昨日に比べは腰痛が和らいだ。が、一日家に籠って本を読んだ。
アーレントの『人間の条件』(志水速雄訳 ちくま学芸文庫 1994) が届いた。
すいすい読み進められる本ではないだろうと思っていたが、その通りだった。
読破するのにどれくらいかかるか見当がつかないし、再読、再々読しないと理解できないな。
昨日に比べは腰痛が和らいだ。が、一日家に籠って本を読んだ。
アーレントの『人間の条件』(志水速雄訳 ちくま学芸文庫 1994) が届いた。
すいすい読み進められる本ではないだろうと思っていたが、その通りだった。
読破するのにどれくらいかかるか見当がつかないし、再読、再々読しないと理解できないな。
何日か前から腰が痛い。
仰向けに寝ている姿勢から起き上がろうとすると痛みを感じる。
運動不足かな。
今日はあまり読書に集中できなかった。
アーレントの解説本は folk と nation の違いの説明で止まったまま。
いい加減寝るとしようか。
"Lohnarbeit und Kapital" を原書で読む予習に、森田成也の訳でエンゲルスの前説を読んだ。
どうやって剰余利潤が生まれるか、資本主義社会で生まれ育った身には当たり前すぎる話に思え、理解に苦労した。
アーレントの「労働・仕事・活動」という三概念についてもう少し知りたくなり、『人間の条件』をメルカリで注文した。
届く前にもう一冊アーレントの解説本を読んでおきたいし、エリアーデもイカに薦めた手前読んでおかないと悪い。
読むものが多い。
もっと若い頃から熱心に本を読んでおけばよかったと後悔する一方、読みたいものを読める境遇に感謝している。
『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(矢野久美子 中公新書2257 2014) を読み終えた。
昨日読んだ『悪と全体主義』と比べて取っつきにくさを感じた。
アーレントの生涯とその著作の要点を紹介しているのだけれど、限られた紙面で両方追うのは無理がある。
これから『アレント 公共性の復権』(川崎修 現代思想の冒険者たち17 講談社 1998) にかかる。
これは何度か読まないとダメかな。
『悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える』(仲正昌樹 NHK出版新書549 2018) を読み終えた。
第二次大戦中ナチス親衛隊に所属し、ユダヤ人の絶滅計画で一定の役割を果たしていたアイヒマンなる人物は、ドイツの敗戦後、アルゼンチンに逃れ潜伏していたところを、イスラエルの諜報機関につかまって、イスラエルで裁判にかけられた。ユダヤ人の政治哲学者アーレントは裁判の模様を取材し、『エルサレムのアイヒマン』として出版した。
一般的なユダヤ人読者は、多くの同胞を抹殺したアイヒマンが悪逆非道な人物であると報道されることを望んでいたのだが、アーレントの語る人物像はそうした期待からは全く外れていた。
アイヒマンが裁判で主張するところでは、彼は確かに多くのユダヤ人を絶滅収容所に送り込んだが、彼個人としてユダヤ人を殺害したつもりは無く、法の順守と言う義務に従っただけだった。アイヒマン自身は自分のしていることの善悪が分からずに行動しただけで、とりわけ悪逆非道な人物であったわけではないというアーレントの論調は、ユダヤ人社会からは散々非難されたらしい。
そもそも第一次大戦後、ベルサイユ条約で膨大な額の賠償金を背負ったドイツで、裕福な地位のユダヤ人に対して反感を覚えるドイツ人市民は多く、ユダヤ人が社会を裏から動かしているのだという陰謀説が流布していた。いわば「ドイツ民族は善で、ユダヤ人は悪である」といった分かりやすい図式がドイツ人社会に浸透していて、ヒトラーはそうしたストーリーを利用して、ドイツ人の人気をさらい、全体主義社会をまとめ上げてしまった。ユダヤ人がアイヒマン報道に期待した絶対的な悪と言う人物像も、分かりやすさを求めるものであり、その点ではユダヤ人陰謀論のようなストーリーと変わらない。アーレントはアイヒマンを大勢に流されただけの「陳腐」な人間と評した。善か悪かという分かりやすい二項対立に落とし込むこんでしまえば、それはまたナチズムと同様の全体主義につながってしまう。
敵・味方を二分するような論理に反射的に飛びつくのは、単純な欲求に突き動かされているだけで、理性に基づいて自分の行動を自分で決める自由を失うことになる。そうした土壌が全体主義と言う悪を生み出す。というのが、大体最後の辺りの話のようだった。
読書会までにもう何度か読んで理解を深めたい。
『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(矢野久美子 中公新書2257 2014) も手元にある。
こちらにも目を通していいだろう。
『悪と全体主義』は今日か明日には読み終えられそうだ。
"The Origings of Totalianism" がメルカリで安かったのでつい注文してしまった。
積読本が増えていく一方だ。
昨日の日中から夜にかけては暑いくらいだったのに、何だこの寒さは。
毛布を出すとしよう。
先月訪れた歯科医院、朝一で行ってきた。
一番乗りかと思いきや、すでに先客が一人治療を受けていた。開院時間丁度に来ているのか?
治療の順番が回ってくる前に会計で呼ばれた。
前回の診療時に間違って初診料を取ってしまったと言われ返金を受けた。
会計処理を済ませてから診察室に通された。
歯冠が取れた部分の歯肉が腫れていて、そのまま付け直すことができないため、
麻酔をかけて歯肉の一部を切り取ることになった。
歯肉切除は終わったものの、血が滲んで歯冠を取り付ける接着剤の力が少し弱くなると説明を受けた。
歯冠が取れたらすぐに来るように、と何度も念を押される。
ただでさえよく取れるのにそんなに注意をされると大変不安になる。
取れてしまった場合は別の歯科医院に当たるか。
接着剤が安定するまで水を飲むのも避けるのが無難だろうから、クスリを飲んで寝るのは 13:00 過ぎだ。
それまで大人しく本でも読んでいよう。
アーレントは、それに関わる人に、自分が物凄い出来事に立ち会っているかのように思わせ、現実的な利害は度外視して、それに参加し続けたいと思わせる「大いなるゲーム」に全体主義の一つの原型を見ています。
きびだんごを食べたら奥歯の歯冠が取れた。9月19日に取りつけてもらったところだ。
いい加減別の歯科医院に替えた方が良さそうにも思うが、タイミングが悪く木曜はどこの医院も休業で、
営業しているのはいつもの所しかない。
今日は仕方ないとして、この次は別の所にしよう。
おにぎりとメンチカツを食べて横になっていたら少し元気がついた。
占い師さんの薦める本『悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える』(仲正昌樹 NHK出版新書 2018) を読み始めた。
イカも同書を15ページ程読んで、「一応(読書会の課題図書)候補たり得る」といっている。
まだ出だしを読んだに過ぎないが、アーレントの著書『全体主義の起源』について簡潔に述べた箇所があった。
「アーレントは全体主義を、大衆の願望を吸い上げる形で拡大していった政治運動である、と捉えています。」
「ごく一部のエリートが主導して政治を動かす、いわゆる独裁体制とは全く違うものである」
「大衆自身が、個人主義的な世界の中で生きていくことに疲れや不安を感じ、積極的に共同体と一体化していきたいと望んだーーと考えたのです」
主体的判断を放棄して身を委ねるという意味で、共同体にコミットするとでも言うのか。
共同体に全てを負わせるという点では責任転嫁と言ってもいいが、コミットする責任からは逃れられるのか?