岡田代表の質問では少子化の問題も取り上げられていた。
まず(たしか)50分の時間内で日韓首脳会談の成果や靖国問題、そして少子化問題とまるで総花式に質問したこと自体、どれだけの具体的議論をしようとしたのか自分には理解できないところがある。
これでは本格的な議論のできようはずはなくて、まさか自分がどれ一つとっても深い議論はできないのでそうしたとは思いたくないがいずれにしてもあまり大人の議論には思えなかった。
岡田氏の主張では少子化対策として、補助金を出すというようなことが言われていたと記憶する。
自分は依然として、あまり少子化の問題には詳しくないし、統計やアンケートなどもあまり見ない。
しかも自分の境遇を考えると少子化の問題には口はさしはさみにくい。
そう思う一方で、そうした自己規制あるいは「語るのが恥ずかしい」という感覚がもしかしたらまずいのかもしれないとも思う。
こうした問題に関しては個人的な状況にかかわらず、発言の自由が許されていいはずだと思う。しかし自分の立場ばかりを主張するのはひどく間違っていると思うのは野田聖子にいつも感じていることで、少なくとも少子化問題に関してはかなり幅広い視点から考えなければならないように以前から思っている。
このブログをご覧になっている方の中にもいろいろな立場のかたがおられるので、気分を害される方もいるかもしれないが、自分の考えでは岡田代表や野田聖子が主張している(野田に関してはたしかサンプロで言っていたと記憶する)ような「子育て支援策」のようなたぐいの平たく言えばおそらく「経済的支援」になるものをすれば少子化問題が少しでも緩和するとは自分には思えない。
もちろん子供を作りたいけれども経済的理由でつくれない方々は少なくないであろう。それを喜ぶ方も多いはずだ。しかしそうした方々にとっては民主党が提示したような金額でも足りないという人も多いのではないだろうか。(いくらかは忘れたがはっきり言ってそれほど高くはなかった筈)
自分などの感覚ではそもそもそのようにお金をもらえればこどもを作るという話しか、などとも思う。
もちろん子育てにお金がかかることは間違いない。しかし、そうした計算をしだしたらとても不安が先走って子供など作れないというのが現代の若者の心理なのではないかという気がする。
つまり生活にはこれこれのお必要などということを言い出したらとても子供は作れなくて、ある程度計算を超えた決意のようなものが子作りには必要なのではないかという気がしている。
もちろんある程度の計算が必要なのはもちろんだが、民主党などのように一年間にいくらのお金をやる、ならば子供を作るという風になるのだろうか。そうなることも多いにしても、それが問題の解決になるほどの数字に結びつくかどうか。
そもそも今現在にしたところで子供ができれば、小額とは言え「出産一時金」は出るのだし、税制上の優遇措置もどんどん減ってゆくようではあるが子供がいる家庭のほうが独身の人より優遇されているはずだ。
しかも公的サービスに関しても義務教育は公立は実質上ただなのだから、一定の税負担に対してどれだけの公的サービスをどれだけ受けられるかという指数のようなものがあれば、独身の人間は比較にならぬほど損をしていることになるのではないだろうか。
したがって自分が考えるには岡田代表や野田聖子らが主張する「子育て支援」のたぐい(待機児童を減らすというのも自分は要するに予算上の措置、つまり金の問題だと思っている)は問題の本質ではないと思う。
岡田氏は子供がほしくても経済的な理由でうめない人を念頭においているようだが、それをどれだけ国が面倒を見るのかというのは非常に難しい問題で、そう簡単に片のつく問題ではないだろう。
もちろん基本的に子供をもちたくないとか、結婚したくない人の考えは政治が変えようとするのは間違いだと思うので、この問題に関しては、どんなに野田聖子をはじめとする女性議員が噛み付いても「積極的でない姿勢を貫いている」かのような小泉氏の方が誠実だと思える。
もちろん結婚についても家庭のあり方についてもいろいろな考え方が存在し、お互い認められるような社会であればそれが望ましいことは言うまでもないだろう。
たとえばこの国は養子ということはあまり多くはないようだが、そういったことや籍を入れなくても単に養育することなどもどんどん増えることを期待すべき時期が来ているのかもしれないなどと自分は思う。
人がどのような家庭を築こうとしているかはまったく本人の自由だけれども野田聖子が自分は子供を生みたいといえば言うほど自分にはこの国の家庭のあり方が多様性を許さないものであり続けていることを示しているかのようで残念でならない。
むろんこれは利己的遺伝子とか、三高などという言葉についても考えるべきことであって非常に多くの視野から考えるべき問題であって、とても自分には扱えないような気がする。
そうした意識ががまずいのであろうが、いずれにせよ少子化問題を論じている人の議論が自分の問題意識と比べて優れているとは思えない。