常に、楽しんだり笑ったりする生き方をしたいが、偏った不自然な生き方はできない。

悲しんだり泣いたりする時期があるからこそ、楽しんだり笑ったりする喜びを知る。

楽しんだり笑ったりする時期があるからこそ、悲しんだり泣いたりする辛さを学ぶ。

どちらがいいか悪いかではなく、このように二面性あってこそ人間らしい人生だと思う。

しかし、人間は「恋愛」となると、上手くいくことを考えてしまいがちである。

全てが上手くいき、上手くいかない状態は「起こしたくない」と願う。

恋愛も人生の一部で、上手くいくことばかりではなく、やはり二面性がある。

悲しみがあるから、喜びが引き立ち、楽しみがあるから、悲しみも引き立つ。

それが、感情豊かな人間らしい生き方だと思う。

人生も恋愛も、全てを受け止めようとする心の備えがあれば、自然と二面性のバランスが取れるはず。

喜びと悲しみの二面性を大切に生きていきたいと思っている。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年度の補正予算は過去最大の36兆円

2021-12-17 04:10:12 | 日記

今年度の補正予算は過去最大の36兆円

 

政府は2021年度補正予算案を15日に衆議院で可決し16日から参議院の審議に入る。

そして、21日の会期末には成立する予定である。

一般会計の追加歳出の総額は補正予算としては過去最大の約36兆円に上る。

歳入の不足分は総額の6割強の約22.5兆円は、所謂赤字国債を発行して賄う。

問題となった、18歳以下の10万円の特別給付金も今回の補正予算に含まれている。

この給付金についても様々な議論があるが、結局は各自治体の意向に任せるようだ。

おそらく、殆どの自治体は全額現金給付の形を取るだろう。

総額約2兆円については当初「現金5万円とクーポン券5万円」にする予定であった。

しかしクーポン券の印刷費や郵送費や人件費や全国の商店のクーポン対策などで4000億円の経費が掛かる。

ここぞと野党もマスコミも噛み付いたのも無理はない。

2兆円の他に4000億円もの経費が掛かるのは、クーポン券にする目的を差し引いても金額が大き過ぎる。

一方、10万円を全額現金支給にすると、貯蓄や借金返済にまわる可能性もある。

本来の趣旨に沿った使われ方をされるかは疑問が残る。

いずれにしても、子育て世帯には子供達にとって有効な使い方をされることを望みたいものである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする