ネコ信仰

 二人がけソファの真ん中でみゆちゃんが眠っているので、肘かけに腰掛けた夫が「みゆちゃんは、家族の中で自分だけが猫であることに違和感ないのかなぁ」と奇妙な疑問というか、感想を漏らした。
「そりゃあ、もう自分のことは人間だと思ってるんじゃない」と私は答えたのだけれど、待てよ、と思った。猫が自分のことを人間だと思っている、という考えは、人間優位が前提の勝手な想像で、みゆちゃんにしてみれば、なんでわざわざ猫である自分をおとしめて、人間だと思わなければならないのと、鼻で笑いたくなるかもしれない。
 猫信奉者にはよくある考えだけれど、私も、猫の方が人間より優れた動物だと思っている。柔らかい体や、滑らかな毛並みはもちろん、暗闇でも見える目や、高いところから跳んでもうまく着地ができる運動能力など、人にはない優れた能力が満載だ。そう言ってしまうと、人にだって猫にはない能力がたくさんあると反論されるだろうけど、そこのところは、盲目的な信奉者ゆえ知らんぷりを決めている。
 日溜りでごろごろ午睡を楽しみ、お腹がすけば、うーんと伸びをしながら立ち上がって、ご飯を食べる。そんな猫を信仰する宗教があれば、宗教戦争なんて起きないんじゃないかなどとふと考えたけれど、やっぱり犬派と争ったり、同じ猫宗派のあいだでも、うちの○○ちゃんが一番よなどと、争いの種は尽きないかもしれない。
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