アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

あれから1年~EF5861の行方

2019-08-21 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

昨年のちょうど今時分、夏休みも終わりに近づいた頃、大井車両センターでのEF5861のサプライズ登場があった。二度と姿を現さないのでは?と聞かされてきたロクイチだけに、当日は誰しも大きなプレゼントとなっただろうが、あれ以来、何の音沙汰もなく当然ながら今年の登場は無さそうだ。

確かに昨年のフィーバー振りには、アントンKも驚きを隠せなかったが、仮に整備をして動くことになったら、蒸機運転でのフィーバーの比ではないのではないか?考えただけでも恐ろしくなってしまうが、やはり令和の時代となった現代では、EF5861はさらに客寄せパンダ的な機関車に成り下がり、そんな姿を見れば、とても心が辛くなってしまうだろう。今はあまり考えたくない。

昔を思い出してEF5861から、夜の荷物列車の代走シーンを掲載。荷物列車自体秒読みとなったこの頃、ゴハチも休車が進み、変運用が数多く見られた。この時も、友人と残り少ない荷物列車の撮影に明け暮れていたが、ロクイチが変運用で荷物列車仕業に就いていることを知り、友人にそそのかされながら1日旅行を延長して撮影したことを思い出す。豊橋駅でしばらくの停車中、SGを盛大に吹き上げ、ロクイチの違う一面を堪能した寒い深夜であった。

1984-01-16  荷34ㇾ  EF5861     東海道本線:豊橋駅にて

 


やはり美しいボンネット特急~485系

2019-08-20 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

今回の鉄道模型のイベント(国際鉄道模型コンベンション)では、本当に多くの鉄道模型を見ることができて、ちょっとしたタイムスリップを味わった気がしている。それぞれのブースで幅を利かせていたのは、やはり蒸気機関車であり国鉄型の車輛達だったように思うが、中でもボンネット型特急の元祖である151系は、長大編成で所狭しと走り回っており、昔を思い出すには時間がかからなかった。もっとも、アントンKには151系は早すぎ、後継の181系や485系たちが脳裏に蘇ってきた。今更ながら、やはり当時の国鉄型特急は気品があり、美しい列車だったと思い直したのである。

振り返るとアントンKにとって、鉄道撮影の中心はブルートレインだったが、同時に181系や485系のボンネット特急列車達も併せて可能な限り撮影していたことを今回懐かしく思い出している。実際には、ボンネット型ばかりに拘っていた訳ではないが、あの当時特に何も感じなかった長大編成の列車たちは、今にしてみれば豪華で威厳を感じてしまうほど存在感がある。残された画像を振り返り、もっと違ったカメラアイで撮影すれば良かったと悔やんでいる。

掲載画像は、北陸本線で捕らえた特急「雷鳥」。上下毎時ごとの運転で、普通列車より「雷鳥」の方が本数が多かったはず。使用車両も多岐に渡り色々なバリエーションが楽しめた時代。東北本線と並んで、北陸本線は特急電車王国だったのだ。

1982-02-27  4015M 雷鳥7号    北陸本線:新疋田-敦賀にて


寝台列車への想い

2019-08-19 15:00:00 | 鉄道写真(EL)

イベント会場で、衆議院議員の石破茂氏の特別公演を聞いた。

「鉄道を語る」と題した講演は、予定よりも延長されてその思いを熱く語られていたのが印象的だった。自ら「乗り鉄」であり同時に「飲み鉄」であると述べられ、故郷へ帰るために乗車した「出雲」は、急行時代から数えても実に1000回以上だという。あの石破氏が、10系客車、大好きな20系客車の乗車体験などを嬉しそうに我々に語る姿は、テレビで観る石破氏ではなく、我々と何ら変わらない一人の鉄チャンだった。アントンKの尊敬する先輩の同期でもある石破氏だから、高校進学で鳥取から神奈川へ一人上京した思い出話は、とても身近に感じられ目頭が熱くなってしまった。上京して最初のうちは友人もなく、小遣いもなく、寂しい想いになった時、東京駅に行き、20系の特急「出雲」のホームに立って列車を見送ったそうだ。ホームで談笑する乗客からはお国の方言が聞こえてきて郷愁に浸ったそうなのだ。そこにはまさに旅情が感じられたのだろう。この列車に乗れば、そのまま故郷へと帰れる。車窓からの四季おりおりの印象的な景色をぼーっと眺めながら行く列車旅は、夢とロマンが満載だったと語っていた。

