京都川端桜通

 今年は桜が長くもっているらしい。その年その年の違いをあまり気にせず暮らしているので自分では気がつかないのだけれど、言われてみればそうかもしれない。
 お酒も飲めず、交友関係も広くないので、桜の下で花見の宴会などはする気もつてもないけれど、やはり桜の花が咲くと、外へ花を見に行きたくなる。京都に住んでいるので、桜の木には不自由しない。少し歩けば、すぐに川端通の桜並木が南北に延々と続いている。桜の季節、川端通は渋滞気味で、急ぐときには苛々するが、とくに用もないときには、車の中から花見ができて、かえってちょうどよいくらいだ。
 桜並木は、一日の光の変化のために、時間によって趣を変える。朝はなかなか家を出られないから、朝日を浴びた桜は知らないけれど、晴れた昼には、青い空に、白い花がくっきりと浮かび上っている。日が傾くと、柔らかくなった光が横から差し込んで、花々は陰影が濃くなり、風景は全体に黄金色になる。川面に向かって伸びた花の枝の下でポーズを取る母娘の頬も、カメラを構えるお父さんの髪の毛の縁も、金色に光っている。
 夜は明るい。通りのところどころに立つ店の照明や街灯の光を吸って、枝についた鞠のような花の塊がそれぞれ薄明かりを宿し、桜の木全体が、ぼんぼりのように白く浮かぶ花灯路。
 だいぶ花も散りだした。風が起きて、道の上に張りついた花びらを、くるくると回転させている。いつまでも花を見ていたいけれど、もしも一年中咲いていたなら、喧しくて仕方ないのだろう。散るならば、さっと散れ。桜はそんな花である。
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