アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

ノスタルジックビュー夢空間

2019-08-09 20:00:00 | 鉄道写真(DL)

風光明媚な路線として知られている五能線。40系気動車も最後の活躍をしていてファンの姿も今では絶えないのだろう。

現在リゾート列車が夏季臨で頻繁に運転されているが、その前身と言えるのは、今回掲載するノスタルジックビュートレインではないだろうか。当時は当たり前だった50系客車を改造して専用車両に仕立て、DLも専用機として観光客を呼び込んだ。日本海に沈む夕日を見ながら、のんびりと窓越しにみる景色は、まさに一生ものだろう。こんな旅がいつかまたしてみたい。

掲載写真は、そのビュートレインに夢空間が特別に組み込まれた時のもの。団臨として運転され、このチンドコ列車のような編成で五能線を走った。当時のブルートレイン撮影の合間に五能線を訪れ撮影チャンスを得たと記憶している。

1993-05-29  8526ㇾ  DE10          JR東日本/五能線


五輪に花咲く列車たち

2019-08-08 19:00:00 | 鉄道写真(EC)

猛暑続きの関東地方。今年は7月はずっと天気が悪く、長梅雨のあとの猛暑となっているが、何をするのも暑さが付きまといこのところ気持ちも滅入っている。清々しい秋空が恋しく思う今日この頃・・・

早いもので東京オリンピック開催まであと1年を切ったらしい。この猛暑の中の開催で、いったい何事もなくすべての競技が終えられるのか、素人なりに不安になるが、万全の体制をもって臨む五輪だから期待も膨らむ。しかしアントンKにとっては、競技、勝敗そのものよりも、世界中からやってくる観客輸送の方に興味が沸き、いったいどのような臨時列車がお目見えするだろうか、今から楽しみでならないのだ。

21年前の冬季五輪、つまり長野で開催されたオリンピックの時には、大きく鉄道の絵図も変わった。何といっても長野新幹線の開業が大事件だったが、これによって信越線が寸断され、碓氷峠が廃止されたことは、今や語り草となった。さて、来年に迫った東京五輪、今までにない企画の特別な列車が、開催中の東京を目指して各地からやってくるなんてことがあれば面白いと思うが、果たしてどうなることやら・・・

画像は、長野五輪の時に運転された、名古屋ー松本を結んだ臨時急行「安曇野」。基本編成だが、165系の9連での運転、しかもしっかりヘッドマークを装着し頼もしく思ったもの。この原型ヘッドライトの顔にヘッドマークが着いた列車を撮影したくて、何度も出向いた中央西線だが、走行写真で満足できるものは撮影できておらず、悔いが未だに残っている。今回は、回送で木曽福島まで引き上げて留置した姿を掲載。

1998-02-11  回9803M  急行「安曇野」   JR東海/中央西線:木曽福島にて


上野東京回送線のお楽しみ~EF58

2019-08-07 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

現在の首都圏を走る鉄道は、国鉄時代に比較すれば飛躍的に進歩し便利になった。網の目のように張り巡らされた地下鉄網は、いまだアントンKも把握出来ずにいる。それに加えて地下鉄と言えばJR,私鉄各線へと乗り入れをし、都心部を中心に縦横無尽に走っているのが現状だ。JR線に目を移せば、湘南新宿ライン、上野東京ラインを代表とする直通電車が、引っ切り無しに走り抜け、乗り換えなしで目的地まで行ける時代になった。国鉄時代を思えば、自宅から4つも乗り換えて大宮まで行っていたことを考えると、アントンKもとても便利になったと思わざるを得ないのだ。

今回は、そんな思いから上野東京間にあった回送線の話題。現在は新幹線まで通るこの区間だが、かつては、山手線、京浜東北線が並走しているからか営業列車は走らなかった路線が存在していた。実質、東京駅より北側だから東北本線となるのかはよく知らないが、北の玄関口上野までの回送線があった。この区間を唯一定期で走行する回送列車が国鉄晩年まであり、我々ファンを楽しませてくれた列車だったことを思い出している。東京機関区EF58唯一の定期運用、回1940ㇾ~回1943ㇾがそれで、多種多様な編成で楽しませてくれたのだ。所詮、営業列車でない回送列車などど軽視していたことを今更ながら悔やんでいるが、当時は多様に求めるものがある時代だったとも言える。まあ古き良き時代といったところか・・・

掲載写真は、秋葉原を通過する東京区EF58124がけん引する回送列車。実はこの写真は定期列車ではないが、大変珍しく建築限界測定用客車オヤ31がカマ次位に付いていたため、今で言う「追っかけ」で撮影した思い出がある。品川区の座敷客車を後部に従えているが、こういった来て観てみないと判らない列車も当時は珍しくなかったのだ。

1981-05-30  回8944ㇾ EF58124 オヤ31+シナ座  秋葉原にて


専用貨物列車時代の到来!?

