越後の蒲原平野をよぎる阿賀野川、
その西岸にある小さな集落を「沢海(ソウミ)」と言います。
この地に江戸時代中期、農より身を起こし代を重ねて
豪農の道を歩み、やがて巨万の富を築き、
越後随一の大地主となった一族、伊藤家の屋敷があります。
本邸は敷地8,800坪、建坪1,200坪、部屋数65 の純日本式住居。
昭和21年、「財団法人 北方文化博物館」を創設
豪農の館として一般公開しています。
2012.4.30
豪農の館敷地内には新潟県刈羽地方から移築した古民家がある。
約400年前の江戸時代初期の農家の家。
八重桜とコラボして日本の原風景のよう…
大広間 座敷
美しい庭園に面した大広間。
畳みの数は全部で100枚。
大広間 座敷
座敷を囲む廊下自体には柱が一本もない。
回遊式庭園と池泉
京都・銀閣寺ゆかりの庭師が5年がかりで造る。
大広間の角。
庭園に面した大広間、後を振り向くと中庭が見える。
その向こうのお茶の間部屋に行ってこちらを見てみよう。
ここは茶の間側。
中庭をはさんで大広間を見る。
茶の間の廊下は16間半(30m)の
会津産一本杉丸桁が使われている。
右手は一般の出入り口と奥は台所
台所では当時50人余の従業員が働いていた。
竈では60kg(1俵)の米を毎朝焚いていたという。
全国的にも有数の規模を誇った越後の地主伊藤家。
越後に旅した時は、在りし日のままの豪壮な館を訪ねてみよう。
その西岸にある小さな集落を「沢海(ソウミ)」と言います。
この地に江戸時代中期、農より身を起こし代を重ねて
豪農の道を歩み、やがて巨万の富を築き、
越後随一の大地主となった一族、伊藤家の屋敷があります。
本邸は敷地8,800坪、建坪1,200坪、部屋数65 の純日本式住居。
昭和21年、「財団法人 北方文化博物館」を創設
豪農の館として一般公開しています。
2012.4.30
豪農の館敷地内には新潟県刈羽地方から移築した古民家がある。
約400年前の江戸時代初期の農家の家。
八重桜とコラボして日本の原風景のよう…
大広間 座敷
美しい庭園に面した大広間。
畳みの数は全部で100枚。
大広間 座敷
座敷を囲む廊下自体には柱が一本もない。
回遊式庭園と池泉
京都・銀閣寺ゆかりの庭師が5年がかりで造る。
大広間の角。
庭園に面した大広間、後を振り向くと中庭が見える。
その向こうのお茶の間部屋に行ってこちらを見てみよう。
ここは茶の間側。
中庭をはさんで大広間を見る。
茶の間の廊下は16間半(30m)の
会津産一本杉丸桁が使われている。
右手は一般の出入り口と奥は台所
台所では当時50人余の従業員が働いていた。
竈では60kg(1俵)の米を毎朝焚いていたという。
全国的にも有数の規模を誇った越後の地主伊藤家。
越後に旅した時は、在りし日のままの豪壮な館を訪ねてみよう。