アントンKには田舎はないが、列車に乗りレールを眺めていると、黄昏ながらどんな街まで繋がっているのだろうと思い巡らせたことが何度あったことか・・こうした忘れてしまいそうな想いをまた感じて旅したいと思い直している。

そんな話から、今回はブルートレイン特急「出雲2号」を掲載。石破氏の話の中に出てきたDD54の「出雲」は見たことがないが、その後のDD51やEF65P、EF65PFけん引の晴れ姿は、何度となく撮影出来て今でも印象に残っている。これは、影と日向とのコントラストを利用して、列車前面を輝かせようとトライした時の画像。トンネルを抜け暗闇から一瞬日が差した65PFは、いつもより凛々しく見えた。

1997-05-28  1002ㇾ  EF651115 出雲2号  JR東日本/東海道本線:保土ヶ谷-戸塚

 


交流機の横顔~ED77

2019-08-13 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

とんでもなく暑い日が続いている。今日は不安定な天気で、ザーッと雨が降ったと思ったら、まぶしい太陽が顔を出し、これでもかとでも言わんばかりに強い陽ざしが身体を襲ってきた。こんな天気だから、外は蒸し風呂状態。不快指数マックスだったろう。

少しでも寒かった思い出のある画像をと探して1枚掲載しておく。

冬型の気圧配置の猪苗代は、もう雪景色。師走だからまだ深くはない雪を楽しんだ遠い日々。時折日が差したと思えば、一気に吹雪き視界が無くなる。会津地方の冬は思いのほか厳しいことが、この時代理解できたのだ。モノトーンに変わった猪苗代の中を、真っ赤なED77が横切る瞬間。ツララ切り装着の耐寒耐雪型のED77の横顔は、いつになく頼もしく思えた。Forever Love ED77

1989-12-09   回9239ㇾ  ED7715    JR東日本/磐越西線:猪苗代付近


EF5853号機~怒涛の連投!

2019-08-12 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

お盆休暇に入った。特に大きなイベントなど設定のないアントンKの休暇は毎年の事。行楽地は何処も混んでいるし、鉄道撮影は、お盆ダイヤとなる貨物列車にやはり写欲が無くなり、自室で音楽を聴き、骨休めをするのが最近の傾向となっている。普段ではできない整理整頓に時間を当ててはみるものの、中々はかどらず休みを終えることが多いのも困ったものだ。

アントンKの知る80年代以降の東海道本線には、何本もの寝台列車の設定があったが、その中では唯一の急行「銀河」の存在は、九州ブルトレに勝る劣らず大きいものだった。写真は少ないが、宮原区のEF58  が牽くスハ44や10系寝台車を連ねた「銀河」に憧れ、20系に変わってからも、急行使用に不満を持ちながらも、その美しい編成美に心癒されたもの。今にして思えば贅沢極まりない日常だったことに気づかされるのである。

そんな事を思い出しながら、今回は当時の多客臨で運転されていた急行「銀河52号」を掲載してみる。夏休みやGW、年末年始などの多客時に、銀河の補完目的で設定されていた列車で、寝台車は無く14系座席車のみで組成されていた。通常は定期の銀河と同じ宮原区のEF58の担当となるが、東京区の場合も多かったと記憶している。この年は、宮原区のゴハチベスト3に当確する53号機が、連続運用に就き、隔日沿線に繰り出た有意義な思い出が蘇る。こうして改めて見ると、やはり大窓機は優雅で威厳と風格が漂い、急客機としての誇らしさに溢れている。

1980-05-03 6102ㇾ EF5853    急行「銀河52号」  東海道本線:保土ヶ谷付近