ヘコまされた被害者&その家族と不登校児童・生徒&その家族を盛り上げる委員会弁護士の日記

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明石花火大会歩道橋11名死亡事件

2014年04月21日 10時58分50秒 | 相続
今朝の毎日新聞によると
 『兵庫県明石市の歩道橋で2001年、花火大会の見物客11人が死亡した事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された県警明石署の元副署長、榊和晄(さかき・かずあき)被告(67)の控訴審判決が23日、大阪高裁で言い渡される。「なぜ我が子は死んだのか」。遺族らにとっては事故の真相を追い求めてきた13年だった。【服部陽】

 次女優衣菜(ゆいな)ちゃん(当時8歳)を亡くした兵庫県姫路市の会社員、三木清さん(45)はあの光景が目に焼き付いている。
 歩道橋に入って約1時間、身動きがとれず息もできない。優衣菜ちゃんを抱きかかえているうちに意識が遠のいて倒れた。気付いた時、優衣菜ちゃんの上には何人もが覆いかぶさっていた。
 「なぜ花火を見に行ったのか。なぜ助けられなかったのか」自分を責める一方で、娘の死を教訓にしたいとの思いが強くなった。この13年間、その一心で事故の原因や背景を追い求めた。会場の雑踏警備を指示する立場だった警察署幹部の責任も明確になってほしかった。
 検察は榊元副署長を繰り返し不起訴にしたが、強制起訴制度によって裁判が始まった。だが、1審判決は時効の成立を認めて「免訴」だった。
 2月の控訴審初公判。高裁の法廷で榊元副署長を約1年ぶりに見つめた。被告人質問を聞いて、雑踏警備への意識の低さを感じ、悔しさがこみ上げた。
 事故直後の2年ほどは仕事もせず抜け殻の状態だったという。それでも、地下鉄サリン事件や日航ジャンボ機墜落事故の遺族に会って勇気づけられ、真相を明らかにすることが娘の弔いになると信じて、ここまで来た。
 「おはよう」「ただいま」。朝晩、仏壇の遺影に話しかける。そばにいたいから、今も遺骨の一部を仏壇に残している。ただ、もう区切りをつけたいとも考えているという。
 「13年は長かった。新しい一歩を踏み出すためにも、今回の判決がどんな結論でも踏ん切りを付け、娘に報告したい」。三木さんは遺影を抱えてうなずいた。
 ◇過失の有無など争点
 1審・神戸地裁は榊元副署長の過失責任を否定したうえで時効の成立を認定、有罪か無罪かを判断せずに裁判手続きを打ち切る免訴の判決を言い渡した。
 主な争点は(1)過失責任の有無(2)有罪が確定した署元地域官との共犯関係が成立するか(3)時効が成立しているか−−。業務上過失致死傷罪の時効は当時5年。検察官役の指定弁護士は「共犯の裁判中は時効が停止する」との刑事訴訟法の規定を盾に、榊元副署長と元地域官の共犯関係を主張、時効は成立していないと訴える。
 これに対し、弁護側は過失責任を否定するとともに、業務上過失致死傷罪の共犯関係はそもそも存在しないとの立場だ。
 指定弁護士によると、高裁も神戸地裁と同様に、過失の有無を判断したうえで、共犯関係の成否を結論付けるとみられる。
 ことば】明石歩道橋事故・・・・2001年7月21日、明石市のJR朝霧駅と海岸をつなぐ歩道橋に花火大会の見物客が殺到し、子ども9人を含む11人が死亡、183人が負傷した。当時の明石署地域官や警備会社支社長ら5人が業務上過失致死傷罪で有罪が確定。元副署長は10年4月に強制起訴され、神戸地裁は昨年2月、免訴判決とした。』とのことです。
 13年間,真相の究明を求めて闘ってこられた三木清さんには,もうこれ以上頑張らなくていいですよ,お疲れ様,と言いたいです。
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