現在の首都圏を走る鉄道は、国鉄時代に比較すれば飛躍的に進歩し便利になった。網の目のように張り巡らされた地下鉄網は、いまだアントンKも把握出来ずにいる。それに加えて地下鉄と言えばJR,私鉄各線へと乗り入れをし、都心部を中心に縦横無尽に走っているのが現状だ。JR線に目を移せば、湘南新宿ライン、上野東京ラインを代表とする直通電車が、引っ切り無しに走り抜け、乗り換えなしで目的地まで行ける時代になった。国鉄時代を思えば、自宅から4つも乗り換えて大宮まで行っていたことを考えると、アントンKもとても便利になったと思わざるを得ないのだ。
今回は、そんな思いから上野東京間にあった回送線の話題。現在は新幹線まで通るこの区間だが、かつては、山手線、京浜東北線が並走しているからか営業列車は走らなかった路線が存在していた。実質、東京駅より北側だから東北本線となるのかはよく知らないが、北の玄関口上野までの回送線があった。この区間を唯一定期で走行する回送列車が国鉄晩年まであり、我々ファンを楽しませてくれた列車だったことを思い出している。東京機関区EF58唯一の定期運用、回1940ㇾ~回1943ㇾがそれで、多種多様な編成で楽しませてくれたのだ。所詮、営業列車でない回送列車などど軽視していたことを今更ながら悔やんでいるが、当時は多様に求めるものがある時代だったとも言える。まあ古き良き時代といったところか・・・
掲載写真は、秋葉原を通過する東京区EF58124がけん引する回送列車。実はこの写真は定期列車ではないが、大変珍しく建築限界測定用客車オヤ31がカマ次位に付いていたため、今で言う「追っかけ」で撮影した思い出がある。品川区の座敷客車を後部に従えているが、こういった来て観てみないと判らない列車も当時は珍しくなかったのだ。
1981-05-30 回8944ㇾ EF58124 オヤ31+シナ座 秋葉原にて