2019-08-06 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

国鉄からJRへと分割民営化されてから、30年以上の月日が流れ、各社とも全てにおいて大きく変貌を遂げてきたが、その最たるは貨物会社ではないだろうか。道路交通網の整備や発展は、旅客会社でも大きく打撃を受け時代の波に飲み込まれていったが、貨物もその例外ではなく、年々貨物扱いをする駅施設は廃止、統合され、数を減らしてしまった。アントンKが最もショックを受け印象的だったのは、やはり新鶴見界隈の巨大なヤードの廃止、同じく与野と大宮感に広がっていたこれまた広大なヤードが廃止されたことだ。時間とともに、線路は剥がされ形を変えていく様を目の当たりにして、新しい時代の到来とともに一抹の寂しさを感じたものだった。同じことが、現在の品川ー田町間でも言えるが、当たり前の光景が消えていく寂しさは、いつの時代も変わらない。まあそんな事を思うなんて年齢を重ねた証なのだろう。

近年、貨物列車にも新たな動きが見られ、機関車ファンからも大いに注目を集めている列車が存在している。専用コンテナを連ねた一企業専用列車であり、トヨタロンパスEXPがその口火を切ったのはご承知の通り。現在では、福山通運や西濃運輸等々、専用列車が本州を駆け巡っている。おそらく廃止された夜行列車のスジを使用して高速便を走らせ、安価で安全、大量輸送の鉄道のメリットを最大限に生かして誕生した列車たちなのだと思っている。おのずと好調高評価との内情が漏れ伝わっているから、今後もこの手の列車を増発していくのではないかと推測する。アントンKにも、とても新鮮に映り、色々な機関車との組み合わせで、日ごろ撮影を楽んでいるところで、今後も新たな撮影意欲を掻き立てる被写体になっていくことだろう。

ここでは、昔の専用貨物列車から、先般引退が伝わってきたEF60のけん引する自動車運搬列車を上げておく。昔はク5000という自動車を2段にして運搬する赤色の貨車が存在した。全国で見られたと思うが、いつしか消えていって忘れ去られてしまった貨車かもしれない。そのク5000を長大に繋いでやってきたEF60だが、いつもは目立たず地味な機関車も、この時ばかりは威風堂々としてとても力強い印象だった。

1981-03-20   5851ㇾ EF6050     山陽本線:小野田-厚狭にて


復活蒸機の行方

2019-08-05 20:00:00 | 鉄道写真(SL)

令和の時代も2か月を過ぎ、平成がいよいよ遠くに感じられるようになった。アントンKといえば、普段から元号など気にせず、どちらかと言えば西暦で書き残すことの方が多いのだが、それには特に理由はなく、世界共通の数字はやはり何かと便利に使えると思うからなのだ。

令和時代の鉄道界を見回してみると、蒸気機関車の活躍が続いていて心強い存在となっているが、それに引き換え電気機関車の将来には暗雲が立ち込めている状況ではないのか。現在も客車列車はごく一部に限られる状況であるし、貨物列車についても今後どのような動きになっていくのか気がかりでならない。旅客会社の機関車は、蒸機を残して電機が淘汰される時代が来るのではないか?とまで悲観的に考えてしまう時代なのである。先日のEF60といい、故障の相次ぐ厄介者は切り捨てられるのか・・趣味人としてとても心配になる今日この頃だ。

思えば、C61が復活して早8年が過ぎた。どうしてC62ではなくC61なのか未だに疑問だが、とにかく今日までC61も元気な姿を我々に披露してくれている。先日も普段は走らない時間帯にC61が走るというので、見学に行ってきて、その存在感の大きさを味わった。やはり蒸気機関車は旅情を感じて良いものだ。それが復活蒸機だとか、架線下だからだとか能書きを並べるのではなく、純粋に鉄道を身をもって味わう近道が蒸気機関車であったことに気づかされたのだ。いつまでも大切に心に仕舞っておきたい気持ちが蒸機には存在している気がした。

2011-06  復活C6120     JR東日本:上越線:八木原付近にて