今日の読書会、イカとわたしと占い師さんと三人で『イスラーム文化』を読んで、
ようやく全体の半分くらいに差し掛かった。
で、人間には理解出来ない正義というものが(アッラーの)神意にはあるのだ、
という記述にイカが噛み付いて、絶対の正義なんかあるもんかといいつつ、
旧約聖書の『ヨブ記』を引っ張り出して読み始めた。
わたしは聖書をちゃんと読んだことがないので、以下は伝聞だけれども、
彼の言では、どうも神とサタンが言い合いになって、
本当に信仰心篤いやつがいるのを証明してみせろよとか言う話しの流れで、
神が敬虔なヨブを散々な目にあわせるそうで、その神の行いは正義に悖るだろうとイカが憤っていた。
まあ、ヨブとしてはたまった物ではないな。
人間の水準から見た正義や善からはみ出しているかもしれないけれども、
それこそが人間に理解できない絶対の正義とか言うものなんじゃないのか、
と占い師さんとわたしはイカと反対の見解になった。
『イスラーム文化』で、著者は
「主人の位置を占める神は絶対的に有力、奴隷の位置を占める人間は絶対的に無力」
ですから相手にたいして義務を負うのは人間の側だけ。神は人間にたいしてなんらの
義務も負いません。ただ権利だけを主張します。
これにたいして人間はまったく権利を主張することが出来ません。」
といっている。
神は絶対の主人、人間は絶対の奴隷という構造では、神が存在したとしても人間に対して、
善や正義について、説明責任とか義務とか無いだろう。
全く共感できない教義だけれども、『ヨブ記』を読んでみようかという気になった。
寝る前に読んでみよう。