カタカナライクな世の中

 世の中、カタカナが多すぎる。
 こういうことを言い出すのは、年をとったせいなのかもしれないけれど、このネックレス、デコラティブでいいねとか、マンションのホテルライクな通路とか、今年の夏はビーチに行きたいなって、海水浴場では格好がつかないのかしらん。
 デパートの服売り場の店員が「このコートはファーがついているからいいですよ。ファーはマストアイテムです」とか言う。その毛皮って本物?偽物?と聞くと、「フェイクです」と答えた。まあ確かに「ニセモノ」っていうのはあんまりいい感じがしない。もっとも、パーソナリーには、ジェニュインなファーはフォックスやラビットがプアーなフィーリングがするので、フェイクの方がベターであるけれど。
 公開中の映画を検索してみたら、日本語の邦題がついているものがわりとあって意外だったのだけど、少し前は原題をそのままカタカナにしたものばかり並んでいた。何年か前に「ロードトゥパーディッション」という映画が上映されていたとき、私の英語力では、タイトルだけ読んでどんな映画なのかさっぱりわからないと思った覚えがある。どんな映画かわからないのに、見たいなんて思うだろうか?そのハテナなところがいいのだろうか?もっとわからないのは、わざわざ原題とは別の、原題風カタカナタイトルをつけたものである。昔の映画は、気の利いた邦題がついていた。ヒッチコックの「鳥」が「バード」だったら、勝手なイメージだけどなんかピヨピヨかわいいのが飛んでる感じがして、あんまり怖い感じがしない。
 先日どこかの飲食店に入ったら、メニューに「ウーロンティー」と書いてあった。へそを曲げて「ウーロン茶」と注文してみたら、店員さんは眉ひとつ動かさず、「ウーロンティーがおひとつですね」と言い直したので、こちらが恥ずかしくなってしまった。
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