頼朝は鎌倉に、勝長寿院と永福寺という
ふたつの大きな寺を建てました。
今回はその永福寺(ヨウフクジ)についてです。
文治5年(1189年)頼朝は
中尊寺の二階大堂大長寿院を模して
永福寺を建てました。
寺は再三の火災で江戸時代初期には
衰亡してしまいました。
鎌倉駅からバスで10分。
大塔宮下車徒歩5分。
鎌倉宮から瑞泉寺に向かう途中に
永福寺跡はあります。
テニスコートの北側に
史跡 永福寺の平坦地が広がっています。
以前は塀に囲まれ、何もない野っ原でした。
この周辺は国の指定史跡。
45年かけて8割強まで鎌倉市が土地を買い取り
国・県・市の出資で昭和58年から
発掘調査が継続的に行われ
今回礎石が復元されました。
23年度は敷地の南側の植生保存地区の整備、
基壇を復元するための巨大な石を
展示していたようです。
現在は二階堂・阿弥陀堂・薬師堂の基壇復元と
複廊の礎石を設置し公開しています。
ただし、復元された基壇を
すぐそばで見学できるのは
火曜日と金曜日、9時~15時、雨は見学不可。
とかいろいろ条件が厳しいようです。
復元基壇の手前には整備され公園のような
植生保存地区があり、散歩を楽しんでいる
地元の人達がいました。
西
東
左の2(途切れている)と書いてあるところから
入りました。
青い範囲「25年度整備範囲」と書いてある先を進みます。
創建期の永福寺は
東向きの中央の二階堂・両脇の阿弥陀堂・薬師堂を
中心に、福廊・翼廊・中門・釣殿が造られていたようです。
基壇とは…敷地面より一段高くつくった建物の基礎。
年粘土と砂を交互に少しずつ盛って突き固めたもの。
阿弥陀堂基壇(桁行16.66m×梁行12.73m)。
薬師堂基壇(桁行16.66m×梁行12.73m)を北西後方から見る。
二階堂基壇と薬師堂基壇の間を結ぶ複廊(桁行12.12m×梁行6.67m)。
複廊には基壇はありません。
二階堂基壇(桁行19.39m×17.57m)。
阿弥陀堂基壇と、右は複廊。
南角から阿弥陀堂基壇を見る。
復元想像CGです。(作成 湘南工科大学長澤研究室)
源頼朝によって造られた永福寺は、全国有数の規模、景観
を持つことがわかりました。
歴代の将軍頼家や実朝は、
この華やかな都の神殿造りの建物や庭園で、
花見・月見・蹴鞠など優雅な行事を行っていたようです。
この先の環境整備事業の計画としては、
庭園(堂周辺と池の南岸、西岸、
北岸、東岸周辺)の整備を行う予定。
これらがすべて終わると、
「武家の古都・鎌倉」を肌で感じることができる
歴史公園としてオープンします。
ちなみに、基壇の上の建物はなし?
と、整備関係者に尋ねたら、
「お堂や橋は外観を示す正式な資料がないので再現しません」
とのことでした。
想像図で大規模なお堂を造り、
後で歴史的に貴重な資料が出てきて
「こんな形じゃなかった」と分かっても、
じゃ、造り直しましょうか…
とはいかないですからね。