日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

共通感覚。

2015-02-14 15:08:58 | 発達応援
 世の中は、バレンタインデイ
このときしか鹿児島では買えないチョコもいっぱいあるんだろうなぁ~と、
デパートのチョコ売り場を映すテレビを眺めたりしています。

 今日はフォイヤーシュタインの日でした。
休憩中に、「まっすぐ、字を書けるように云々」という話になりました。

 ここで、保護者の方が言われている「まっすぐ」とは、
すべての字の上下が、ある枠からはみ出さず、
ジグザグに字が並んだりしていない状態のことのようでした。

 どうやら、子どもさんの字がジグザクうねっていて見にくいようでした。

 「まっすぐ書きなさい!」といえば、済むことのようですが、
この保護者の方が言う「まっすぐ」という状態はどういうことかが、
子どもさんとの間で共通に認識されていないと難しいだろうなぁ~と感じ、
そういうことをお話しました。

 私自身が「まっすぐ」ということが苦手だったので、わかるのですが、
たとえ、傍から見たら右上がりだろうと、本人にとっては「まっすぐ」だったりするものです。

 私自身のことで言うと、横書きの字が右上がりになっていても、
私の書いているところから字だけを見たら、まっすぐだなので気がつかなかったり、
紙自体の構えが右上がりであることにも気付けない、残念なお子様でした。

 その度に、まっすぐ座って紙の位置も自分と平行に置いてもらって、
「ほぉ~ら、右に上がってるでしょ!」と言われて、はじめて
「あれま!」と気付くような子どもでした。

 「あれが水平線だよ」と海の彼方を指差されても、
「すいへいって?」と思うような小学3年生だったので、実に残念です。

 漫画をノートに描くようになって、コマ割りのようなことをしだしてから、
はじめて、自分が定規で引く横線がノートの上下と平行かな、と意識した感じでした。

 自分の中で基準ができて、はじめて、自分で比べることができるのではないでしょうか。

 フォイヤーシュタインの教材でも自分の中の基準をコツコツ積んでいっている最中です。

 相手に望む状態をひとつひとつ、具体的に言葉にして、認識を共有する。
その認識が伝わっているかは、実践して試して、伝わっていなければ、伝え直す。

 伝える工夫をするのは、経験豊富な大人の仕事です。