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名も無きねこに

古典ばかり

2022-12-22 23:27:44 | わたし

一日家にこもって、スコッチを飲みながら古典的な映画ばかり観た。

 

『理由なき反抗』(ニコラス・レイ監督 1955 米)
『ラストエンペラー』(ベルナルド・ベルトリッチ監督 1987 伊・中・英・仏・米)
『炎のランナー』(ヒュー・ハドソン監督 1981 英)

 

『理由なき反抗』は初鑑賞。

先週の『ウェスト・サイド物語』(ジェローム・ロビンズ監督 1961 米) に続けてナタリー・ウッドを見る。

バズがチキンレースで命を落とした直後、彼の恋人らしかったナタリー・ウッドが、

同日にジェームズ・ディーン演じるジムと恋仲になるのがあんまりだった。

ジムが父親に対して抱える葛藤や、両親不在のプレイトーの孤独に、

世代間の断絶や、若者が抱く言葉にできない苛立ちという普遍的テーマを感じた。

ストーリーのイベントのほぼ全体がジムの転校してきた日から翌日の夜明けにかけての出来事で、

場面一致の法則というのか、舞台的にまとまった感じだった。

 

『ラスト・エンペラー』はわたしが子供のころ話題になった作品だ。通しで観るのは初めて。

紫禁城で溥儀に人々が跪くシーンはもっと人が多かった印象だったが、見てみたらそれほどの人数でもない。

記憶の補正がかかっていたようだ。

最初から最後まで一貫して溥儀の物語で、その他の登場人物は添え物的な扱いだったので、どこか物足りなさがあった。

とはいえ監督にとっては完全に異国の舞台なのに、清朝末期から文革最中の中国の空気がよく映されていた。

他の監督作品も観てみたい。

 

『炎のランナー』を観るのは三度目。

リドルが自分の信仰のために100m走の予選に出られないとオリンピック協会のお偉方を前に一歩も譲らずにいる場面は、

つい彼の肩を持ちたくなる。

もう一人の主人公ハロルドは、ユダヤ人であることを劇の最初の辺りで大学の学長たちがけなされていた。

信仰やユダヤ人問題などがうっすら漂う背景は、イギリスの視聴者にはどう捉えられるのだろうか。

 

まだスコッチも残っているので、もう一本なにかB級作品でも観よう。

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