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名も無きねこに

『異邦人』 再読

2009-03-29 23:09:39 | わたし
およそ二十年ぶりにカミュの『異邦人』
(中村光夫訳, 1972, 新潮社)を読み返した。

死刑を待つムルソーと神を信じるよう説得しようとする司祭のやりとりは、
いま読み返しても、いや、いまだから尚更なのか、
胸が押し潰される思いがする。
邦訳を手がかりに、フランス語の原文にあたった。

Rien, rien n’avait d’importance et je savais bien pourquoi. Lui aussi, savait pourquoi. Du fond de mon avenir, pendant toute cette vie absurde que j’avais menée, un souffle obscur remonte vers moi à travers des anées qui n’étais pas encore venue et ce souffle égalisait sur son passage tout ce qu’on me proposait alors dans les anées pas plus réelles que je vivais.

rien と toutを入れ替えることは、できないのだろうか。
どうして彼は何ものにも関係しないのだろう。

ボーヴォワールが『人間について』で、
この主人公を引き合いに出していたが、
何とも「関係」しないでいることは、
かえって難しい在り方ではないのか。
だからといって、どこかの国で死んでいく人たちのために
わたしが涙を流せば、それが関係に結びつくという話も、
そのまま信じることはできない。

カミュのその他の評論も読んでいくことにして、
« L'étranger » は勉強も兼ねてフランス語で読んでいこう。
明日からまた、フランス語を始めよう。
コメント
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